[intro-interview]
デュッセルドルフの難民施設で取材したときのこと。市の職員、福祉団体の現場担当者、ボランティアのドイツ人たちへの取材を終え、施設もゆっくり見学することができた。しかし、難民たちへの直接取材は事前に断られていた。ケルンで難民を容疑者とする集団暴行事件が起こった直後だったため、市は私たちが入居者と直接接触することに慎重だったのだ。
それでも、イラン出身のパニさんとは、彼女の部屋で短時間の面会を許された。斡旋業者に数万ユーロの手数料を支払って、ベルリン行きの飛行機のチケットを手に入れ、2歳の息子とともに来独したパニさん。現在は、庇護申請の結果を待っているところだ。母国では弁護士をしていたが、反政府と目されて進退に窮した末、ドイツに来ることを決断したという。
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パニさんは40代前半の落ち着いた、知性と温かさを感じさせる、ふくよかな女性だった。お仕着せのピンク色のTシャツに、レギンスのようなぴったりしたパンツを履いている。ヒジャブを巻いていないことから、リベラルな生き方が伝わってくる。彼女がドイツに逃れる前、正装して法廷に立っている様子を想像した。知的職業だから、収入も低くはなかっただろう。そのパニさんが、いまプレハブ施設の小さな部屋で、生活用品やおもちゃが雑多に散らばる中、息子を遊ばせながら床に正座している。思ったよりオープンにこれまでの経過を話してくれたが、残された家族のことになると口が重くなった。
私の同行者が、退屈している息子に、筆入れから赤いマーカーを取り出して見せた。書いても発熱させると消えるタイプだ。それを実演してみせると、幼い彼は目を丸くして、書いたばかりのラインが消されていくのを見ている。そのうち同行者の手からマーカーを奪い取り、自分で書いたり消したり始めた。パニさんがそれに気づき、子供の手からマーカーを取り上げて、同行者に笑顔で返す。息子は泣き顔だ。同行者が再度マーカーを息子に渡して、「プレゼントです」と英語で言うと、パニさんは「ありがとう。でも結構です」。丁寧だが、きっぱりした態度だ。同行者は「本当にいいんですよ」と、もう一度マーカーを差し出したが、パニさんはそれも同じ動作で拒否した。同情は受けても施しは受けない、という強い思いを、私たち全員が感じた。
パニさんは最後まで穏やかだった。辞するとき、パニさんは部屋の入口に立ち、背中をすっと伸ばして、私たちの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。 その様子には私たちに対する誠実さと、自分自身に対する尊厳とが満ち溢れていた。誇り高い女性であり、母親であるその人が抱える孤独、不安、今後の道のりの険しさ。それに思いを馳せながら、私たちはゆっくりと施設から遠ざかっていった。
トップ画像:© MIKA TANAKA
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