海外在住ライターによるウェブメディア「Speakup Oversea’s」について

既存メディアが膨大な情報を流し続け、ネット上ではブログやSNSを含め、文字通り怒涛のような情報の海原が広がる。そんな中に、海外に散らばる微力の我々があと一滴を落とすことに何の意味があるのか…疑問を投げかける人も多いに違いない。

 

日本は、第二次世界大戦で壊滅的に疲弊した戦後から、まじめな国民がコツコツと働き続けて驚異の二ケタ経済成長を実現したことを誇りに思ってきた。そして、欧米先進諸国と肩を並べ、人権や民主主義という価値に重きを置く国なんだと信じきってきた。ところが、それが「産業や多数派の利害に矛盾しない限りにおいて」、という条件付きだったことに気づかされたのは、3.11フクシマ以降のことだ。以来、ようやく、何かがおかしいと気づく日本人が増えている。若者が、学者が、主婦が、普通の人々が声を上げるようになった。既存のマスメディアだけしか見ていない大多数には未だに見えず、まだまだ時間がかかるかもしれないが、ほんの少しずつ何かが変わろうとしている…そんな胎動が、外にいるからこそ感じられ始めた。

 

私たちは皆、人生のどこかのステージで、海外で生きることを自ら決断し、言葉や文化や社会の軋轢にもまれながら、生まれ育った「日本」とは異なる社会のあり方を、地球上で別の視点から希求する地球社会の明日を知るようになった。それを伝えることは私たちの使命ではないか。

 

海外にちらばる私たちのような一匹狼たちが発信できる力は限られている。原稿料をもらって生きるからには、原稿を買ってくれるメディアを探さねばならない。スポンサーから収入を得て経営を成り立たせるためには、編集者は、読者の目を引き、たくさん読まれるネタを求める。発信者が伝えたい、伝えなければならないと思っていることを、求めてくれるメディアは多くない。スポンサーやメディアの意向や都合で、記事が下されてしまったり、メディアごと閉鎖になってしまうこともある。

 

よい記事、よい情報は劣化せず、普遍の価値があると信じる。セレブや人気ブランドのことでなく、他の媒体に書いたことのない新ネタでもなく、スポンサーのご意向を気にせず、現政権を真っ向から批判するものでもいいはずだ。日本の人々に「知ってほしいこと」「知らせるべきこと」を、何回でも、いつまでも、息長く発信し続けられるメディアが、日本の外にいる微力なフリー・ジャーナリストには特に必要だと考える。

 

2016年4月、テロ脅威にあったばかりのブリュッセルより
Speak Up Oversea’s発起人 潤ふじを

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