日本でも報道されたように、7月中旬に起きたドイツの記録的豪雨による洪水被害は、思いがけず大規模なものとなった。死者160人以上、損害額はおよそ50億ユーロ(約6500億円)にのぼる。当時、メルケル首相は訪米中だったので、最も被害の大きかったラインラント・プファルツ州、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州首相が現場にすぐかけつけ、惨状を視察した。
興味深かったのは、二人とも、またニュース解説者の誰もが、異口同音にこの原因を気候変動、すなわち地球温暖化として捉え、説明したことだった。地表が暖められて、大量の水蒸気が発生、それが、自然が処理しきれない降雨となる。実に明快なものだ。
2021年7月後半におきた集中豪雨で、ドイツ南西部ライン川沿いの町や村の多くが甚大な洪水被害を受けた
©Achim Raschka – CC BY-SA 4.0
筆者の記憶によれば、日本で自然災害が起きた時、そのような温暖化と災害の因果関係を明瞭に解説していたコメントは、ほとんど聞いたことがない。このドイツの災害の少し前に起きた熱海の土石流災害も、その要因は「違法な盛り土」と分析されており、人災と理解されていた。
それに対して、ドイツでこの災害報道に登場する政治家たちは、口をそろえて「気候変動に対する政策をまったなしに行う」と明言していた。政治家たちは、9月の総選挙を多分に意識して発言しているのだろう。これこそ、目下最大の選挙イシューである。今回の大災害に対しては、ドイツを挙げての寄付呼びかけが行われ、短期間で7130万ユーロ(約93億円)が集まった(7月下旬)。これは、ドイツ社会の連帯精神であるばかりではなく、環境問題に対する関心と、それを即行動に移そうとする意志の表れと言える。
地球にやさしいお葬式
この大洪水の起きる2週間ほど前、筆者は、1年ぶりくらいに、10数人のドイツ人女性と夕食を共にしていた。このグループのメンバーは、企業コンサルタント、大学講師、エステサロンオーナー、NPO職員などさまざまな職種の女性たちで、ほとんどが中高年、1か月に一度みんなで会って夜ご飯を食べながらおしゃべりをする会である。
他愛もない日常の出来事から、政治や社会批判まで話題は多岐にわたり、与党と野党の支持者が入り混じっているのも面白く、時間の都合のつく限り参加することにしている。コロナ禍で長い間リアルに会えなかったので、この日の会合はとりわけ話がはずんだ。夏時間でまだ明るい、気持ちのよい外のテーブル席、久しぶりなので、近況報告をそれぞれが行なった。
中の一人がきっぱりと言う。「私、今、『Wurstend』(『ソーセージの終わり』)を立ち上げて、すごくがんばってるのよ!」。彼女は、化学博士号を持つコスメティック・ブロガーである。この地球環境に深刻な危機感を持っていて、自分の生活を数年前に一新したという。ベジタリアンの彼女は、ソーセージに象徴されるような食肉消費をやめ、持続可能で、健康的で、経済的にフェアで搾取されない社会を実現するために、今、このNPOを発足させ、活動の幅を広げていると力説した。
ドイツの森林墓地の墓標 © Müller Andreas – CC BY-SA 4.0
その勢いに皆気おされ気味だったが、中の一人が応えて言った。「そうそう、私もやっている。地球にやさしいお葬式をね」。まだ若い彼女は、葬儀店経営。美術の分野からこの道に入ったという。「グリーンライン」と名付けられたその葬送スタイルは、生前、地球環境のために意識して日常を送っていた故人にふさわしく、最後の瞬間までその思想が十全に果たされるようにと、たとえば、棺は地元の木材を使い、故人に着せる衣装も、化学繊維でなく、5か月で分解する綿や麻を用い、地元の天然石で墓碑を作る。会葬者への案内状の質にも、献花の花の種類にもこだわり、会葬者も公共機関を使って来られるようにする。また、墓地自体を、CO2排出に効果のある都市の中の緑の島とみなせるような、生物多様性を実現するコンセプトで作っていく。すべては、子や孫のために、よい地球環境を残そうという目標だ。
そもそも、ドイツの公共墓地使用は25年で終了して、次の世代に使いまわしていく。つまり、自分は、〇〇家の一員としてその子孫を思い描いて残したいのではなく、25年後には自分の痕跡も消えるので、あくまでも個人が、次の世代の社会に対して果たす責任から、このお葬式のスタイルを選んでいるというわけだ。
「環境バス」で野外授業
ところで、人々の意識を変える源は「教育」にある。教育現場で環境問題をとりわけ主題化して、若い世代に伝えようという動きは、1960年代後半から始まった。すでに50年の歴史があるわけで、学校現場では、この環境教育にさまざまな工夫をこらしている。10年ほど前になるが、夏休みを利用して、ノルトライン・ヴェストファーレン州が環境教育の一環として実施している「環境バス」なるものを見学に行ったことがある。
これは州文科省が自然保護団体と協力して、州内の児童生徒のために派遣するいわば「出前教室」のようなもので、各学校からの申し込みによって、バスが出動する。三人の専任教員がそのプロジェクトを運営しており、生物、物理、地学などの授業計画に対応できる。Lumbricusという名前の環境バス自体は、普通の大型バスを改造したものだが、野外で観察・実験・発表が行なえるような設備を搭載しており、停車時はソーラー電池で作動する。
ドイツで環境教育に活躍する環境バス ©Mariko Fuchs
私が見学に行ったプロジェクトは、自然保護団体が主催している夏休み学童保育の一こまだった。そのため、通常の学校のクラスではなく、一年生から七年生までと、幅広い年齢層のこどもたちがいた。場所は、アイフェル国立公園内にあるビオトープ(動物や植物が安定して生活できる生息空間)である。その日のテーマは、「水辺に生きる生き物たち」。まずは、生物と地理の教員免許を持つリーダーの先生がおもむろにロープを取り出し、こどもたちを輪にしてひっぱらせた。
「わかる?これが池。さあ、みんな何になってみる?」と一人ずつなりたい生物を聞いていく。「カエル」「アメンボ」「魚」「ヤゴ」「チョウチョ」などいろいろ。みんなでロープを引っ張る。こどもたちが足をふんばるから、ロープはピンと張って平衡状態が保たれる。「これがね、池の今の状態。みんなでひっぱっているから、ここの池は生き物が平和に暮らしているの。」ここで、先生がそのロープを握り、こう言う。「さて、ぼくはお百姓さん。これから池に侵入するよ」。先生は、ロープをめちゃくちゃに振る。こどもたちは必死にその影響が及ばないように、ロープを引っ張る。人間の影響が排除される。「そうだね、みんなの力が強ければ撃退できるね」
そこで次は、食物連鎖の勉強。「バクテリア、これを食べるのは何?」「小さい虫」「小さい虫を食べるのは?」「大きい虫」「大きい虫を食べるのは?」「魚」そのたびに、ロープが食べる側のこどものところに向かう。人間の排泄行為も中に組み込まれて、結局最後にはまたバクテリアに戻ってくる。食物連鎖の複雑な星印ができあがった。そのピンと張ったロープの上にこどもを一人載せる。「みんながこうやって、いろいろな食べ物を食べてぐるぐる回っていったら、ちゃんと真ん中に載っている子を支えられるよ」
その後、リーダーの先生はこどもたちにまず自然観察の基本的なやり方を教え、長靴にはきかえた彼らは池に向かった。そして、池の中に入っていって、ザルで水をさらい、生物を見つけては持参の箱に移す。午後、バスの中へと移動したこどもたちは、今度は顕微鏡を使って生物を観察する。この日はリーダーの先生がパソコンを使って、まとめのプレゼンをし、こどもたちみんなが視聴した。そのあと生物を池に戻し、こどもたちは迎えに来た親と一緒に帰っていった。
次の日。テーマは小川の水質調査である。こどもたちと一緒に目的地まで歩いて行く。この日は、「水の旅」の話から始まった。「この小川の水はどうなるの?」「エルフト川に行く」「エルフト川はどこに行くの?」「ライン川に注ぐ」「ライン川はどうなるの?」「北海に出る」「それから?」「雨になって空から降ってくる」「その雨は?」「地面にしみこむ」「その水は?」「また小川になる」「そう、つまり、地球上の水は今まで一滴もなくなっていないんだよ。いつも地球上をぐるぐる回っているんだ」ここまでは、一般的な水の旅の話である。
だが、そのあと、先生がとてもステキなことを付け加えた。「だからね、この小川はエジプトのファラオを見ていた水だし、十字軍も見たことがあるし、インドの王様だって知っている」そう、水は時間と歴史の中を旅しているのである。
その日は、こどもたちは学年によってそれぞれ別の課題をもらい、大きいこどもたちは小川の実測と図面引き、小さいこどもたちは小川の生物を採ってくる。その後のプレゼンでは、各課題に当たっていたこどもたちが自分で発表した。彼らの調査した小川の水質が、官庁の出した評価とほぼ一致する結論に達したあと、リーダーの先生は締めくくりにまたロープを持ち出した。みんなで小川に住む生物たちになりきって、ロープをそれぞれ引っ張る。食物連鎖のロープの上にまたこどもが乗る。水も生物も、この世の中にあるものはすべて回りまわっているのである。
ドイツでは、今このような循環型の思想を取り入れた環境教育が主流だという。思えば、今回の水害は、まさにこの水の循環が破綻したことから生じているわけで、この授業を受けていたこどもたちは今、何を思っていることか。
Fridays for Future
さて、ドイツの環境教育で、最近影響力を強めている具体的な事例を挙げよう。コロナ禍でしばらく休止する前、高校生を中心とした何万人ものドイツの若者たちが、毎週金曜日に「Fridays for future」という気候変動へのプロテストのためデモを行っていた。もともとは、スウェーデンで、グレタ・トゥーンベリ(当時15歳)が始めた運動だが、ドイツでは大きな共感を得て、またたく間に広がった。
デモが毎週行われていたころ、私の公文式教室に来ている8年生の生徒が、初めて参加したそのアクションの様子を事細かく教えてくれた。彼女のクラスで、一人の生徒が地理の先生に、「来週みんなで、授業の代わりにデモに行きたい」と提案したところ、その先生がさっそく校長の許可を取って、政治の教科のクラスと一緒に、先生引率のうえ、デモに参加したそうだ。次の週は、その体験についてのディスカッションから授業が始まったのだとか。
子どもや若者を中心に家族で親子で参加するFridays for Futureはドイツ中で一年中行われている © C.Suthorn / cc-by-sa-4.0
ちなみに、ドイツの教師は、「正当な理由を示すことのできる限り」教材を自分で選定できる。教師や親たちの間には、学校へ行かずデモに参加することに対して賛否両論あるが、それでも、若者たちの活動は、欧州議会をはじめとして、環境政策に大きなインパクトを与えている。大人もこどもから突き動かされるように、環境問題への危機意識を自分のこととして捉えるようになったのだ。
自分ごととしての環境問題
7月末のARD公共放送の世論調査によれば、年齢、政党支持に関係なく、ドイツでは今、81%が気候変動に対して積極的に行動する必要があると考えている。そこで、彼らの多くは、まず自分から始める。長い間、自然災害にさらされて、いわば宿命論的にそれを受け止め、なすがままになっている日本人とはここが大きな違いだ。
ドイツでの人々の取り組み方はさまざまである。環境負荷のかかるものは使わない。プラスティック製品が身の回りからずいぶんと姿を消した。カーシェアし、市民発電に出資し、緑の党に投票し、褐炭採掘場で大規模な反対デモを行う。これらが積み重なって、政治を変え、社会を変えていく。
むろん、まだまだ経済優先への希求度も高い。しかし、筆者は35年間ドイツに住んでいるが、ここ数年、気候が激変したと思えるし、それに合わせて、人々の危機意識も先鋭化したと感じる。今回の自然災害で、この傾向はさらに加速化するだろう。統計上、ドイツのCO2排出量は地球全体のわずか2%だそうである。しかし、この2%の人々の危機意識が、地球全体に広がっていけば、それは決して2%にとどまらない。
若者は自分ごととして真剣に行動している © Rogi Lensing – CC BY 3.0
ドイツの哲学者カントは「定言命法」として『自分の意志による行動指針が常に同時に普遍的原理として通用しうるように行動せよ』という「定言命法」を説いた。ドイツ人は今、自分ごととしての環境運動を身近から、地球全体へと展開しているのかもしれない。
<初出:「ドイツに暮らす⑤」、『現代の理論』、現代の理論・社会フォーラム、2021年秋号、許可を得て転載、加筆・写真変更。>