8月末、見る見るうちに、タリバンに掌握されてしまったアフガニスタン。脱出を希望していたアフガニスタンの女子サッカーチームが、ポルトガルに難民として庇護されたことをご存知だろうか。
日本ではほとんど報じられないが、アメリカ軍が撤退を完了した8月末以降も、世界各国は、それぞれの国を助けてきた現地協力者とその家族、迫害の危険があり国外退去を求めるアフガン人を脱出させようと、あらゆる方策を尽くしている。カブール空港が再開すると、少しずつだが、カタール航空やパキスタン航空などが、渡航許可を得た人々を着々と運び出しているのだ。
そんな中に、アフガニスタン女子サッカー代表ジュニアチームの選手たちとその家族がいた。彼女らは、14歳~16歳の女子選手26人とその家族の総勢80人以上。なぜ、若い女子サッカー選手が外国に逃げるの? と思うかもしれない。
小さかった頃は人前でボールを蹴ることなんかできなかった、でも今、私は女子代表チームにいます!と誇らしくポスターに登場していた選手の一人(2014年12月)©DFID – UK Department for International Development – Print, CC BY 2.0
この少女たちは、単なるサッカー選手なのではなく、アフガン社会において、女性活躍をアピールするロールモデルとして活躍してきたからだ。女性であっても社会に出て、スポーツをしたり、教育を受けたりする自由があることを身をもって社会に示してきたのだ。タリバンは、「寛容な社会を作る」と言いながら、すでに女子の高等教育を制限し、スポーツをすることを禁止した。女子サッカー選手たちは、タリバンによる処罰に怯えて逃げ隠れ、速やかに国外脱出することを希望していたのだ。
彼女らの救出計画は、「サッカーボール作戦」と名付けられ、米軍、米CIA、パキスタン政府などが、タリバン政権と交渉しながら、英国の他、多くの政府に受け入れが打診されてきた。その結果、ポルトガルが難民としての受け入れを申し出て、パキスタン経由で実現。脱出アレンジを遠隔支援したのは、プロ選手で代表チームのキャプテンを務めてきたファークフンダ・ムフタイ(Farkhunda Muhtaj) 選手だった。
彼女は現在カナダに住んでいるが、9月30日、ポルトガルに渡り、文字通り命からがらポルトガルに到着した少女たちと感動の面会を果たし、こう語っている。
「若いアフガン女子サッカー選手とその家族を、難民として受け入れ、庇護してくれているポルトガルに心から感謝する」と。
海外遠征したアフガン代表チーム ファークフンダ・ムフタイ選手も出場した © Ray Terrill – N42A3218.jpg, CC BY-SA 2.0
欧州大陸の最西端に位置するポルトガルが独裁政権を経て民主化したのは1970年代、EUの前身である欧州共同体への加盟は86年のことだ。長い歴史の過程では、イスラム教アラブ支配も経験している。コロナ禍では欧州内でのかなり過酷な被害を出したが、その教訓もあってか、現在では、世界でもトップクラスのワクチン接種率を達成した連帯精神の強い社会だ。
全国民あたりのワクチン接種率。ポルトガルは約90%と極めて高い接種率を誇る。データ:Our World in Data, 2021年10月10日
それにしても、大使館員ら12人がさっさと脱出し、遅れて到着した自衛隊機4機が、たった一人の日本人をパキスタンまで運んだだけだった日本。安保協定で守ってくれるはずの米国からの情報は遅れ、助けてくれたのは英国軍やカタール政府だったことは肝に銘じておいた方がよさそうだ。
置き去りにしてしまった大使館や国際協力機構(JICA)などの現地職員(累積500人とも推定)のうち、10名ほどが9月中旬日本に到着したが、どうやら日本を経由して他の受け入れ国を探すことになるらしい。日本人は信頼できると思って協力してくれた人々に向かって、「テロリストかもしれない」というようなSNSが飛び交ったと聞いて空しくなった。
アフガン人を心から信頼し、アフガンの地に倒れた中村哲さんだったら、何を感じただろう。
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