日本で「死刑執行ハンコ」を自虐ネタにして法務大臣が更迭されていたちょうどその頃、世界では、死刑廃止を求める国際的な動きがまた一歩大きく前進していたのを、日本の人々は知っているだろうか。
11月11日には、国連総会第三委員会で、「全世界の死刑執行を停止する決議」が、2007年の決議提出以来最大の、賛成126か国、反対37か国(日本を含む)で可決されたこと――。
11月15日~18日の4日間には、ベルリンで、第8回「死刑に反対する国際会議」が、盛大に開催されていたこと――。
2000年の開催以降最大の90か国以上から1000人以上が、国連やEUなどの超国家組織、各国政府を初め、人権や法律の専門家、若い活動家や市民団体などが参加して開催されていたが、そこに日本政府代表も、法務大臣の姿もなかった。
死刑制度を廃止した国は現在109か国(ECPM最新データ)。制度はあっても、直近10年に執行していな国を含めれば国連加盟国の8割に及ぶ。死刑制度を維持するばかりか今も執行し続けるのは、中国、イラン、サウジアラビア、エジプト、シリア、ソマリア、イラク、イエメンなど、独裁・非民主国家18か国(アムネスティ)。そのリストに日本も名を連ねる。
同時期開催のCOP27が日本でも知られるようになってきたのに比べ、3年に一度開催されるこちらの国際会議には、日本からはハイレベルな政治家や官僚も来ない。だから日本の大手メディアは見向きもしないし、誰も取り上げない。
日本では死刑制度に85%以上が賛成または容認だ(内閣府国民世論調査)ということを日本政府は死刑制度維持の盾にしている。でも、1981年、ミッテラン氏が死刑廃止を公約にして大統領に当選し、登用した法務大臣が「世論の理解を待っていたのでは遅すぎる」と廃止を提案。当時は国民の6割が死刑擁護だったのは今では有名な話だ。
国際的議論に真面目に向き合わず、メディアが知らしめなければ、世界で今、死刑の何がどう議論され、どのようにして多くの国で世論の潮目が変わってきたのかを日本人は知るすべもないし、国民意識が変わるはずもない。
死刑制度に賛成・容認する人々の半分以上が「廃止すれば凶悪犯罪が増える」「遺族や被害者の感情が収まらない」などを理由としている(内閣府国民世論調査)というが、100か国を越える廃止国で、死刑廃止後に凶悪犯罪が増えなかったことを実証するデータは出揃っている。かたき討ちを許すなら江戸時代から一歩も前進しないようなもの。被害者感情は専門家による心の医療で手当てするのが近代社会のあり方ではないかと思いたい。
現在日本では、死刑判決を受けて死刑執行を待っている人が100人以上もいるという。専門家はこれを「国家による精神的虐待」と批判する。待機期間の長さ、絞首刑という方法、情報公開の欠如など、執行の「数」だけでなく、日本の死刑に関わるあらゆる側面が、「残虐で非人道的」「基本的人権違反」「先進民主主義国にはあるまじきもの」と国際社会から批判されている。
「死刑」は「戦争」同様に、国家が正当化し指示する「殺人行為」だ。日本の法務大臣は殺人指示を、ハンを押すだけの「地味な」仕事と称したり、殺人を指示した後で党の飲み会に参加してはしゃいだりする人がいたりだが、一見地味に見えるかもしれないハンを押す行為は一人の人間の命を奪い、執行が仕事の官吏とその家族を一生苦しめ続けるかもしれないのだ。
ウクライナ戦争も気候危機もBLM運動も、日本に伝わるまでに切迫度やスピード感がすっかりトーンダウンしてしまうように感じることが少なくない。イランのマサ・アミニさん(22歳)の死を発端にした反政府運動家への死刑宣告が続出する今の世界は、死刑廃止・停止に向かって、何倍速かで前進している。