金曜日の朝、突然、かかりつけ医からWhatsAppメッセージが入った。ドキッとする。一番聞かれたくない質問だったからだ。新型コロナウィルスに対する免疫をつくるアストラゼネカ製ワクチンは、脳静脈血栓症のリスクが明らかになっていることから、ドイツでは60歳以上の者だけに接種が認められていた。しかし、ドイツのイェンス・シュパーン保健相は数日前に「接種制限を緩和して、希望者には60歳以下でも接種できるようにしたい」と宣言。私は50代後半だ。保健相の意向が現実になる前に接種の順番が回ってくるといいな、と思っていた矢先の、思いがけない医師からの連絡だった。60歳以下への接種解禁が決まったのだ。私だけでなく、夫と息子の家族3人一緒に接種できるという。
英国では大半がアストラゼネカだが、欧州では年齢制限や停止する国も増えている ©Kurita
「ファイザー製は無理ですか?」とダメ押しで聞いてみる。「気持ちはわかります。皆さんそうですから。でも、ファイザーは納品が滞っているうえに、二次接種を待っている人がいるんです。うちの診療所ではいま、一次接種にはアストラゼネカしか投与していません」「何週間も見通しが立たないままファイザー製ワクチンを待つより、いま接種されることをお勧めします」と医師。きっと、「アストラゼネカは嫌です」と断っている人が多いのだろう。「家族と相談します」と、やりとりをいったん終わらせた。新型コロナウィルス対応ワクチンの供給が安定しない中、ドイツ全国のかかりつけ医に100万本以上のアストラゼネカ製ワクチンが来週納品されることを、翌日の新聞で知った。
ヨーロッパでは2021年5月中旬現在、ファイザー=バイオンテック、モデルナ、アストラゼネカ、ジョンソン&ジョンソンの4種類の新型コロナワクチンが投入されている。アストラゼネカはその中の「鬼っ子」的存在だ。デンマークやノルウェーのように、接種を全面的に中止している国もある。気になるのは、血栓症のリスクだけではない。アストラゼネカ製ワクチンは、新型コロナウィルスに感染した際の症状重篤化のリスクは95%までブロックしてくれるが、感染そのもののリスク削減率は80%程度にとどまっている。ファイザー製ワクチンは、そのどちらも95%だ(以上ロベルト・コッホ研究所の公式発表による)。
一次接種と二次接種の間の間隔も、アストラゼネカは12週間とファイザーの6週間の2倍で、これも接種を受ける者としてはデメリットといえる。シュパーン保健相が12週間の「待ち期間」を4週間に短縮することを急に許可したのも、接種効果よりも接種率向上という政治目的を優先させているようで、うさん臭い。それだけでなく、周りのアストラゼネカ接種体験者からは、発熱、頭痛、悪寒など副反応が重かった話ばかり聞いている。ドイツ在住者としては、ドイツで開発されたファイザー製ワクチンをひいきにしたい心情も少なからずあった。
ドイツには生涯のワクチン接種を記載するワクチン手帳がある ©Mika Tanaka
しかし、その「アストラゼネカでよかったら」に応じるなら、接種優先グループに属さず、順番待ちリストの末尾にある私たちにも、すぐに接種してくれるというのだ。大学生の息子に電話すると、「僕はファイザー製を待つ。ドイツの予防接種常設委員会はアストラゼネカ製ワクチンの60歳以下への接種を勧めてないでしょ」と明確な返答だ。では、夫と私はどうするか。60歳を前にした自分たちの年齢、0.01%とも言われる脳静脈血栓症のリスク、日本帰国の際の条件整備。自分たちが接種を受けれることによる、息子への感染リスク削減。コロナ禍が深刻でもワクチンを調達できない他国の状況。ワクチンの種類にケチをつける自分たちはぜいたくすぎる。そんな思考が現れては消える中で、しかし決定的だったのは「早く済ませて、少しでも安心感を得たい」という素朴な気持ちだった。
コロナ感染発生から1年以上、極力ステイホームで粛々と毎日を送ってきた。コロナ禍で大きな困難に見舞われた多くの人たちと比べれば、自分たちは本当に恵まれた立場にあると感謝してきた。それでも、小さな声で言ってよければ、もううんざり、だったのだ。感染に怯えながら、神経質に何度も何度も手を洗い、マスクをしていても自然と呼吸が浅くなるような暮らしに。
午後には医師に返信した。「お願いします」。接種同意書をダウンロードし、接種後のリスクや副反応についての懇切丁寧な説明を熟読し、腹をくくってサインする。翌週の火曜日、予定通りに一次接種が終わった。翌日には夫婦そろって軽い風邪の症状が出たが、2日目にはすっかり収まった。一次接種だけでも3週間後には接種効果が出るという。医師は、12週間後の8月初旬の二次接種を勧めた。「接種の間隔は縮めないほうがいい。12週間で最大の予防効果が出ますから」。
アストラゼネカワクチン接種記録も、手帖の最後に記された ©Mika Tanaka
ドイツでの一次接種率は5月16日現在、37%に達している。集団免疫ができるのは秋以降になるだろう。当分はマスク着用、手洗い、消毒、対人間隔の確保、他世帯との接触制限の生活が続く。一方では、二次接種を終えた人と感染からの快復者に行動制限を緩和する政令が5月9日に発効、日常生活や経済活動正常化への期待も膨らんでいる。半年経ったら、ドイツ のコロナ 禍は収束しているのだろうか。それとも、変異株を抑え込むため新たにブースター接種が必要になるのだろうか。もし後者なら、ロシア製スプートニクVや中国製シノバックを含め、ワクチンの種類がさらに増えていて、接種時の判断はさらに難しくなるのかもしれない。
少なくとも1回のワクチン接種を受けた人の全人口比 記載がなければ5月17日現在 出所:Our World in Data
注:トップ写真の注射器の中身はファイザー=バイオンテック社のワクチン。イメージ画像として。