「息子が、自分は逃げずに、ウクライナのために闘うと言って…」
テレビカメラの前で、途切れ途切れに話した女性は、そこまで言うと涙で声を詰まらせた。独テレビ局の現地翻訳者であるこのウクライナ人女性には、24歳の息子がいる。自由を謳歌し、デザイナーとして活躍していた息子が、長髪を剃り上げて、武器を手にする覚悟を決めたというのだ。2月24日、ロシア軍がウクライナ全土での空爆を始めた日。ゼレンスキー大統領は、国民に祖国のために闘うよう呼びかけ、18歳から60歳までの全予備役を召集していた。
ある国で戦争が始まると、当然のことながら、その犠牲になるのは市民全般である。男たちが戦力として投入されると同時に、女たちや子どもたちは、彼らとの別れを余儀なくされる。事実、ウクライナと国境を接するポーランドやスロバキアに避難できるのは、女性と子どもが大半だ。健常な男たちは国のために戦うことを求められている。家族を安全な地に送り届け、再びウクライナに戻る父親たちも少なくない。悲しみと不安に顔をゆがめた女たち、そして表情を失った子どもたちの映像が、繰り返し放映されている。
これが戦争だ。ウクライナ全土の上空を飛び交う戦闘機や、首都キエフから脱出するため数珠つなぎになった車の列や、破壊された建物から上がる黒煙の映像には、大きなショックを受ける。でも、私にとって一層ひしひしと身体に迫り、悲しみと怒りに胸が張り裂けそうになるのは、夫や息子を戦いの前線へと奪い取られた女たちの涙を見るときである。ウクライナだけではない。従軍した夫や息子をもつロシアの女たちも泣いている。
平和を祈るデモが世界各地で行われている。2月27日のベルリンには数十万人が集まった。©Leonhard Lenz, CC0, via Wikimedia Commons
「麻薬中毒者とナチスが支配するウクライナを解放する」と主張するプーチンの論理破綻、2014年のクリミア半島併合に対してすらロシアに明確な回答を示さなかった西側諸国の誤算、経済協力で一心同体の中国とロシアそれぞれの思惑など、今回の戦争をめぐってはいくらでも議論することができる。でも、それに何の意味があるのだろう。事実は、昨日まで健康だった男たちが傷を負い、殺され、女たちが生涯その痛みとともに生きることになる。それだけだ。
2度の世界大戦、ボスニア、チェチェン、アフガニスタン、シリア、そしてウクライナ。戦争や紛争の背景は異なっても、無意味な暴力の前に家族を失う者の痛みは同じだ。自分が家庭を持ち、男の子をもつ母になってからは特に、世界のどこかで紛争が起こるたびに、いつも現地の母たちを思って胸が苦しくなる。
そんなとき、私がいつも思い出すのは、ドイツの芸術家ケーテ・コルヴィッツが製作したピエタ像だ。
「ピエタ」とは本来、キリストの母マリアが、死んだキリストを抱き抱える図を描いた芸術作品を指す。1867年生まれのコルヴィッツは、生涯、貧困や病気など人間の痛みを表現し続けた。そして、第一次世界大戦で次男のペーターを失った後は、死と反戦にテーマを絞り込み、1939年に2年がかりでブロンズ作品「ピエタ」(副題「死んだ息子を抱く母親」)を完成させた。その後、孫のペーターもまた、第二次大戦で命を落とすことになった。
ケーテ・コルヴィッツによるオリジナルの「ピエタ」”Pietà (Mutter mit totem Sohn), 1937-1939“(写真提供:Käthe Kollwitz Museum Köln)
ナチス政権はコルヴィッツの作品展示を禁止したが、彼女のピエタはその後、時代を超えて、戦争で子どもを失った全世界の母親を代弁するシンボルになった。現在はケルンのケーテ・コルヴィッツ美術館に収蔵されている。ドイツ政府は1993年にこの作品を4倍の大きさに拡大複製して、ベルリン中心部の戦没者慰霊記念碑(Neue Wache)の中に設置。同作品はさらに多くの人に知られるようになった。作品の前には「戦争と暴力支配の犠牲者に(捧ぐ)」という文言が刻まれている。
「ピエタ」を思い描きながら、ウクライナの母たちを思い、家族が1日も早く再会できるように祈る。
2001年9月、このピエタ像を訪ねたプーチンは今何を思っているのだろう。By Kremlin.ru, CC BY 4.0