欧州中の建物が青と黄色にライトアップされた24日。欧州はウクライナのために震えている。
安全保障の傘を持たないとはこういうものか――。
「結局、誰もウクライナのために武器を取りはしない。私達は一人で戦うしかないのだ。」
ゼレンスキー大統領は、昨日までの背広を脱ぎすて、カーキ色のトレーナー姿で一人マイクに向かってこう言った。
「がんばれ、私達は君の見方だ」とどんなに激励しても、同盟組織に組み込まれていなければ、多少の武器や資金を提供し、時間のかかる経済制裁を発動しても、後はあちこちにウクライナの国旗を掲げて連帯を示す以外には術はないのか。ウクライナは隣人であっても、EU加盟国でも、NATO加盟国でもないから…。
遠い日本と違って、欧州に住む者にとって、ウクライナは近い。
ふと見回せば、近くのピラティスの先生も、娘の友人の一人もウクライナ人だ。
同じようにロシアの脅威への実感も日本やアメリカの比ではない。
EUの、NATOの、そしてSWIFTの本部は、私の住むところから20キロも離れていないから、ドローン爆撃しようとすれば標的にされそうなものはいくらでもある。
戦争は喧嘩両成敗が原則としても、膨大の核兵器を持つロシアが、通常兵力でさえ雲泥の差のあるウクライナを、「ナチズム」だの、「ファシズム」だの、「ジェノサイド」だのと大きな言葉を振り回して非難し、力に物言わせて叩きのめすのをただじっと見ているのはあまりにも一方的過ぎる。フランスやドイツや英国やアメリカの首脳陣が最後の最後まで武力衝突を避けようと馳せ参じたのに、それを花であざ笑うように侵攻した。気骨あるジェーナリスト達のおかげで、現場の様子がほぼライブで刻一刻と伝わってくる…。通信社の配信を基にニュースが伝わる日本とは臨場感が異なる。
この虚しさ、やるせなさには覚えがある。
アルカイダの侵攻でカブールが掌握され、逃げることのできる人たちが、軍用機にしがみつく庶民を振り落として離陸する報道映像を見た時のこと…。
アメリカでジョージ・フロイドさんが警察官に押さえつけられ、息の音が止まるまでの数分のスマホビデオを見せつけられた時のこと…。
圧倒的に強い者が、どうしようもなく弱いものを暴力でなぎ倒していく様子を目の当たりにするのはあまりにも惨い。
ロシア軍はウクライナ東部にある最大原発も手中に収め、今日、チェルノブイリを掌握したらしい。核兵器を持たずとも、核武装することはこれほど容易なのか。
「今日まで銃をもったこともなかった」と語るウクライナの若い志願兵が命を差し出すのを生放送で見ていろというのか。
かつてはスタンドアップコメディアンだった大統領が捉えられ、拷問と処刑の顛末を迎えるのを黙ってみていなければならないのか。
大帝国への執着と被害妄想の間で狂う独裁者が暴走するとき、ただ茫然と見ていなければならないのか。
虚しい。