ドイツはウクライナから遠く離れているのだろうか。いや、地理的には決して遠くない。けれど、さまざまな面でやはり遠く離れているとも言える。
ウクライナにロシアが侵攻して6か月が経った。初めの頃の緊迫感はやや薄れ、最近ウクライナの反撃で多少増えたとはいえ、戦況を伝えるメディアの報道は減ってきている。ドイツ人にとってただいまの関心は、この秋冬、ロシアからの供給が激減して起きているエネルギー危機をどうやって乗り切るか、この一言に尽きる。
ヨーロッパにおけるドイツの位置は微妙だ。ウクライナと国境を接してはいないが、かといって、スペインやイギリスのようにまったく遠いとも言えない。東西冷戦の時代、ドイツはまさに西側最前線に位置していた。そのような地理的関係・歴史的経験が、今のウクライナ戦争に対するドイツの態度に影を落としている。
ウクライナから避難民がもっとも多く押し寄せたのは、隣国ポーランド。しかし、ハンガリーやルーマニアに次いで多いのはドイツだ。8月末現在でドイツに入国したのは97万人。ドイツ内務省の調査によれば、避難民のうち84%は女性で、そのうち58%はこどもと一緒に避難しており、平均年齢は38歳。92%はウクライナで仕事をしていたか、職業訓練中であった。また、42%はドイツに当面は滞在したいと考えている。
これらの人々が急激に押し寄せたドイツでは、行政の現場はもちろん大混乱だった。ただし、もっとも避難民の数が多かった、筆者が在住するノルトラインヴェストファーレン州では、民間の積極的な救援申し出もあり、なんとか問題を克服してきた。
日本人の目から見ると住宅費補助、ドイツ語習得支援、電車の乗車券やスマホのSimカードの無償提供などを含めて手厚い支援がなされていたと思う。自宅で、ウクライナ避難民に部屋を提供する人々も数多くいた。
コロナ禍がやっと収束した春ごろには、ウクライナを支援しようとさまざまなチャリティイベントが行われた。私が活動している、当地在住の日本人を中心としたNPOでもウクライナ支援チャリティコンサートを開催した。
そういう急性期を過ぎた今、先にも述べたように、表面からは比較的後退したが、ウクライナの戦争は、ドイツ社会の中により深く入り込んでいる。そして、日常のさまざまな局面で私たちは戦争という悪に直面しており、この経緯こそ、ドイツの遠くて近い立ち位置なのだと思う。
その中で、私が実際に経験したことをいくつか述べてみたい。筆者の本業はデュッセルドルフの公文式教室の指導者である。といっても、生徒は日本人ばかりではなく、ドイツ人やドイツの社会に暮らす移民のこどもたちも多数いる。ここに、ウクライナのこどもたちが新しく入会してきた。
実は、この戦争の余波で、デュッセルドルフとその近郊に、ウクライナから300人の孤児たちがやってきたのだ。もともとウクライナの孤児施設などに分散して生活していた孤児たちが、戦争で責任者たちが面倒を見きれなくなってドイツまで流れてきたという話。この衝撃的な事実をデュッセルドルフのウクライナ領事館が把握して、このこどもたちの支援が始まった。その一環として、うちの公文式教室に、事務局から学習無償提供の許可を得てウクライナのこどもたちが来てはや1か月。夏休みの宿題も、ドイツのこどもたちはたいてい余らせてくるが、彼らは一人以外、ちゃんと全部やってきていた。
さて、先日のこと。また一人新しくウクライナのこどもがやってきて、入会用のテスト選びの段になって、はたと困った。その日は、付き添いのドイツ語通訳がいなかったのだ。
「これから三つのテストを見せるから、じっくり見て、自分でできると思えるテストを一つ選んでね」
これウクライナ語/ロシア語でどうやって理解させようか…。スマホのトランスレーターは使い勝手が悪いし、複文になると、誤訳が多い。
う~む、困った!
しかし、その瞬間、ウクライナ人の生徒の横に立っていたのは、ロシア人の生徒フィル、おお、天の助け!
「フィル、ちょっと通訳してくれる?」
そこですらすらすらと、彼は私の言葉をウクライナの子に通訳してくれたのだ! 実は、フィルがロシア語をしゃべっているのを、そのとき初めて聞いた私。私の言葉をロシア語に、ウクライナの言葉をドイツ語によどみなく訳してくれて、みごと意思疎通ができた。
そのあと、二人は「どうしてロシア語ができるの?」「だって、僕、ロシア人だから」という会話を交わしていた(と私は理解した)のであった。自分の言葉を理解してくれる人に出会って、すごくうれしそうだったウクライナ人の生徒。そして、フィルも、自分がちゃんと通訳したというので、ちょっぴり誇らしげな表情。そうだよね、こどもたちの世界にロシアもウクライナも何もない。ちょっと感動したひとときだった。
だが、その翌日。今度は教室にアンナがやってきた。なんとなく元気がない。その日、教室で彼女が学習していたとき、母親が私に憂鬱な表情で話しかけてきた。
「実は、アンナが学校でいじめられていて…。」
えっと聞いた私に母親が言うには、「アンナのクラスにたくさんウクライナのこどもたちが入ってきて。それで、うちの子は、ロシア人だというので、みんなでいじめるんです」。アンナの通っている学校は、ユダヤ人学校。ユダヤ人が主体だが、東欧革命の後、ロシアからドイツに引き揚げてきたユダヤ系のこどもたちも何人かいる。そこでの一場面。「みんなに、『ウクライナとロシアとどっちにつくんだ?』と問い詰められて、うちの子は、悔しくて『ロシアよ』と答えて、さらにいじめがひどくなったんです。」
この話は、とてもせつなかった。一人一人のこどもたちには、戦争を超えることもできるのに、集団になると、こどもたちでもやはり戦争とは無縁でいられないことをあらためて思った。
さて、またその数日後。今度は新しく入会してきたロシア人の子の母親。ひととおり、こどもの学力診断テストをして、その母親と面談をしたとき、私は気を遣って、「今は大変な時期ですね」と声をかけた。すると、彼女はきっぱりと言い始めた。
「言わせていただいていいですか。私はロシアの側につきます。ドイツにはもう20年住んでいます。でも、私の心はロシアにあるのです。」
そして、そのあと延々と、ウクライナとロシアの浅からぬ関係、どれほどロシアがウクライナを支援してきたか、それなのに、ウクライナがそのロシアを裏切ったかというプーチンの演説のような話を始めた。途中で私が「でも、ウクライナは独立した主権国家ですよ」と反論しても聞く耳持たず。こんなにドイツや西側のメディアに接していても、それをフェイクと言ってのける彼女に正直驚いた。
そのロシア人の母親が、こどもが学習しているのを待合室で待っているとき、また新しい生徒の母親がやってきた。その二人に少しの間、そこにいてもらって、戻ってきてみたら、彼女らは打ち解けたように、ロシア語で親しく話をしている。あれ、この人もロシア人だったのかと思って聞いてみたらベラルーシ人。教室の奥の方では、ウクライナ人のマリアが学習している。この子の祖母はキーウに住んでいたのだが、戦争が勃発して、両親がその祖母をポーランド国境まで迎えに行ったという。
エピソードをつないだが、これが私の日常の仕事の風景。多文化が加速度的に進行するドイツで、戦争がさまざまな分断を呼ぶ。真正に遠く離れた日本では、ウクライナ戦争でにわかに国防がアクチュアルな話題となり、台湾有事が叫ばれている。その議論の軽さ、リアリティのなさ。戦争は、戦闘に参加する当事者だけでなく、戦場から遠く離れた地域でも、人々の関係を徹底的に破壊する。以前、在日コリアンの友人はこう言っていた。
「戦争が起きたら、私たちは真っ先に殺される。」
現代というグローバルな時代、多様な背景を持つ人々が、社会の中で時には緊張感を伴いつつも、なんとか共存の関係を保っている。ここで何よりも重要なのは、戦争に備えて軍備を拡張することではなく、まずは自国の政府に絶対に戦争をさせないことなのだ。
「人間の安全保障」が今ほど叫ばれる時代もあるまい。自分の身の回りの人間関係を丁寧に構築し、意思疎通を図り、そして政治に積極的に参加する。ウクライナの戦争が私たちに突き付けているのは、この重要性にほかならないと、日ごとの仕事のかたわら痛感するのである。
<初出:WAN、2022年9月8日。許可を得て、加筆・修正の上、転載>
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