今年も、3.11が近づく。6年目となる今、日本では、東京オリンピックに向けて、「アンダーコントロール」の言葉に呪縛されたかのように、原発再稼働、避難地区解除、支援打ち切りなどが粛々と進められようとしている。2月19日、霧雨の日曜午後。ドイツの地方都市アーヘンの公民館には、フクシマから学ぼうとするドイツ人が続々と集まり、日本からやってきた一人の女性の話に聞き入った。フクシマの伝道師、おしどりマコさんが語る教訓を一つも聞き逃しまいとするように。
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抵抗するアーヘン市民
アーヘンは、オランダとベルギーとドイツが交わる国境上にあるような人口24万人余りのドイツの地方都市だ。その歴史は古代ローマ帝国にさかのぼり、8世紀末にはフランク王国のカール大帝が居城を築いた。以来16世紀まで、歴代の神聖ローマ皇帝は皆、アーヘンの大聖堂で戴冠式を行なったという由緒ある土地柄だ。
フクシマ事故以降、脱原発が確固たるものとなり、ぶれることのないドイツでは、「原発は安全」「原発は安い」「原発なしのエネルギー政策は非現実的」というような、日本ではあの大事故を経ても未だに真面目顔で語られる神話は、今やもう誰も信じない昔話だったとの認識が社会に広く深く浸透している。原発や化石燃料に頼らないエネルギー政策には、資金と時間がたっぷりかかる。それを覚悟して、本腰を入れた産官民一体となった長期的努力は、着実に実を結び始めている。黙々と冬に備えて働いたアリと、バイオリンに自己陶酔して過ごしたキリギリスのイソップ童話を彷彿とさせる。ドイツは、2020年までに、全エネルギー消費に占める再生エネ比率を18%とするという目標(電力、運輸、暖房分野を合わせて)を、2015年時点ですでにクリアし、こと電力だけに関していえば2020年までに少なくとも35%、2050年までには80%を再生エネ転換できる見通しがついている 。
原発は危険との認識は、地方都市アーヘンでも明確だ。いや、他の地方以上に、危機感が強い。ベルギーの老朽原発が遠くないからだ。ベルギーでは、一度は2025年の脱原発を宣言したものの、お家の事情で、稼働期限をじわりじわりと延長させている。ここ数年は、圧力容器の微細なひび割れなどの問題が次々と発覚し、昨年はテロ攻撃のリスクが現実となりながらも、周辺市民の生存権よりも、経済や電力供給が優先されてきた。アーヘンから最も近いベルギーのティアンジュ原発までは直線距離で60km余り。アーヘン市民にとって他人事ではすまされない。市内のあちこちには、「ティアンジュを止めよ」というポスターやステッカーがそこかしこに見られる。「しかたがない」では済まさない。市民の意識は高く、抵抗が続く。
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オールラウンドなフクシマの伝道師
この日、アーヘン市民が集まったのは、フクシマを追い続ける芸人ジャーナリスト、おしどりマコさんとそれを支えるケンさんの二人の講演だ。日本では、ほとんど知られていないマコ・ケンのご両人は、毎年ドイツを訪れ、ドイツ各地の市民の集まりで引っ張りだこ。今年も、フランクフルト、マインツ、シュトゥットガルトなどの都市や周辺の高校や公民館などで計10回の講演が目白押しだ。その合間に原発関連の取材も入る超過密スケジュールをこなした。この日は小さな地方都市での開催だったので、主催者もどれだけの人が集まるか読めない不安もあった。しかし、講演予定の3時頃になると、予想を大きく上回る120名が集まった。
集まったのは、老若男女、子供連れのお母さんも、若いカップルも、いかにも学識のありそうな紳士も、老夫婦も。彼らに尋ねてみると、「フクシマの情報は、チェルノブイリ以上に集めにくくなった」「学者や政治家の話はずいぶん聞いたが、市民の目線で聞きたかった。」などの声が返って来た。
マコさんの話では、東電の記者会見への出席者は漸減し、昨年には一握り程度まで減ってしまったという。大手メディアのサラリーマン記者は人事異動でどんどん入れ替わるし、仲の良かった記者の3名は自殺してしまったそうだ。理由はいろいろあれど、同業者からのイジメ、ネトウヨや公安のストーカーまがいの追跡はすさまじいという。それでも、マコ・ケンさんは、来る日も来る日も、放射能に汚染されたフクシマの地を訪ね、農業や漁業に関わる地元民の話を直接聞いてきた。仮設住宅や全国の避難者を訪ね、甲状腺がんが見つかった子供たちやその親御さんと話し、子どもの保養を続けるNGOや、原発訴訟に立ち向かう人々と語り合う。同時に、世界各地の放射線学会に出席し、放射線廃棄物処分場や放射能検査機関を見学し、こうして、日本中どころか、世界中の学者や政治家や市民たちと絆を深めてきた。
原子力の専門家は、放射線核種や汚染水の話はできても、避難所で暮らす人々の日常を知らないし、除染の実態や甲状腺がんの親子の不安を語れない。放射線の専門医は、原発訴訟の進捗状況を知りもしない。だが、マコ・ケンさんは、その全てを自ら取材し、市民の目線で語ることのできるオールラウンドなフクシマの伝道師なのだ。
芸人に原子力や医学の話がわかるはずはないなどと思うなら、失礼だ。マコさんは、阪神大震災での体験から、本質的な人の幸せに役立ちたいと、医師になることを放棄した元医大生だ。化学や物理を理解し、数字にも強い。その上、集まる聴衆の興味をいち早く察知して、どんな人にも分かりやすく話すことのできるプロのコミュニケーター。異文化を背景とする聴衆に対しても、通訳を介しても通じるように、気転を聞かせながら語る話術には脱帽だ。
ユーモアと皮肉を織り混ぜて
アーヘン市民が最も知りたいのは、事故後、大気中の放射能汚染がどのように、いかにして拡散していったかということだ。いくつもの観測地図を用いながら、半径20キロといった線引きがいかに無意味であるかを説明。迅速で正確な計測の重要性を、今回ドイツ・ハノーバーで取材した物理工学研究所で得た知見を引き合いに出して語った。フクシマ事故後、大気中に放たれた放射能は約10日で地球を一周したとされるが、なんと、このハノーバーの研究所では、爆発からたった数日しか経ていない3月20日には、広い範囲の放射線核種の計測が始まり、半減期が2.5時間、3日と極めて短いヨウ素132やテルル132ですら計測していたというのだ。このようなデータは当事国の日本にはまったくないとマコさんはいう。
ドイツでは、住環境の汚染や食の安全への意識が極めて高い。マコさんは、この春、避難解除となり帰還する農業者に対し、国が実施している講習会での驚くべき国のアドバイスを、配られたパンフレットなどを見せた。被ばくを防ぐために身体を露出しない服装で農作業すること、放射能の高いところでは、「なるべく息を留めて」と指導されたと伝えると、会場から失笑が沸いた。農作物の汚染を尋ねられると、「基準値を超えるものはほとんどありません。」と安心コメントを返してから、「瞬間的な検査方法で、セシウムしか計っていませんが」と付けくわえた。海に流される汚染水のテーマになると、「ストロンチウム90の骨への取り込み実態はどうか」との突っ込んだ質問がなされた。後で尋ねてみると、この方は医師だった。マコさんは、「近海で獲れた魚の骨への研究はあるが、人間の骨へのデータは見たことがない」と即座に答えた。「除染して取り除かれた土はどうするのか」との質問には、SF映画のような黒いフレコンバック山積みの光景を見せながら、「昨年、国は、世界でも前例のない画期的解決法」に決めたと皮肉を込めて伝えた。つまり、1㎏あたり8,000ベクレル以下の汚染土は、焼却処分するか、全国の公共建築で再生利用すると。事故前には、100ベクレル/kgあれば、放射性廃棄物処理施設で長期間隔離保管されていたというのに。
人類史に残る貴重な情報を分かち合おうとする二人は、外国にいてさえも、日本お公安が執拗に付きまとうという。これを聞いた聴衆の一人は、まるでナチス時代のゲシュタポのようだと表情を曇らせた。
足掛け6年の時間とエネルギーをかけた知の集積を、より多くの人と分かち合うとするマコ・ケンさん。かけがいのない地球を汚染する原発という愚行から、ドイツ人は真摯に学ぼうとしている。日本人は、何を学ぶのだろうか
おしどりマコ・ケン「災害に生きる」アーヘン講演会
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トップ写真:アーヘン講演に集まった地元のドイツ人たち©MUELLER Klaus