コロナ禍で立ち止まり、考えた。
私達の地球は「温暖化」なんていう生やさしい段階を通り越してしまっているのではないか。2015年パリ協定目標やら、昨年秋のCOP26でなんとかこぎつけた合意なんかでは、もう取り返しがつかないほど壊れてしまっているのではないか。臨界点を越え、坂道を猛烈な勢いで転げ落ち始めているのではないか、と。
世界中でいろいろな人々が、コロナ以降の世界を模索し始めた。恐ろしくなるような災害のニュースやデータばかりだけれど、それでも私が住む欧州には、なんとか次の世代に少しでもベターな地球を手渡そうとする、前向きな人がたくさんいる。だから、そんな努力の数々を学びながら、思考と模索の旅を書き残したいと思うようになった。
数え上げればきりがない不吉な兆候
パンデミックを引き起こした新型コロナウィルスは、実は、地球環境の破壊でこれまでの安住の居場所を失ったウィルスたちが、やむなくヒトの身体に引っ越ししているのだという生物学者の解説がストンと腑に落ちた。こうしたウィルスやバクテリアの大移動は、今のCOVID19パンデミックが収まっても、この先、次々と起こるだろうと予測できるほど、地球は壊されている。
これを書いている今も、突然のゲリラ豪雨がバリバリと音を立てている。真冬だというのに外気温は15℃もあって、生ぬるい風が吹く。夏にはドイツやベルギーでも予想を超える集中豪雨による鉄砲水や土砂流で多くの村や町が根こそぎにされた。南欧では40℃を越えるような猛暑の中、厳重警戒していても山火事が広範囲に広がった。こんなことは、私が渡欧して30年で初めてのこと。
2021年7月の集中豪雨はベルギー南部の街を飲み込んだ By Xofc – Own work, CC BY-SA 4.0
IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の第6次報告書は、とうとう地球規模の気候危機は人間によってもたらされたことは「疑う余地がない」と断定した。今やっている程度の手ぬるいCO2削減努力では、2040年までに早くも気温が1.5℃上昇してしまい、予想を超えた極端な気象現象も起こりうると科学者らは警告を鳴らす。私達が今目撃しているゲリラ豪雨や山火事やパンデミックなどは、実は、これから始まる恐ろしい事態のはじめの一歩でしかないのだと考えると震えてしまう。SF映画のような恐ろしい世界の変化は、メタバースの世界ばかりでなく、リアルな世界でもどんどん進んでしまっているらしい。
周りには未来を憂うグレタだらけ
大人世代の「やってるフリ」に怒りの声を上げて、ストックホルムの議会前でたった一人の学校ストライキを始めたグレタ・トゥーンベリ。その行動が、欧州中、世界中の若者に共感され、連帯の波がみるみるうちに広がったのは2018年のことだった。今では、世界中にそれぞれのグレタがいる。日本でも大学生環境活動家の中村涼夏さんが出てきたけれど、世の大人たちは「世間を知らないおこちゃま」「過激すぎる気候原理主義の若者」などと冷ややかなようだ。
グレタは一人じゃない。世界中にグレタがあふれている ©Youth for Climate
EUや欧米の国々では、彼らの行動や言葉は、多くの大人をも触発し、少なからぬ人々を動かし、野心的な軌道修正を求める環境政党が躍進した。
「何のために勉強するの? 僕が大きくなる頃には、もうこの地球はすっかり壊れてしまっているというのに」
私の周りでは、コロナ禍にオンライン授業を受ける小学生や中学生が、パパやママと並んでタブレットを広げながら、やるせなさを持て余している。
エコ不安症を患う子どもたち
こんな症状をEco-Anxiety(エコ不安症)と呼ぶことを報道から知った。欧州の学校では、小さいころから、あらゆる教科や機会を通じて、いま起きている地球環境の破壊について繰り返し学ぶ。九九や書き取りよりも、ずっと重要なテーマであるとの認識も強い。多くの小中学生がベジタリアンになろうとしたり、プラスチック製品を買うな、使うなと親をたしなめたりし始めた。
欧州のクライメート・マーチには不安げな子供たちも多数参加する ©Kurita
でも、実は子どもたちは、知れば知るほど未来への不安や恐怖が沸き起こり、無力感、悲しみ、怒り、恐れ、絶望にさいなまれている。気分が落ち込んで、摂食障害、不眠、そして鬱などに陥る子どもたちも増加しているという。
目の前の課題や目標だけを追いかけていれば、大きな不安から逃避することができる。だから、宿題や受験勉強にだけ集中するのも、スマホやタブレットのゲームでメタバースの世界に浸ろうとするのも、逃避行動なのだとメディアは伝える。そして、それは子どもや若者ばかりか大人にも及んでいる。
ツケを回し続けて
私のような戦後世代は、人生のもっともよい時を、右肩あがりの経済成長期に生きてきた。気が付くと家にはテレビがあり、白黒からカラー、音声多重から、地デジになった。父の収入は当たり前のように毎年増え、公団住宅からマンションへ、そして一戸建てへと移った。まわりもみんなそうだったから、「経済成長」は当然で、社会は毎年豊かになると思って疑いもしなかった。
科学技術は万能だと思い込んでいた。生まれ育った町で大気汚染が深刻になれば、郊外に引っ越せば解決すると思っていた。石油資源が枯渇しそうだと聞けば、原子力が明るい未来をもたらすと信じた。コンビニがあれば、食品廃棄もレジ袋もペットボトルも気にならなかった。「便利」を「豊か」だと思い込んでいた。
気が付くと、いつも問題を地球の別の場所へ、次の世代へと、時空を超えて見えなくしてきただけだった。たった一世代、100年足らずの間に、先祖から受け継いできた地球という財産を、使いまくり、枯渇させて、まったく違った姿にしてしまったことに気づいてしまった。私一人でなく、みんなで渡ってきた赤信号? そうだとしても、焦燥感と罪悪感に押しつぶされそうになる。
COP26でプラゴミ廃絶を訴えるグローバルサウスからの若い活動家 ©Nina Arisandi, ECOTON, Zero Plastic Europe
昭和世代にできること
昭和生まれの私は今、人生最後のストレッチのスタート地点にいる。
自分だけが悪かったわけじゃないと逃げることもできる…
自分に何ができるとこれまで通りを続けることもできる…
後はよろしくと逃げ切れるかもしれない…
でも、まだ、何かできるかもしれない。
北極の氷は臨界点を越えて溶け続け、白熊が絶滅する日はもう遠くない ©Andreas Weith, CC BY-SA 4.0
世界中のいろいろな人が、コロナ後の持続可能な世界への考察を深めて提言している。日本でも、斎藤幸平氏の「人新世の資本論」がベストセラーになって、SDGsなんて大衆のアヘンでしかないと発言している。宮台真二氏が、「公け感覚」の乏しい大きな国家社会よりも、その人のためなら、ひと肌脱げる仲間を作って、小さな社会で民主主義を再構築することを薦める。中島岳志氏が、「利他」(Altruism)なくしては未来はない、と研究プロジェクトを立ち上げた。世界はたくさんのヒントやキーワードに満ちている。でも、学者たちの仮説や理論的フレームワークだけでは、実際どうすればいいのか見えてこない。
自分の周りに目を向けてみると、グレタを生んだ欧州には、壊れ落ちつつある地球という惑星のために、できることからすでに始めている人たちがかなりいることに気づいた。
無駄なあがきと笑う人もいるだろう。加速主義者も、運命論者もいるだろう。
でも、物知り顔で何もしないでいるよりも、砂漠かもしれない荒野に水をまき続ける一人でありたいと私は思う。身に余る大きな荷物にため息をついても、見知らぬ誰かが、一緒に持って歩こう、と言ってくれるかもしれないから。
行動する人々を訪ねて
地元地域で、パーマカルチャー(permaculture、化学ではなく自然界の原則を重視した農耕中心の社会システム)や養蜂グループに取り組む人々がいる。弱者との共生を中心に据えた参加型コミュニティが、欧州中のあちこちで果敢にチャレンジされている。経済成長や消費だけを前提としない社会のあり方を追求する人々がいる。食品廃棄を大幅削減することに社会の価値が置かれている。飛行機より電車を、ガソリン車よりEVを好み、プラスチックを拒絶し、カーボンニュートラルな生き方にチャレンジする仲間が増えた。高齢者や若者や移民やシングルマザーが助け合って共に生きるプロジェクトが、あちこちで始動している。
身の周りから、手の届くところから、仲間を見つけ、行動している。そんな人々を訪ね、語り、考え、動きだせば、光が見えてくるように思う。何かが変わりつつあることを目撃できるような予感がある。
空き地を利用した共同農園があちこちで広がる ©Kurita
そして、この探求と思考の旅を書き残したいと考えている。私達の地球を、少しはマシな状態で、Z世代に手渡すために。
この探索と思考の旅に出ませんか?