確かに欧州ではここのところ、循環経済(サーキュラー・エコノミー)の必要性が、声高に叫ばれている。
私は今日も電動自転車に乗って買い物に出かけ、空き瓶を自治体所定のコンテナに捨てに行った。食事にはオーガニック食品を使い、衣類はなるべく流行に左右されないデザインのものを長く着ている。
でも、そんなふうに個人レベルではできるだけサステナブルな生活を心がけても、一日の終わりには必ずゴミが出て、劣化した耐久消費財はやがて廃品となる。ゴミや廃品の処理は個人でなく、自治体の仕事だ。ゴミがゴミとして処理される以上、そこには自動的に地球環境への負荷が発生する。だから、一個人や一家庭の努力は結果的に、家の中だけのささやかな自己満足に終わってしまう。それが現在、先進国に住む大多数の市民の現実だろう。斎藤幸平氏が『人新世の「資本論」』の中で「SDGsは大衆のアヘンだ」と評する現況は、私の日常を指している。
気休めのSDGsから破綻なき循環経済へ
だから、前回紹介したアムステルダムのように、生産者や企業が政府や自治体、市民とともに取り組み、極力ゴミや廃品を出さないように社会全体のシステムを設計し直していくしか、残された道はないと感じている。産業革命以来の経済モデルだった大量生産、大量消費、大量廃棄という一方通行の「線形経済」から脱し、使用後の製品を極力資源として再利用して「ゼロ・ウェイスト」(廃棄物ゼロ)を実現する「循環経済」の実践だ。
EUでは「欧州グリーンディール」の行動計画の下、各加盟国、自治体へとトップダウンで取り組みが展開されているが、それはアムステルダムのような大都市だけではない。循環経済の先進国オランダでは、ごく小さな地方都市においてさえ、さりげなく最先端のコンセプトが策定され、実行されている。今回は、そのフェンロ市を紹介したい。同市は私が住むドイツと国境を接しており、自宅からフェンロ市境までは数キロの距離だ。
地方都市で進行する「ゆりかご経済」への移行
フェンロ市の人口は10万人強。埼玉県富士見市と同じくらいの規模だ。これという観光名所もなく、著名企業の拠点もない。しかし、この小さな町は、“Venlo 2030“ の標語を掲げ、循環経済を軸としながら2030年までにイノベーション推進、教育レベルの向上、中心部の再開発などを通じて、次世代適応の最先端都市に生まれ変わることを目指している。スローガンは 「People, profit, planet」。People(私たち)、Profit(利益=経済)、Planet(地球)。そのどれも欠くことなく、同じ比重で三者が共存してこそ、しわ寄せや破綻を起こさずに人類と地球がともに立ち行き、それがひいては市民に最善の生活環境を提供することになる、という哲学である。
フェンロ市が計画実現にあたり、具体的なコンセプトとして採用したのが「ゆりかごからゆりかごへ」(Cradle to Cradle、以下C2C)という循環経済メソードだ。
環境だけでなく健康や倫理を含めたコンセプト
C2Cは、ドイツの化学者ミヒャエル・ブラウンガルト(Michael Braungart)と米国の建築家ウィリアム・マクドナー(William McDonough)が開発した事業モデルである。「ゆりかごから墓場まで」は、第二次大戦後に英国が福祉充実を訴えた際のスローガンだが、これをもじった「ゆりかごからゆりかごへ」は、従来の線形経済から循環経済への転換を基本としている。製造業者を主なターゲットとして2000年代から本格展開しており、世界中で少しずつ導入企業を増やしつつある。
C2Cは導入企業にとって操業体制の抜本的な見直しを必要とする、総合的なコンセプトだ。C2Cはその柱として、製品使用後には材料や部品を再利用する、再生エネルギーを利用する、原材料に極力化学物質を使わないなどの5分野で評価基準を設け、これをクリアした企業または製品に「C2C認証」を付与する。
リユーズやリサイクルで「ゼロ・ウェイスト」を追求する点は循環経済と同一だが、それ以上に私たちの健康や社会的公正といった倫理的要素も包括しており、人間の生活全体のクオリティ向上を目指す。アムステルダムが採用した英国のケイト・ラワース氏のドーナツ型モデルにも通じるところがある。
過去20年間で全世界で約300社がC2Cを導入し、約8000品目の製品がC2C認証を受けた。化粧品のアヴェダ、アンダーウェアのトリンプなどが一例で、車のフォードや家電のフィリップスなど大手メーカーがC2Cと協業した実績もある。日本では漆喰メーカー田川産業の一部建材もC2C認証を受けている。自治体としてC2Cを導入したのはフェンロが世界で初めてだ。
気分は新空港のロビー
フェンロのC2Cを体感するため、2016年に建設し、C2Cのショールーム的役割を果たしている新市庁舎を訪ねてみた。
自宅から自転車で走ること30分。国境ゾーンの緑地を横切り、オランダ側の新興住宅地を抜け、市の中心部にあるフェンロ中央駅に近づいていくと、新市庁舎は、駅の裏手に見紛うことなく、くっきりとその輪郭を現した。たっぷりした緑の植物で覆われた外壁が、中心部のグレーな風景の中でとてもさわやかに見える。建物のすぐ向こうには、マース川が蕩々と流れている。
総ガラス張りに近い、天井の高い吹き抜けの入口ホールに足を踏み入れる。内部はどこまでも明るい。ガラスとコンクリートによる直線的な構成は普通のオフィスビルと変わらないが、階段などに木材が多用され、また、オフィス椅子やベンチが布張りであるために、館内に温かい手ざわりが生まれている。そして、全館がゆったり、広々していて、新しい空港のロビーにでもいるような気分だ。
市民が手続きをするための窓口カウンターと待合スペースの間には境界がなく、うっかり歩き回っていると、突然コピー機の前に出たりする。市民も職員も、ここに集う誰もがリラックスできる空間であることが、すぐに感じられた。
サプライヤーとの残存価格契約
フェンロ新市庁舎は、C2Cをひとつの建築物のスケールで実践している。
まず、原材料の再利用がある。建物や内装に使われている材料のほとんどは、使用後に再利用することが可能だ。それだけでなく、フェンロ市は市庁舎作りの入札時に、サプライヤー各社と使用後の製品引き取りに関する契約を締結した。オフィス什器が不要になったら、サプライヤーが購入価格に対して一定比率の残存価格を払い戻す形で製品を引き取るという内容だ。製品がリユーズ・リサイクルを前提に生産されているからこそ、こうした契約も可能になる。各社は引き取った製品を自社の責任で再利用する。この契約によって、フェンロ市には10年後時点での残存価格30万ユーロ(約4200万円)がすでに保証され、40年利用を想定した投下資本利益率(ROI)は11.5%に上るという。
こうして搬入されたオフィス什器のほとんどはC2C認証を受けている。たとえば、オフィス椅子はバラバラに解体して、部品ごとに交換またはリサイクルできる。内装に使われている木材のメーカーは、製造のために伐採した樹木の本数分を新たに植樹して、カーボンニュートラルを目指す。床材は有害物質を含まないだけでなく、空気中の粉塵を吸収して屋内をクリーンに維持する機能も備えている。
エネルギー消費量は3分の1に
C2Cでは、再生可能エネルギーの利用も大きなポイントだ。フェンロ市庁舎では100%再生可能エネルギーを使い、このうち60%を自己調達している。建物の壁全体が3層の断熱材で覆われている効果と相まって、エネルギー消費量は旧市庁舎の3分の1になった。
建物はさまざまな手段を通じて自然エネルギーを獲得している。屋上には1300m平方メートルのソーラーパネル、温水ヒーター、熱冷貯蔵装置、ソーラーチムニー、地上階にはヒートポンプなど、自然エネルギーを最大限利用するための設備が揃っている。建物南側には、延べ1000平方メートルのソーラーパネルが窓枠と合体する形で取り付けられ、日除けの役割も果たしながら電力を供給する。年間を通じて一定温度を提供する地下水が、地下駐車場から屋上まで全館の床下を循環し、年間を通じて館内温度を冬は暖かく、夏は涼しいものに保つ。水は飲料水、雨水、汚水など5種類に分類され、飲料水以外はそれぞれにフィルター濾過など必要な処理を施した後、再利用されている。
屋外よりクリーンな館内の空気
こうしたエネルギー利用措置は同時に、館内の空気の質を改善する機能も備えている。屋上西側の一角はそっくりガラス張りの温室構造で、一面の壁が建物の北側外壁と同様の「グリーンウォール」を構成している。植物が建物内に酸素と適度な湿度を提供しつつ、冬には館内の空気を温める。また、建物の吹き抜け構造との相乗効果で、館内に自然な換気効果も生まれている。プロジェクトマネジャーのミヒェル ・ヴェイヤース(Michel Weijers)氏は、この空間を「建物の肺にあたります」と表現する。屋上のソーラーチムニーもまた自然な空気流を促すため、館内の空気は2時間ごとにそっくり入れ替わり、屋内の空気は屋外よりずっとクリーンだという。
グリーンウォールは、すがすがしい雰囲気だけでなく、ヘルシーな空気も送り出す。
館内だけではなく、市庁舎は外に向けても貢献している。筆者が到着したときに見た建物北側のグリーンウォールは、面積2200平方メートル、100種類以上の植物で覆われており、この緑の壁を通して中から外に出ていく空気は、建物を中心に直径500メートル圏内の大気の二酸化炭素を吸収し、粉塵の30%を浄化する。さらに夏は熱気を、冬は寒気を和らげ、車や電車の騒音を遮る効果もあるという。
ヘルシーで心地良い空間
こうして細部を見ていくと、最新技術によるサステナビリティーに感動するのだが、それ以上に、フェンロ市が館内で働く職員のウェルビーイングを強調しているのが印象に残った。ヴェイヤース氏はインタビューの中で、「職員が最適のコンディションで公務を遂行できるように」と繰り返し語っている。職場環境が整えば能率が上がり、結果的に病欠も減る。市にとっては大きなメリットだ。事実、竣工後初年度の職員病欠日数は1.5%減少した。
みんなが生き生きと働けるようにとの配慮は、C2Cの実践だけでなく、階段を広く取った設計にも表れている。明るい色調の木をふんだんに使った階段は見た目にも優美で、使ってみたくなる。エレベーターでなく階段を足で昇降すれば、身体によいだけでなく、同僚と行き交うことで会話も生まれる。「コミュニケーション階段です」とヴェイヤース氏。屋上テラスが3カ所あり、天気のいい日にはノートパソコンで仕事をすることもできる。
経済効果を保証しウェルビーイングも配慮
フェンロ市の当初の建設予算は5000万ユーロ(約70億円)。C2Cを導入することになって340万ユーロ(約4億8000万円)の追加費用が発生した。年度予算としては超過だが、建物が最低40年は利用可能であることを前提とすれば、この間にエネルギー節減と持続可能な投資によって生まれる費用効果は1700万ユーロ(約23億8000万円)に上るという。キャッシュフローは初年度からプラスを維持した。人間と地球に上質のソリューションを提供しながら、C2Cは長期的に見れば事業の財務にも貢献するビジネスモデルなのだ。建物は解体までもが環境に負荷をかけず、簡単にできるという。
フェンロでは市庁舎だけでなく、幼稚園やスポーツ施設もC2Cに準拠して新築され、コンセプトはすでに学校の授業にも導入されている。自らが新しい時代の人間のあり方を提示し、社会を鼓舞することをフェンロ市は企図する。その哲学に、筆者を含め多くの人が共感するのは、フェンロ市が地球環境のサステナビリティーを追求するだけでなく、職員そして市民のウェルビーイングが向上することにも配慮し、それが実現しつつあるからだ。C2Cの導入と実践は、何年もかかる長いプロセスであり、多大なリソースを必要とする。フェンロがそれでもこの大事業に着手したのは、C2C が「planet、people、profit」のすべてに持続可能性を保証する、唯一の手段だと確信したからだ。
今日、気候問題に万人が敏感になっているが、問題解決への技術的取り組みと並行して、私たちのウェルビーイングが看過されない配慮も必要ではないだろうか。「地球と人間を救う」という目標は、日々のストレスで追い詰められがちな私たちには抽象的に過ぎ、冒頭で述べたように射程も大きすぎる。でも、同時に自分自身がもっと幸せになれるという希望がもてれば、積極的に行動しようとするだろう。パンデミックや戦争が続き、心が塞ぎがちな今日、フェンロでそんなふうに考えたのだった。
写真はすべて©C2C Venlo
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