英国の女王エリザベス二世が亡くなり、19日にいよいよ国葬となる。実は、彼女は、英国ばかりでなく、彼女を元首とする他の14の独立国からなる英連邦王国(Commonwealth Realm)の女王でもあったこと、これらの国々を含む旧植民地だった55カ国とともに構成されるコモンウェルス(正式にはCommonwealth of Nations、日本語では英連邦とも)の長でもあったことをご存知だろうか。
コモンウェルス全体の面積は世界の20%を超え、合計人口は24億人(世界の約30%)で、最大級の超国家国際組織。その象徴として頂点にいたのがエリザベス女王だったのだ。
ちなみに、英国は2020年、EUという超国家機構を離脱したが、EU加盟国のマルタやキプロスはコモンウェルスの一員だ。
筆者はかつてオーストラリア人の友人一家が、エリザベス女王を「Our(私達の)」クイーンと呼ぶことに驚いた。確かにオーストラリアやニュージーランドの旗の隅には小さなユニオンジャックが付いているし、お札にもエリザベス女王が描かれている。
第一次大戦中ベルギー・フランス国境付近で戦った英連邦軍には、オーストラリア兵やニュージーランド兵に加え、カナダ兵もインド兵もはるばる船に乗って欧州までやってきて戦った記録を見つけ、植民地時代の大英帝国の意味を改めて肌で感じた。
エリザベス女王が即位したのは、インドやパキスタンの独立を経た1952年のこと。第二次大戦後、旧植民地は次々と独立を宣言して、世界情勢は激動の時期でもあった。そんな中、エリザベス王女は、西アジア、アフリカ、太平洋地域、アメリカ・カリブ周辺にこのような国々を訪問し、「イギリス国王に対する共通の忠誠」という条件を外してでも、コモンウェルスとしての安定した関係確保に努めてきたのだった。
さて、そんな女王の死は、次の時代への変化のうねりをも起こしている。インドの国営放送は、「女王の死は悼むが、君主制の終わりを悲しみはしない」と明言し、ニュージーランドのアーダーン首相も、英国王を君主と戴く君主制を廃止して共和国となる日はそう遠くはないと発言した。ジャマイカなど他の多くの加盟国でも、共和国化や独自の元首選びの気運が高まっている。
本家本元の英連邦王国(United Kingdom of Britain and Northern Ireland)ですら、スコットランドの独立や、北アイルランドのアイルランド共和国との併合の可能性すらあるわけで、エリザベス女王の死は、この70年余り「こういうものだ」と思ってきた英連邦時代の終焉へと展開していくのかもしれない。