4月2日は国連が定めた自閉症啓発デー、その週は発達障害の啓発週間なのをご存知だろうか。
今年、エッフェル塔の麓にあるパリ日本文化会館で、自閉症でアーチスト(autist et artist)の轟修杜(Todoroki Shuto)君の個展が開かれ、4月6日には「インクルーシブ社会~アートと雇用をめぐって」講演会が開かれた。個展は22日まで開催されている。(ご好評につき、更に延長。5月13日までご覧いただけます)
Shuto君は自閉症をもってパリに生まれた。ご両親は日本人だが、兄貴思いのかわいい二人の妹たちと素敵なファミリーはパリ郊外に暮らす。
ご両親は思い考えながら、Shuto君の内に秘めた力を見出し、それを引き出してのびのび育ってほしいと模索した。ピアノ、ヒポセラピー(乗馬セラピー)、フリークライミングといろいろ試した。いつかカラフルなマーカーを手にもったShuto君は、独自の色彩感覚とモチーフの絵柄を描き始めた。ご両親はそれを見逃さなかった。そっと見守りながら、自由に彼らしく描かせてあげたいと、守り育ててきたのだ。
筆者は自閉症や広範性発達障害について、専門課程を履修したことがある。大学で心理学を学んだ頃から、それは自身のライフテーマとなってきた。
今日、自閉症スペクトラム上のどこかにいるであろうと診断がくだる子供の割合はどこの国のどんな人種でもざっくり言って約1割、より広範な発達・学習障害まで含めれば、ある推計では6人に1人とさえ言われる。一学級20人~30人なら、なんらかの発達・学習障害を持つ子供は3~6人くらい、知人友人や親族に一人ぐらいは必ずいるような時代だ。
にも拘わらず、この日、講演にやってきた人に、「自閉症って、治るんでしょう?」と聞かれて答えに詰まった。そうか、実は何も知らない人の方が多いのかもしれない、と。
「自閉症の人って、みんなすっごい才能があるのよね」ともよく聞かれる。自閉症児・者が、いわゆる健常者が持ちえないような秀でた能力(サバント・スキルという)を持っていたり、絵画などのアートで独特の才能を発揮したりすることは、障害者アート(アール・ブリュット)の世界ではそこそこ知られている。だからといって、自閉症者ならだれでもそんな才能を持っているわけではない。Shuto君の才能を見いだして、ここまで伸ばせたのは、ご家族と回りの人々のコミットメントと伴走のたまものなのだと思う。
自閉症に関心を持ち、学び、関わってきたつもりの筆者にも、この個展では知らない発見がたくさんあった。
Shuto君の部屋に積み上げられた用紙と描き損じの紙の山を見ていたので、彼は毎日毎日、来る日も来る日も、量産体制で描き続けているものとばかり思っていた。そして、描き上げてしまえば、ほっぽり出して、また次の絵を機械的に描くだけなのだと思い込んでいた。おそらく両親の希望は、彼の作品をアールブリュットとしてどんどん売って、彼の独立したアーチスト人生をかなえようとしているのかとも。
だが私は間違っていた…。彼は正真正銘のアーチスト。描く気になった時にしか描かない。長い間、まったく絵筆を持たないこともよくあるのだと。そして、一つの作品を丹精込めて仕上げたら、その作品とまるで恋人か親友のような関係を持ち続けるのだということも。だから、ご両親は彼のオリジナル作品を販売しない。どうしても欲しいという人たちには、リトグラフのように、限定数だけ高画質で印刷したものを番号をつけて分けているのだと。
筆者には自閉症についての多少の知識はあっても、アートの造詣はない。でもShuto君の作品には忘れてかけていた懐かしい心を感じる。いつもそばにおいていておきたいような、横にかけておいて話しかけたいような。
インクルーシブな社会が叫ばれて久しい。「包摂」と訳されても、ピンとくる人がどれだけいるだろう。Shuto君の作品に吸い込まれながら、彼の作品はインクルージョンを表現しているのではないかとふと思った。そして、彼を見守るファミリーの姿に、インクルーシブとはこういうことなんだと感じた。
個展はパリ日本文化会館にて再々延長で、5月13日まで開催。
Shuto君の作品はホームページから 。フェースブックはこちら。そして、日本語ホームページはこちらです。
どうぞ、Shuto君の個展開催や作品についてのお問合せもお気軽に。