新型コロナウィルスの感染拡大を予防するため、ドイツでは様々な措置が導入されている。2021年3月15日現在、公共交通機関内や買物時の医療用マスク着用、飲食店の閉店、劇場や映画館の閉館、二世帯の人が会う際の人数制限などがその代表的なものだ。「危機収束のためには仕方がない」と大半の市民が措置に従う一方で、こうした行動制限がドイツの基本法(Grundgesetz、憲法に相当)で保障されている「基本権」(Grundrecht)を侵害しているのではないかという議論が、この国では昨年春のコロナ危機勃発直後から絶えることなく展開されている。
コロナ対策は基本権侵害か
レストランが長期間閉店を強いられることは、確かに「職業の自由」(基本法12条)を制限する。同様に、映画館やプールが閉鎖されているために余暇を楽しめないことは「個人の自由」(同2条)を、大人数が集まる催しが条件付きでしか開催できないことは「集会の自由」(同8条)を、また、休暇目的の旅行ができないことは「移動の自由」(同11条)を制限する。その制限が行き過ぎていると考える市民の中には、措置を無視して生活する者も、裁判所の判断を求めて提訴する者もいる。2020年、ドイツ国内ではコロナ関連で1万件以上もの訴訟案件が審理され(ドイツ裁判官連盟調べ)、430もの判断が下された。
「コロナは怖くないが国の政策が怖い」と訴えるドイツ市民 2020年6月ベルリン ©Leonhard Lenz – CC0
国家は「感染症予防法」により、原則的に市民の基本権の一部を制限することを許されている。それでも訴訟が起きた場合には、各州の行政裁判所は、制限がどこまで「必要な措置」であり、かつ「効果を生むか」を焦点として合憲性を判断する。つまり、目的とそれを達成するための手段のバランスを問う比例原則が適用されるわけだ。こうして各州の行政裁判所では授業中のマスク着用義務を認め、宗教行事やデモを禁止したが、コロナ危機が長期化するにつれ、基本法を管轄する最高機関である連邦憲法裁判所が、これらの判断を覆す事例が出てきた。
民主主義を問い直すチャンス
デモ禁止の判断が覆されたことは、その中でも特に話題を呼んだ。ドイツでは政府のコロナ対策に反対する市民が“Initiative Querdenken“(「水平思考者イニシアティブ」)というネットワークで連帯している。彼らは2020年春の段階では、まるでウィルスなど存在しないかのように、マスクを着用せず、1.5メートル以上の対人間隔も空けずにデモ行進していた。各自治体は感染症予防法に準じてデモを禁止したが、連邦憲法裁判所は「集会の自由に対する基本的権利の重要性」を強調、デモを全面的に禁止することを認めなかった。参加人数を制限し、マスクを着用して対人間隔を守れば、つまり「効果がある範囲内で必要な措置が取られていれば」、デモ開催は合憲であるという判断を下したのだ。
筆者は、こうした議論が徹底的に戦わされるのが、民主主義社会にとって健全なことだと思う。コロナ禍という現実的な課題をめぐって、市民と国家の両方がそれぞれの権利と義務をあらためて問い直すのである。大規模な感染症という想定外の事態に際しては、国家といえども即刻正しい判断を下せるわけではない。危機が長期化する中、刻々と変わりつつある状況下で、それでもドイツ国家は迅速に対策を打ち出し、市民もすぐに反応して賛同や抗議の声を上げている。筆者はそのダイナミズムを高く評価したい。また、司法がコロナ対策を繰り返し検証し、メディアが判例を大きく取り上げることで、市民の政治感覚がさらに鋭敏になる。こうしてオープンな議論が社会を循環してこそ、民主主義は生きたものになるはずだ。無関心からは何も生まれない。
コロナ対策に辟易したデモ隊が、警察と激しくぶつかることも 2020年11月ベルリン©Leonhard Lenz – CC0
コロナウィルス予防ワクチンの接種が進行する中、合憲議論の中心は「接種を受けた人だけに外食やショッピングを許すことは特権か、それとも基本権の回復か」に移りつつある。コロナ禍は民主主義をめぐる議論の材料を与え続けている。
トップ写真:ドイツの「基本法」。注文すれば国から無料配布される。