この映画を見るまで、私は女性作家インゲボルク・バッハマンのことを知らなかった。パウル・ツェランやマックス・フリッチュといった作家たちと愛人関係にあったことを除いては。バッハマンの生誕100年にあたる今年、ドイツ語圏では3冊の評伝が出版され、遅すぎるともいえるバッハマンの再評価が始まっている。その流れの中で、この映画も制作公開されることになったのだが、サンドラ・ヒュラーが出演していなかったら、きっとスルーしていたと思う。 不遇のアーティスト バッハマンは1926年、クラーゲンフルトの生まれ。ウィーン大学で哲学を修め、ドイツの戦後若手作家の集団「47年グループ」のメンバーとして頭角を現し、53年に詩人として初の作品集を出版している。明敏な思考と鋭い感覚がみなぎる作品群で知られ、64年にはドイツ文学界で最も権威あるゲオルグ・ビュヒナー賞を受賞。作家としては順風満帆の人生だったが、私生活では60年代にマックス・フリッチュとの関係が破綻、その後は精神を病んでアルコールと薬物に依存する生活となり、73年に自宅の火災で負った火傷が原因で47歳の生涯を終えている。戦後ドイツ語文学で最高峰の女性作家と評価されながら、悲劇的な生涯がより強調されて後世に伝えられた、不遇のアーティストだ。 インゲボルク・バッハマン。全詩集と『三十歳』『マリーナ』などの作品が日本語にも翻訳されている ©Herbert-List_Magnum-Photos_OSTKREUZ さて、レギーナ・シリング監督による映画『インゲボルク・バッハマン:かつて私であった者』は、バッハマンを「主人公」としながらも、伝記映画でもドキュドラマでもない異色の構成で展開される。舞台はバッハマンが最後に住んでいたローマ、登場人物はザンドラ・ヒュラーたった1人。脚本はなく、唯一の想定は「バッハマンが生涯最後の一日をどのように過ごしたか」だった。撮影前、監督はシーンごとにバッハマン作品から特定のテキストを選び、ヒュラーがこれを朗読、録音しておいて、撮影中にヘッドフォンで聞きながら即興で演技をつけていった。その後の編集段階で、ヒュラーによる朗読をボイスオーバーで各シーンに重ね、さらにバッハマンに関するアーカイブ映像を挟み込んで、102分の作品が完成した。 亡き作家と「交霊する」試み ヒュラーは映画の中で、バッハマンが実際に住んでいたアパートに雰囲気の似た住居の中を、行ったり来たりする。誰とも話さず、かかってきた電話にも出ない。ただコーヒーを沸かしたり、煙草をふかしながらタイプライターをたたいたりする動作があるだけだ。鏡に向かって1人でファッションショーをし、ベランダで倒れて呼吸困難に陥ったりもする。かと思えば、急に車でテヴェレ川まで出かけ、川岸で手足を伸ばして生き生きと踊る場面がある。バッハマンとヒュラーの外見はまったく似ていない。しかもヒュラーは撮影中、バッハマンのそれとはまったく違う髪型の金髪のウィッグをつけている。そこに、バッハマンでもヒュラーでもない「第三の女」が出現する。女は黒い半袖のTシャツと白いパンツを身に着け、その姿は1970年代のようにも、2020年代のようにも見える。観客がそこに見出すのは、時代を超えて逡巡しながら生きる、不特定多数の女性の姿だ。 バッハマン最後の住居に似た雰囲気のアパート。ヒュラーはここで作家その人と交信する9日間を送った ©Elliott Kreyenberg 女はほとんどの時間を、じっと物思いにふけって過ごす。意識は家具や植物やガスレンジには向かわず、内に向かっている。ダンスの場面を除いては、表情はほとんどのシーンで暗く物憂げだ。同時に、何かに極端に集中しているようにも見える。女に台詞は与えられず、オフで聞こえてくるのはバッハマン作品のテキストだけなので、観客が女の具体的な考えまで突き止めることは難しい。それでも、ヒュラーが女の思考の移ろいを完璧に表現し、観客の意識をクギ付けにする。監督と女優の2人は、バッハマンの人物像を明確に描き出すことをあえて避けるというアプローチを取った。「バッハマンという人物に敬意を払い、慎重に彼女に近づくこと」(シリング監督)が原則だったのだ。ヒュラーは撮影中、バッハマンの思いを霊媒のようにたぐり寄せる作業に没頭し、「バッハマンとのチャネリング」(ヒュラー)が実現した。 男性優位主義を批判したフェミニズムの先駆者 一方で、制作者たちが観客に伝えたかった明確なメッセージがある。バッハマンの現代性、特に、戦後の男性優位主義の社会に極めて批判的だった点だ。それは監督がセレクトしたアーカイブ映像と、全編を通じて朗読されるバッハマン作品のテキストとで明らかになる。バッハマンによる朗読会やインタビューの記録映像の中では、「男たちは救いがたく病んでいます。わかりませんか?」「家父長的な社会が男だけでなく女も病気にしている」「(お前たちは)女たちを従えた怪物だ」(短編『ウンディーネが行く』の一部)、といった激しい言葉がほとばしる。礼儀正しく控えめだったと言われるバッハマンだが、心の中では不当な社会に対する強い思いが渦巻いていたことがわかる。 ヒュラーは映画の構想段階からプロジェクトに深く関与した。「彼女は感じながら同時に考えることができる女優」とシリング監督 ©Elliott Kreyenberg 1960年代という時代にあって、バッハマン作品は「驚くほど現代的で今日性がありました。現在、社会で議論されているあらゆるテーマを、すでに作品の中で掘り下げていたのです」とシリング監督。男尊女卑社会だけでなく、男女という2つの性のあり方にもバッハマンは強い関心を寄せていた。代表作『マリーナ』の中では、「私は完全に女というわけではない」「私は女なのか、それとも両性具有者なのか?」と作中人物に語らせている。彼女の時代から60年が経ったいま、ジェンダー論は沈静するどころかますます活発になる一方だ。現在のバッハマンの再評価が、多分にジェンダーのコンテクストの中で行われていることは明らかである。 真実に目を向ける勇気 バッハマンは、「真実」(Wahrheit)という言葉を好んで用いた。映画の中でも、「人は真実を受け入れることができるはず」「私たちは真実の文章を発見しなくてはならない」といった発言が繰り返される。作家は真実を言葉で表現することこそが使命なのだと。ただ、バッハマンにとっての真実は、作家としての成功を別としては、むしろ暗い出来事に支配されていた。第二次大戦末期の英米空軍による爆撃に怯えた少女時代、恋人だったパウル・ツェランの早すぎた死、バッハマンの散文を認めたがらなかったドイツ文壇の男たち、フリッチュとの関係破綻と自殺未遂。その後の睡眠薬とアルコールへの依存。重すぎる真実を、それでも白日の下にさらそうとする妥協なき姿勢が、結局バッハマン自身を追い詰め、死へと追いやったのかもしれない。彼女と知己のあったペーター・ハントケは、彼女について「唯一無二で、同時に無力だった」と回想している。 ヒュラーが倒立まで見せるダンスのシーン。記録映像では不安で緊張している様子のバッハマンに「深く息を吸い込んで身体を感じてほしかった」と、シリング監督がこの場面をプレゼントした ©Elliott Kreyenberg バッハマンが望んだ真実とは、女と男がジェンダーから解き放たれて共生するユートピアだったのかもしれない。では、自分はどうだろう。真実があまりに理想とかけ離れているため、目をそらして日常に身を委ねるだけの人生を送っていないだろうか。その問いが、映画を見たあとも、ずっとついて回っている。自分の中の相反する志向や価値観をみつめ、悩み絶望しながらもレジリエンスを保とうとする現代のすべての女性に(そしてもちろん男性にも)、ぜひ見てほしい映画だ。Soap& Skinによる音楽も、映画をぐっと現代に引き寄せる効果を添えて印象に残った。 „Ingeborg Bachmann: Jemand, der einmal ich war“ 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=sdNx8uI3TMc&t=14s レギーナ・シリング監督。映画より文学畑でのキャリアが長く、バッハマン作品も若い頃から読み込んでいた。「バッハマンは著作の中で、女性に対するあらゆる形態の差別を非常に鋭く、かつ賢明に描き出しています」 ©Elliott Kreyenberg