ウクライナを挟んでほぼ敵国関係にあると言っても過言ではない米国とロシア――この両国の間で、囚われの身となっている自国民を奪還するために、何カ月にも渡る外交交渉が続けられ、12月初め、遂に「囚人交換」が成立した。
12月9日、米国に生還したのは米女子プロ・バスケのスター選手ブリトニー・グライナーさん(32歳)。今年2月、麻薬密輸の疑いでとらえられ、8月に禁錮25年の実刑判決を受けていた。
グライナー選手と引き換えに、ロシア側に渡されたのは、米国で服役中だった「死の商人」と異名をとるロシア人武器密輸人ビクトル・ボウト受刑者。
いよいよ交換の当日、米側からは、大統領指揮下の特別人質特使(SPEHA)が政府特別機にボウト受刑者を乗せてアブダビ空港に向かい、代わりにグライナー選手を乗せて米国に戻った。アラブ首長国連邦(UAE)の大統領とサウジ皇太子が仲介したとも伝えられる。
グライナー選手は、米女子プロバスケットリーグWNBAでプレイするが、オフシーズン中にはロシアのチームUMMC Ekaterinburgでも活躍してきた。2m6センチの長身、LGBTを公言する黒人選手として、米国でもロシアでもハイプロファイルな人物だ。
麻薬と聞けば、よほどの量を組織的に持ち込んでいたのかと思いそうだが、グライナー選手は大麻オイルを少量含んだ電子タバコ用カートリッジを手荷物に入れてロシアに入国しようとしただけ。オイル1g以下の電子タバコのカートリッジに入れるものなら、多くの国ではCBDはもちろんのこと、THCであっても消炎鎮痛目的などで医師の処方があれば合法で、プロスポーツ選手などの間ではよく使われている。グライナー選手は膝と関節の痛みのために処方されていたとしていた。
有罪判決を受けても刑期は5年程度で、すぐに仮釈放されるとみられていたが、8月、グライナー選手に重い判決が下り収監されたのは、ウクライナ侵攻を背景にロシアが政治的利用価値が高いと値踏みしたのではないかとささやかれた。
バイデン大統領は早々からロシアに対し即時釈放を強く求め、囚人交換交渉を開始。度重なる裁判には駐ロ米国大使が立ち会い、「アメリカに帰国させるまで、あらゆる過程で全面支援する」としていた。
囚人交換が成立した12月8日、バイデン大統領はこう明言した。
「どんなに難しい決断であっても、世界のあらゆる場所で米国民を守ることが、大統領としての私の職務だ」
米国政府はグライナーさんが有名人だったから、特別に奪還に積極的だったのだろうか。
2017年、米国は、北朝鮮旅行中にとらえられ服役中に昏睡状態に陥ったオットー・ワームビアさん(享年23歳)を、映画のひとコマかと思う壮絶な奪還劇で連れ帰った。残念ながらオットーさんは間もなく亡くなったが、自国民を何が何でも奪還する実行力とはこういうものかと見せつけられた。
さて、自国民を連れ帰ろうと動くのは米国だけのことだろうか。
2012年頃から欧州では、多くの義勇兵がシリアに渡った。彼らの妻となるために、女性たちも彼らに続いた。そして今、欧州国籍を持つ子供たちが、その母親たちとともに、少なからず現地に残っている。自国に戻れば、母親たちはテロリストとして裁判を受け服役せねばならなくとも、罪のない子供たちともども、帰国を希望する限り、自国民として帰国させようと各国は必死だ。現地で活動するNGOや気骨あるジャーナリストの手も借りながら、あらゆる手を尽くしている。
転じて、日本はどうだろう。
北朝鮮に拉致された自国民の奪還交渉を、米国大統領に「お願い」する日本。
ミャンマーでとらえられ、その後釈放されて帰国した日本人ジャーナリストたちは、定期便のフライトで帰国したのであって、政府の辣腕交渉官が交渉し、政府特別機で戻ってきたわけではない。
今、日本の多くの人たちは、有事があれば、同盟国アメリカに守ってもらえると思いこんでいないだろうか。
でも、2021年8月中旬、各国がアフガニスタンにいる自国民を帰還させようと急いだ時、カブール空港の管制権を握っていたアメリカ軍は同盟国日本の市民を助けてくれただろうか、自衛隊機着陸を優先してくれただろうか。
「自国民を守る」のは自国政府の務め。他国にお願いすることでも、他国に助けてもらうことでもない。
そして政府がそうせざるをえないのは、国民が政府を厳しく監視し、だまってはいないからに他ならない。国も国民も、無関心、人任せなんかではいられない真剣勝負のはず。国を守ること、国民を守るとはこういう厳しさなのだと2022年、ことさらに感じる。