「はるばるアメリカまで来たから」と一国の首相が製薬会社のCEOに電話するとワクチンが確保できる…そんなピンボケ話がニュースになるのは日本くらいなものだ。世界では昨年以来、各国リーダーがなりふり構わぬワクチン争奪戦を陣頭指揮し、今では、むりくりの必要量争奪戦段階から、ベターなワクチンの確保へと局面はあっという間に移り変わろうとしている。EUは、1月末、ワクチンメーカーから「契約分」が納品されないことで面喰ったが、態勢を立て直し、英米に倣った厳しい輸出抑制でEU内生産分の流出を留め、今では、より効果が高く、副反応が少なそうな銘柄をえりすぐる方向に舵を切り始めている。4月23日、ファイザーのブーラCEOは、ベルギー・プールスにある同社の欧州工場に、EU委員会委員長やベルギーの首相を招いた。電話ではなく、CEO自ら要人を出迎え、18億回分の追加にも同意した。すっかり出遅れた感のある日本が、世界の教訓から学べることは多いはずだ。
<トップ写真:在ベルギーのファイザー工場にて、欧州の科学技術の成功をアピール。左から、バイオンテックのテュレチ博士、ファイザーのブーラCEO、EU委員会のフォン・デア・ライエン委員長、ベルギーのデゥクロー首相>
教訓1:スタートダッシュしても、ワクチンだけでは無理
イスラエル、英国、米国などは見事なスタートダッシュを切ったが、実は、アラブ首長国連邦、バーレーンなどの中東諸国、チリ、ウルグアイなどの中南米諸国もワクチン接種では抜きんでていることは日本では語られない。こうした国々は、ロシアや中国のワクチンをどんどん受け入れたからだ。
先頭集団は似たような状況かと思いきや、投与しているワクチンや、感染抑制のための行動制御政策には大きな違いがある。
英国は、ボリス・ジョンソン首相自らが牽引した英国ベースの製薬会社アストラゼネカ・ワクチン(ウイルス・ベクタータイプ)の独壇場だ。英国は同社に自国への供給を最優先させたことで、どこよりも早く高い接種率を達成。長く続いた厳しい封鎖が、EU諸国より一足早く緩和されようとしている。
米国は米国企業のファイザーとモデルナ(ともにmRNA技術)の二つがほとんど。英国に比べると、各州の封鎖解除政策はまちまちで緩く、収束に時間を要したが、ここへきて見事に改善している。
中国やロシアのワクチン外交を甘んじて受け入れ、シノヴァクやスプートニクVをがんがん打ってきた国々もある。これらのワクチンは、臨床データが不完全などの理由で、欧米の当局から認可を受けていないが、安く、ふんだんに供給されうるので、欧州内でも、ハンガリーやセルビアなどが導入に踏み切った。世界3位の高い接種率(国民の4割が少なくとも1回接種)に達しているチリは、その9割近くがシノヴァックだ。しかし、思うようには収束に至っていない。インドも、自国内に巨大なワクチン工場を持ち、アストラゼネカを中心に大量に生産してきたが、第一波の成功体験から、宗教行事や選挙を野放しで行い、せっかく製造したワクチンを外交手段にして輸出してしまったためもあり、今では最悪の事態に至っている。
なんでもいいから、ワクチンさえ打てば、収束すると考えるのは甘そうだ。周到な行動制限政策や解除計画が収束の進捗の決め手となるようだ。
ベルギーでのワクチン接種センターの様子。ワクチンを打ち終わったら15分待機。 接種するのは看護師。センターには医師も常駐する ©Kurita
教訓2:バイオ医薬品の大量生産は契約通りになんていかない
日本の政治家は「契約してある」ということを「確保した」と言っているように聞こえる。
COMIRNATYという商標が登録されたバイオンテック=ファイザーのワクチン©Kurita
だが、バイオ医薬品の大量生産は、契約通りになんてとてもいかないのだ。
EUは、1月末になって、ファイザーとアストラゼネカから、突然、納期が大幅に遅れると通告されて激高し、自らの甘さを公表して悔やんだ。EU委員会を率いるウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、こう語った。
「ワクチン製造の難しさを軽んじていた」
「万全を期すばかりに認可が遅れた」
「バイオ医薬ワクチンの大量生産について楽観視し、発注した分は約束通りに納品されるものだと信じ切っていた」
自身も医師免許を持つ彼女が、極めて複雑なバイオ医薬の製造を甘くみていたと謝ったのだ。 日本のメディアで、「契約した分が納品できなければ、日本なら出入り禁止だ!」などと叫ぶコメンテーターを見ると、絶句してしまう。買い手市場ならともかく、典型的な売り手市場の現在のワクチン事情では、日本が「出入り禁止」といえば、喜んで買いますよという国がいくらでも控えているのだから。
順番がきたよ、このワクチン・センターに来てね、と伝える連絡。ベルギーの場合。 ©Kurita
教訓3:露骨なワクチン・ナショナリズムを勝ち抜く力量
英国がとうとうEUから離脱したのは今年1月1日。ジョンソン政権は、自国民に何が何でも離脱してよかったと見せつけねばならない意地がある。ワクチン争奪戦は絶好の機会だったのだ。ジョンソン首相自らが旗を振ってオックスフォード大学にワクチン開発を急がせ、英国本拠の多国籍企業アストラゼネカに製造させ、契約には英国最優先条項を潜り込ませた。英国医薬品当局(MHRA)にとってはEU離脱後の初仕事。アストラゼネカのワクチンは、当初60歳以上の治験データが不足していたことからEUの当局(EMA)は承認が遅れた。MHRAはその間、緊急承認を急ぐことで、EU側にあるアストラゼネカの製造拠点からも、EU離脱期限ギリギリの先行納品を可能にしたのだ。
気が付けば、EU内で製造されてきたワクチンのうち、1100万回分以上が英国向けには輸出されてきたが、主要ワクチン製造国である英国はただの1回分も、EUに輸出していないことが発覚したのは3月初めのことだった。米国も、自国内にファイザーやモデルナなどの大規模生産拠点を持つが、国外にはまったく輸出を許さなかった。EUだけが、メーカーが契約した通りの納品を許し、英国を始め、カナダ、日本やアジア諸国、南ア、オーストラリアなど87カ国に1億5500万回分(4月23日時点)をせっせと輸出してしてきたのだ。これではEU内には行き渡らないのは当然と、EU市民が猛烈に怒った。
業を煮やしたEUは、3月末、今後の輸出については、二つの原則――「互恵性 (reciprocity)」と感染状況の深刻度との「つりあい(Proportionality)」に鑑みて厳しく制御すると決めた。以来、EU内で生産したワクチンのかなりの分は、EU内に留まるようになり、27カ国での接種が猛スピードで進み始めた。
日本に届くファイザーワクチンは、アメリカからではない。アメリカにいるファイザーのCEOに電話しても、アメリカが輸出すると言わない限り、日本へは送れないのだ。今では、EU内のファイザー製造分も、輸出相手国の感染状況の深刻度と付き合わせて、輸出を制御することになった。日本の感染状況は世界的にみて、深刻といえるだろうか。
インドが世界屈指のワクチン・ライセンス生産量を誇ることも、日本ではあまり語られない。だが、インドも、新たな感染の猛威に、しばらくは自国ファーストで、輸出を停止すると決めた。ワクチンが自国で開発できないまでも、ライセンス生産で確保することができるはずだと、インドから学べる。
教訓4:ワクチンは余り始める
アストラゼネカのワクチンと血栓症の関係がいくつかのEU加盟国で疑われ始めたのは3月上旬のことだ。当初はオーストリアとデンマークから、そしてドイツでも、同様の症例が散発的に報告され、ワクチン懐疑派を中心に恐怖心が高まった。EMAが再検討した結果、血栓症は若年層の女性に見られているが、すでに2000万回も投与している英国で報告されていないことから、各国の判断で、一定年齢以下には別のワクチンを推奨することで落ち着こうとしていた。ところが、英国は、4月7日になって初めて、同様の症例が79件あり、その内19人は死亡していたと発表したのだ。
EU加盟国では、アストラゼネカ・ワクチンの安全性とは別次元で、英国とアストラゼネカへの不信感が高まってしまった。筆者の住むベルギーでも、アストラゼネカ・ワクチンへの懐疑心は高く、接種停止を決める国も出ている。
バイオンテック・ファイザーのワクチンを打つとこんなカードをもらう 一回目と二回目の接種日時ロット番号などが記載される ©Kurita
ばっちりを受けたのは、ジョンソン&ジョンソンかもしれない。ほぼ常温で保存でき、一回接種で有効性が高いと前評判の高かった同社のワクチンは、アストラゼネカと同じアデノウィルスを用いたウィルス・ベクタータイプだ。米国FDAに続き、欧州EMAでもようやく認可され、各地への配下も終わった途端に、血栓症の可能性が疑われ、投与見合わせとなってしまったりした。EUでは再検討の末、接種を始めているが、米国はジョンソン&ジョンソンやアストラゼネカに頼らずとも、希望する国民への接種を完了できそうな見通しだという。
EUは第2四半期(4月~6月)に、バイオンテック・ファイザー2億回分、モデルナ3500万回分の他に、ジョンソン&ジョンソン5500万回分、アストラゼネカ7000万回分の納入を予定してきた。ファイザーやモデルナのライセンス生産拠点が、ドイツにもフランスにも作られ、これらの生産体制を猛スピードで強化してきた今、EUでも、アストラゼネカやジョンソン&ジョンソンのワクチンは、だぶつき始めることになるかもしれない。
そもそも、英国は4億回分、EUは23億回分、米国は13億回分ものワクチンを「確保」しており、これは過剰な先進国ファーストだと発展途上国を中心に強く非難されている。今年後半には、英米EUには供給が行き渡り、焦らずとも日本にも行き渡ることになりそうだ。
長い冬眠から覚めるように
4月も2週目に入ると、筆者の住むベルギーでも、ワクチン接種の声があちこちで聞こえ始めた。デジタル化ではとても優等生とは言えないベルギーですら、MyHealthViewerというホームページや、Qvacというデジタル・ウェイティングリストが起動し、自分のIDカードや、国の登録番号を入れれば、順番がいつ来るかが予測できたり、最寄のワクチンセンターで余りが出た時に連絡が来るようになった。そして、4月16日、とうとう筆者にも順番が回ってきた! ベルギーは、4月半ば現在、国民の4人に一人が少なくとも1回の接種を終えるところまできた。もう7カ月も、家族以外に会っていない。人恋しさが募る…。
ワクチンの順番がいつ頃来るかが予測できるベルギーのプラットフォーム My Hearlth Viewer
EU各国も市民も、第一波、第二波から、多くの教訓を学んできた。去年の今頃は、突然始まった封鎖生活を、本当に辛く寂しく感じ、戦々恐々としていた。そんな生活の中で連帯し、それでも小さな歓びを見いだす生き方を学んだ。周辺国の中には、遅々として進まないワクチン接種と第三波の厳しいロックダウンで、政府への不満が顕在化し、封鎖反対運動が時に過激化している国もある。だが、ワクチン接種で先行する国々が収束に向かっているように、後もう少しの辛抱だと誰もが感じられるようになった。
4月になっても吹雪に見舞われた北欧州にも、ようやく遅い春がやってくる。ベルギーでは、7カ月の封鎖生活に終止符を打とうと、カフェの人々がテラスの椅子やテーブルを準備し始めている。