欧州の後を追うように、アメリカ大陸の震央となってしまったニューヨーク市。現地で「ソーシャル・プラクティス・アーティスト」として活動する田中康予さんに、刻々と深刻さを増すマンハッタンの様子と、この激変の今、考えているところを寄稿してもらった。
<トップ写真:全米最大かつ最も包括的な病院 NewYork-Presbyterian Hospitalの救急車と見張りのパトカー。コロナに感染した3人の警察官が死亡がニュースとなった3月24日のこと©Yasuyo Tanaka>
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花が咲き始め、公園に緑が戻ってきた心地よいはずの早春のニューヨーク――なのに、今は、救急車やヘリコプターの音が鳴り響いています。大勢の人が感染し、医療品やベッドが不足し、多くの人が職を失い、健康、住まい、教育、福祉と生活そのものが脅かされています。日常が激変する中で、人々の心にも変化が訪れていように感じています。
救急車とヘリコプターの音が鳴りやまない
ニューヨークは、暖かい春の日差しとは裏腹に、
1日に何回か、無料で食事の提供を始めたフード・バンク。白米、チキン、サヤインゲンの温かい食事にオレンジジュース、ビスケットが配られていた。3月24日撮影 ©Yasuyo Tanaka
そうした中で、時間ができ、しかも同居以外の誰にも会えないことから、同居していない家族や友人や、自分が入っているコミュニティとインターネットを使ったコミュニケーションが盛んになり、また、今の状況をどう捉えているのか、各方面でアンケート調査や被害に対する助成金の案内も始まっています。このピンチが、社会保障など今までの社会のあり方を見直すチャンスになるかもしれないという予感があります。
関わっていたイベントが矢継ぎ早に禁止に
アーティストの私は、3月は、3つのグループ展に参加していました。一つ目が始まったと同時に状況が日に日に急変し、その後に企画していたイベントを延期したり、予定変更して別の企画を立てたりと、その対応に追われていました。大変な状況ですが、みんなオンラインでいろいろやり始めていて、これから世の中が大きく変化していくことを実感しています。
3月は女性月間なので、3月5日には、地域の女性アーティストによる展覧会のオープニングがありましたが、これを最後に、室内イベントは禁止となりました。31日に予定されていたアーティスト・トークはZOOMと電話を使って行いました
3月は3.11、そしてスリーマイル原発事故があった月
毎年行われていた311の追悼式がキャンセルになっても、3月11日段階では、まだ外でなら集会ができました。そこで、心ある仲間と日本から集めたメッセージを英訳し、それを集まった人たちの一人一人が読み上げ、同じ時間に来れなかった人たちと一緒に黙祷するささやかな集会をしました。その時に3月28日のスリーマイル原発事故の記念日の集会も外でやるつもりで、チラシも作っていたのですが、それもできなくなりました。
そこで、これも予定を変更して、フェイスブックの投稿という形でバーチャル集会を行うことに。フェイスブック・ページ Voices from the heart に、日本語でも、何語でもよいので、スリーマイル原発事故について、誰でも投稿できるようになっています。スリーマイルを知らない人は、この機会に調べた情報の共有、スリーマイルの被害者へのメッセージ、COVID-19 パンデミックと放射能・核・環境問題に対するコメント、集会があったなら持っていきたいプラカードなど、今も続いているのに忘れ去られている核被害を様々な方向から思い起こし、学ぶ機会になればと思います。
これから求められるリーダーシップとは
ニューヨーク州知事クオモ氏の新型コロナ対策の報告内容を少し…。感染者グラフのピークを医療のキャパシティーに見あうよう平坦化するため、医療体制の強化、マスク、ガウン、防護服、全国からの人工呼吸器のかき集め、仮設病院の設置を急いでいると。マンハッタンでは、休校中の大学寮を利用する他、米陸軍工兵隊および州兵の協力で、見本市として使われているJavits Centerにも大規模な仮設病院を設置。また、米海軍の巨大病院船「コンフォート」が30日にはマンハッタンに到着。その他に、ホテルや老人ホームの利用も検討中で、これを3週間後のピークに合わせて、順次設置解放して行く予定とのこと。
アンドリュー・クオモNY市長(写真は2017年) ©Metropolitan Transportation Authority by Patrick Cashin
同時に、新型コロナウィルスに感染している人の中で、病院に行かなければならない程の重症者は20%程度で、80%は自宅で治っていることを強調して、人々が必要以上に不安にならないよう呼び掛けてもいます。「ニューヨーカーはタフだが同時にとても暖かい」との呼びかけに応えた元医療関係者が62,447名。メンタルヘルスのホットライン・ボランティアは10,099名いるということ。州兵たちに向かって、「これは、人々を根本から変えてしまう一大事。長く、辛く、醜く、悲しい救出作戦になるが、これから何年も語り継がれる歴史の1ページに、自身のスキル、才能、勇気をもって参加していること誇りに思って下さい」と語り掛けました。自ら生粋のニューヨーカーで、クイーンズ訛りがあることを明かしながら、みんなで乗り切ろうというところが、実にアメリカ合衆国らしいものでした。
感染者数が急速に増え始めた3月17日、ニューヨークのデブラシオ市長が外出禁止令を提案したところ、最終決定権を持つクオモ知事は反発。そして、その後22日に発令されました。最近では、クオモ州知事の公園閉鎖を検討する発言がありましたが、デブラシオ市長はこれに反対し、公園へ集団で行ったり、ソーシャル・ディスタンスを守れない人からは罰金を徴収することで合意しました。現在、セントラルパークに野営病院が設置されています。このような状態が長く続くことを想定すると、公園は運動をしたり自然に触れられる唯一の場所です。これからは、秩序を保つために、住民への真摯な配慮が必要で、状況をどうコントロールしていくのか、新型コロナウイルスの完治者の抗体を使った治療も始まり、本物の指導力が問われます。
9.11を思い起こして、今できること
クオモ州知事の報告を聞いて、911の時を思い出しました。当時は合衆国のボランティア精神と結束力にすごく感心しましたが、それが愛国心という形でアフガニスタン戦争になってしまいました。今回の新型コロナウイルスが、さらなる差別や紛争に繋がらないこと、そして、このようなウイルスや気候変動に伴う自然災害がこれから多くなる中で、移民国家のアメリカ合衆国が、戦争ではなく、世界の連帯を担い人命救助を行う役目を果す方向へと変わってくれることを切実に願います。
今は、静観して私生活を見直すことから始め、同時にこのことから見えてきた現在の社会システムそのものの歪みや欠陥を直視し、どういう社会を望むのか真剣に考え、立て直していく時期なのだと感じます。亡くなった方達の死を無駄にしないためにも、医療や社会福祉の充実は不可欠で、私たちがどんな社会を実現していくのか発言し、行動していくことが大切です。この身動き取れない時間を使い、これまでやって来たことを振り返り、今一度、自分に何ができるのか、何をしていきたいのか問いかけ、心身ともに今後の土台を作り直し、自分が変化していくための準備を行います。
「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」ーー ヴィクトール・E・フランクル
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<寄稿者プロフィール>
田中康予/ Yasuyo Tanaka
1994年、表現の可能性に挑戦するためにニューヨークへ移住。3.11の東日本大震災で、栃木県の故郷が核廃棄物の最終処分場候補地となったことから、核問題や日米の関係性に興味を持ち、様々な社会や環境問題を扱い、想像力や共感を養うことをテーマに作品を制作発表するソーシャル・プラクティス・アーティスト。個人サイトはこちらから。
最近の活動としては、スリーマイル原発事故の40周年メモリアル展覧会 “if the wind blows”、Lower Manhattan Cultural CouncilのCreative Learningの助成金を得て行ったマンハッタン計画の発祥の地で、10代のコミュニティセンターに通う子供たちと、その歴史を学び、現在の核問題について考え、その感想で本を作ったプロジェクト”Under This Sky: Manhattan Project” 、アクティストの仲間と国境を越えて様々な問題に対する心からの声を集めて、ひとつの大きな声にしていきたいと、立ち上げFacebookの“Voices from the heart”などがある。