太陽を受けて光輝く、鏡のように穏やかな地中海―――ここはスペイン最南西端アンダルシア州の「アルメリーア」。バルセロナ、バレンシア、マラガなどの地中海沿いの著名観光都市の影に隠れて、スペイン好きの北欧州人にも、あまり知られていない穴場だ。美しい海を眺めながら、地元っ子に人気の美味でお安いタパスやワインを堪能できるのも魅力。「真冬に太陽が眠るところ」と呼ばれるだけあって、快晴の午後は冬でもポカポカと暖かい。なんという楽園だろう。
地中海沿いスペイン最南西端の穴場アルメリーアで (Google mapより作成)
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北欧州の野菜はここから
冬でも温暖で野菜や果物が育つ…そんな楽園を商売上手が放っておくはずはない。飛行機の窓から最初に目を引いたのは、美しい海でも、椰子の木でもなかった。なんだか薄汚いぼろ布でカバーされたテントの畝が滑走路に沿って延々と続いている。住み慣れた北欧州にも、典型的な南国の観光地にも、もちろん日本にもない不気味ともいえる光景だった。
タクシーで海岸線に沿って走ること30分、そのぼろ布の畝がまだまだ続いている。がまんできなくなってこの旅に誘ってくれた当地出身の友人夫婦に尋ねると、「ああ、これね、野菜畑だよ」とトーゼンと言わんばかりだ。ベルギーなど北欧州で食べられているパプリカやら米ナスやらズッキーニといった夏野菜を一年を通じてせっせと作っているのは、このあたり一帯に広がる風が吹けば倒れそうなぼろ布グリーンハウス群だと、彼は言う。北欧州の店に並ぶ野菜の3割以上が、ここアルメリーア付近で収穫され、トラックで数千キロの距離を日夜運ばれてくるのだという。知らないことはまだまだあるものだ。
薄汚いぼろ布製のグリーンハウスが海側にも山側にも延々と続く ©Michiko KURITA
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その後、アルメリーアから海岸線を1時間以上ドライブして北上したが、ぼろ布のグリーンハウス群はどこまでも続く。ベルギー北部やオランダの、50~100ヘクタールもあるような美しくハイテクなグリーンハウスを見慣れている筆者の目には、ねずみ色の布に覆われ、中がみえないグリーンハウスは、一世紀以上前のシロモノに見えてしまう。赤土の土埃の中を疾走すると、その合間にサボテンと今にも倒壊しそうな白壁の掘立小屋があり、褐色肌の人々の生活が垣間見える。彼らは、南米出身のインディオか、はたまた北アフリカのアラブ系民族か。
「野菜園の労働者よ。たいていは北アフリカからのアラブ人。最近は、南米から来ている人も多い。気候が似ているしね、南米の人たちはスペイン語しゃべるから、生活しやすいし、ここにはいつでも仕事があるから」と友人夫婦。そうか、目の前の地中海の向こうに、アフリカ大陸は見えるほどの距離にせまっている。それにスペイン語文化圏なら、南米からの労働者も生きやすい… 仕事が山ほどあれば、地元の人も脅威とは感じてはいないらしかった。
アンダルシアを手放したくなかったイスラム王朝
アルメリーアの海岸沿いの、できたばかりの芸術堂の前に、日本人の目には見慣れない異国情緒あふれる船がごろんと置かれていた。イスラムの船だ。スペインはローマ帝国支配の後の700年代から15世紀までの間に、何度となくイスラム帝国に攻め込まれ、その支配下に入っていた。こんな船で船隊を組み、300~400㎞先のアフリカ大陸から、何度となくこの鏡のような海を渡ったのだ。アフリカ大陸よりも格段に温暖で暮らしやすい気候、緑豊かで肥沃な土地を求めて。
イスラム勢力はこんな船で地中海を渡り攻め込んだ ©Michiko KURITA
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アルメリーアから高速道路を1時間半ほど北上する間に、地質や風景は目まぐるしく変わる。アメリカ映画に出てくるインディアンが住んでいそうな赤土の乾いた土地は、あっという間に緑豊かで広大な丘陵地帯となり、太陽光パネルと風力発電の発電所があちらにもこちらにも広がる。その後、断崖絶壁の渓谷をぐんぐん抜けると、突然、雪をいただくネバダ山脈を背景にアルプスを思わせる山村が見えてくる。アメリカ大陸横断を何回かやったことのある筆者には、たった1時間半の間に、ニューメキシコ州あたりから、アリゾナ州、ネバダ州を経てオレゴン州にでも入ったような錯覚を覚えた。こうして到着したのは、古都グラナダ。イベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝グラナダ王国の首都だ。
あんなに美しい海岸線ではなく、なぜこんな内陸に都を? しかし、車の窓から移り変る眺めを見ていれば、その理由は自ずと明らかだった。夏涼しく、冬もそこそこ暖かい。雪を頂くネバダ山脈に囲まれた美しい都。イスラム教文化とキリスト教文化が融合し共存した豊かさが、そこにある。
あまりにも美しいアルハンブラ宮殿 ©Taka
アルハンブラ宮殿を眺望する気持ちのよいカフェでワイングラスを傾けながら、15世紀半ば、泣きながらこの砦を後にしなければならなかったイスラム王朝最後の王子ボアブディルと、そのコワーイ母親妃アイシャに思いを馳せた。なにせ、このおっかないお母さん、涙を流す息子に「国を守れなかったダメ男くん、女のように泣くがいい」と言い放ったというのだから。
それにしても、イスラム教徒と数百年に渡り、共生した経験を持つスペイン…100万人規模のイスラム難民の到来にすっかりおじけづいてしまっている北欧州に、そのノウハウを伝授してくれれば、なんとか昨今の欧州難民危機も乗り越えられそうだなとふと思った。
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血を流して勝ち取る国土、自由、名誉
さて、観光地としてはやや魅力に劣るかもしれないアルメリーアの街を、当地出身の友人が案内してくれた。彼は実は、EUに勤める高級官僚で、当地出身ながら、生え抜きエリートのヨーロッパ親派だ。建築文化や宮殿などの異文化融合遺跡は、田舎都市にも関わらず充分すぎるほどある。この友人は、スペイン人特有の情熱的な口調で、この土地の歴史をとうとうと語る。イスラム勢力からこの地を再征服(レコンキスタ)したこと、アラゴン王国やハプスブルグ家やブルボン王朝の支配を断ち切ったこと、さらに「たった40年前にフランコ独裁体制から市民が立ち上がり民主主義を勝ち取ったのだ」と一気に語った。その興奮した口調は、さらに先祖代々続くこの田舎町の「闘牛」への情熱にもよどみなく続いていく。
「国土や自由や名誉というものは、血を流して戦って勝ち取るものなのだ」――ブリュッセルでは穏やかな知的エリートの代表のような友人が、この地では「豹変」したかのように血気盛んに語る様子にかなり圧倒されてしまった。
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EU旗がはためく今日のスペイン
長いフランコ独裁が終焉したのは1975年。スペインがEUに加わったのは1986年と、ついこの間のことだ。日本が第二次大戦を境に、「戦後」を新たな時代とみなすように、案内してくれた友人によれば、「スペインは、フランコ独裁以降、特にEU加盟から、自由で民主的な時代を謳歌するようになった」のだという。
実際、筆者の見る限り、このスペインの田舎町では、ベルギーはもちろん、フランスの田舎やドイツの田舎とは比べ物にならないほど多くのEU旗が目に付き、英語の通用度も悪くなかった。グラナダに向かう道中、数々の著名アメリカ映画が撮影されてきた「ミニ・ハリウッド」スタジオを見下ろし、見渡す限りあちこちに広がる太陽光パネルと風車を見るにつけ、EU時代の平和なスペインになってよかったねと安堵する気分になった。
遺跡整備の看板にもEU旗 ©Michiko KURITA
しかし、EU加盟以降も、北東バスク地方では独立を求める武装闘争が続いたし、アルメリーアから地中海に沿って600キロも北上すれば、たった2年前にも独立をかけてもめにもめたカタルーニャがあり、300キロも南下すればBREXITで国境ができるかもしれない英国領ジブラルタルがある。スペインを取り巻く状況はけっこうキナ臭いし、内政は右に左に大きく揺れて、穏やかな海と明るい太陽の割には、順風満帆とはいいがたいのかもしれない。
そして、アルメリーア港から出発するフェリーの行先を聞いて戦慄が走った。アフリカ大陸北部モロッコ領内にあるスペインの飛び地領メリリャ(Melilla)へ向かうという。イベリア半島からイスラム勢力を追い出すレコンキスタの勢いにのって、アフリカ大陸側で占領してしまったいくつかの港湾都市の一つだ。そこには、世界で一番危険な国境の壁があり、そこを越えようとする多くのアフリカ難民が毎日命を落としていると、テレビで知ったばかりだった。
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2015~16年頃、100万を超える難民が通った主要ルートは、トルコからギリシャを経由して北上するバルカンルートだった。EUの必死の対応もあって、そのルートでの流入が収まりつつある今、エリトリア、ソマリア、ニジェールなどアフリカ紛争国からの難民がリビアなどを経由して船でスペインやイタリアに渡っている。一瞬、筆者の目の前に広がる平和そうに見える海が、命がけで渡ってくる難民に埋め尽くされているように見えた。
ほとばしる太陽の光とほどよい風という願ってもないような自然エネルギー源に恵まれたスペイン。地中海沿いに、たくさんのフラミンゴが生息する干潟付近を散策していると、友人が「アルジェリアからの海底ガスパイプは、ここにきてるんだよ」と指さした。アフリカ大陸まで最短距離な証でもある。「テロリストや武装難民の標的になるから、誰にも知らされてないけど」と友人はこっそり教えてくれた。
海に沿った干潟には塩田があり、フラミンゴが生息する ©Michiko KURITA
食べ物がおいしい。美しい海と山がある。物価が安い。
暗くジメジメした北欧州からすれば、楽園に見えるスペイン、アンダルシア。
その激しい歴史と今の危うさを思いながら、旅を終えた。
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食いしん坊へのおまけ:
太陽と海に恵まれたスペインは、悔しいほど食べ物がおいしい。
アルメリーア出身の友人夫婦曰く、「ここでは、朝ごはんは2度。最初の朝ごはんは、完熟トマトをペースト状にしてバゲットに塗り、それに地元産の一番美味しいオリーブオイルをかけて食べるのだという。正午近くには、カフェでセカンド・ブレックファスト。チュロス(細長い揚げドーナツ)と濃い目のコーヒーを飲みながら、あーでもないこーでもないと仲間たちと語らう。ちょいとタパスをつまんで一杯やってから、家に帰ってランチの頃にはすでに3時。ちょっと寝て、ちょっと働いたら、6時ごろにおやつとコーヒー。すっかり日が落ちて食欲の出る夜10時を回ってからいよいよ夕食。それから、友達と飲みに繰り出す…。筆者がタパスで満足しきってパジャマに着替える頃、ホストのスペイン人夫婦はいそいそと出かけて行った。そのバイタリティに脱帽!
クラシックなタパスなら、タコのパプリカ味やホタルイカのから揚げや墨マリネ、サーディンの一皿を。おしゃれで独創的なタパスを出す店も多く、どこへ行っても美味しすぎる。もちろん、ハモン・イベリコ、本物のパエリアもお忘れなく。グラナダでは、かわいらしいキノコ型のケーキPiononoがお気に入り。バラエティもいろいろあるのでお試しあれ。
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