旧優生保護法下で実行された、何万人もの障害者や病者への強制不妊手術の実態が、今改めて、明るみに出ている。悪名高きナチスの話ではない。我が国の、それもなんと1996年、ついこの間まで続けられていたことだ。
一方、2016年7月に相模原の知的障害者施設で19人を殺害したとされる容疑者は、障害者を殺すことは社会正義だというような発言をしているが、驚いたことに、ネット上などでは、これに賛同する者も後を絶たない。「不良」だから抹殺されてもいいという障害者や病者とは、いったい誰のことを指すのだろう。私達は誰も、明日そうなるかもしれない。いや、今この時にも、「不良」と「良」の線引きは誰がどうつけるのか。立ち止まって考えさせられる機会があった。
障害を知ることから
たとえば、「自閉症スペクトラム」や「ディスレクシア」という言葉をご存知だろうか。「発達障害」「学習障害」なら聞いたことがあるという人がいるかもしれない。こうした障害名でくくられる人々は、「不良な」障害者だろうか。
発達障害や学習障害などとくくられる自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠損(多動)障害(AD(H)D)、ディスレクシア(難読症)などの障害を抱えながら生きる人々の割合は、世界中どこの社会でも10%いるという。10人に1人の割合だ。これほどいるなら、学校ばかりでなく職場でも、障害者と切り捨ててはいられない。これらの人々の特性を理解して、彼らの持てる力を引き出して共生する方法に真面目に取り組まざるをえないはずだ。
先日、日本から、ディスレクシアへの取り組みを取材に来たテレビ番組制作スタッフをお手伝いした。聞けば、日本ではディスレクシアという名称すらほとんど知られていないという。日本の患者たちの悲痛な語録を読んで驚いた。学校で友達や先生にイジメられたり無視されたりし、不登校になりがちで、進学をあきらめ、就職試験などでも不利なので、社会からはじき出されてしまいがち…。そんな実態が浮かび上がって来たからだ。
ディスレクシアの日本語名は「難読症」というようだが、これでは読むのが難しいだけと感じられそうだ。たしかに読み書きを習得することは平均的な人より難しく、より多くの時間がかかる。だが、知的能力や理解力には問題がない上に、他の優れた特性を持ちあわせていたりする。アインシュタイン、エジソンなどの天才から、トム・クルーズなどの有名人が、ディスレクシアを持ちながら世で大成していることはよく知られている。
ベルギー社会ではどうだろう。日常生活の中で、あるいは友達や親戚、テレビに出てくる人々の中に、ディスレクシアを持つ人は珍しくない。現ベルギー国王夫妻は、第二王子エマニュエルがディスレクシアを持つことを公言していて、王子は専門の指導を受けている。王家ですら公にする社会。家族や友達に隠す人は少ない。
個別指導してくれる補助教員のいる学校も増えたし、巷には専門の療法士がたくさんいる。普通クラスに在籍しながら特殊指導を並行して受けていけば、平均よりは読み書きがゆっくりで間違えが多くても、学校や職場で困らない程度には充分到達できる。専用のプログラム(音声読み上げソフト)を搭載したPCを教室に持ち込める場合も多い。
テレビ番組の収録で街頭インタビューした人々の100%がディスレクシアという言葉を知っていて、どういう障害かを説明でき、親戚や学校にディスレクシアの人がいるよと答えたことに、ベルギーにやってきた日本の取材スタッフは感嘆の声をあげた。
障害ではなくて「個性」
専門家の見解を聞くために、ルーヴェン大学心理・教育学部のポル・ゲスキエール教授を訪ねた。教授はディスレクシアの研究とともに、家族、教員や療法士の効果的な指導法について実践指導している。
「ディスレクシアは学習障害の中では軽度。社会的周知や理解が行き届いていれば、学校で困ることはほとんどないと言えるでしょう。ベルギーでは、診断を受けていれば、試験時間は自動的に30%延長、ハンディを少なくする法的措置も遵守されています。芸術的才能のある人が多く、アーティストやミュージシャンにも向いていますが、建築家、弁護士なども多い。そうそう、僕の研究助手ね、彼もディスレクシアですよ」
ディスレクシアばかりでなく、様々な発達障害を持つ人々を「スペシャル・ブレインズ」と呼んで、彼らを職場で生かすよう経営者に対して働きかけている、頼もしいプロ集団に出逢った。
「労働人口の10%以上もいるスペシャル・ブレインズたちを前向きに生かさねば、経営上の損失だ。」その中心人物は、弁護士でスペシャル・ブレインズ雇用についての専門家ハンス・ヴァン・デ・ヴェルド氏。同僚や妻と比べて読むスピードが著しく遅く、アイデアがどんどん浮かんで収拾がつかない時があるとかねてから感じていた彼は、50代になって初めて、自分が注意欠損障害(ADD)とディスレクシアを持っていると知ったのだという。そこで、キャリアを大きく転換。今では、経営者、職場、そしてスペシャル・ブレインズを持つ当事者たちに対して、「違い」を知り、「欠点」ではなく「個性」「特性」ととらえて共生していくための具体的なコーチングを行っている。
経営者向けのセミナーでは、こんな風に語りかけている。労働人口の10%を占めるスペシャル・ブレインズの存在を排除していても、経営は成り立たない。スペシャル・ブレインズと一括りにしても、それぞれ異なる困難さや特性があるので、個別の配慮も必要だが、特性を知って生かせば戦力にもなる、と。
たとえば、自閉症スペクトラムと診断される人々は、手順に固執して変化を嫌ったり、懇親会やチーム行動を嫌ったり、音や光に過剰反応したりといった「違い」がある。だが、優れた視覚能力や記憶力を持っていたり、独創的で思いもよらない発想をしたりすることはポジティブな「特性」だ。ただ、それを生かすには、「リーズナブルな適応策」を講じる必要がある。たとえば照明や音に配慮したり、職場に安静コーナーを設置して小まめな休憩を許したり、タブレットやスマホを利用した視覚的な指示を活用したりすることなどが有効なのだという。
私達は誰もがワケアリ
こうした努力を欧州全体に広げるために、各地でワークショップを開催し、各国でコーチを養成し、学校や職場にボランティアで働きかけるネットワーク「ヨーロピアン・ブレインズ@ワーク」を築くプロジェクトが立ち上げられた。すると、欧州連合(EU)の教育・研修総局から補助金がついた。発達障害・学習障害を持つ人々を包摂する教育や雇用が、持続可能な社会のために必須だと認識しているからに他ならない。
ブリュッセルでの講演会とワークショップには、ベルギーやオランダの他、アイルランド、スペインなど多くの国々から参加者が集まった。交通費や会場費などが補助金で賄われるという。
社会倫理的に正しいことをして利益につながるといえば、経営者の琴線に触れる。スペシャル・ブレインズにとって働きやすい社会は、誰にとっても働きやすい社会なのだから」とハンス氏。
労働人口の10%がスペシャル・ブレインズで構成されていることは、日本も例外ではない。経済成長のために一人ひとりが駒の一つとなって滅私奉公することが美徳とされるような社会で、どこまでスペシャル・ブレインズたちが活躍できるだろうと考えさせられてしまう。
だが、「うつ、自殺、燃え尽き症候群は、困難を理解してもらえず、行き場を失ったスペシャル・ブレインズたちの悲劇であることが多い」と知らされて、言葉を失った。過労死や自殺が多発する日本こそ、この課題に真正面から取り組まねばならないのではないか。
「脳障害者に出逢ってみたければ、鏡を覗いてみればいい。」と教えてくれた医師がいた。人は40歳を過ぎれば、誰もが脳に何等かのトラブルを来しているという。いや、それ以前に、人は、産道を通ってこの世に生まれてくる時に、脳に小さな出血を起こす場合が多いのだとも。だとすれば、私達は、誰もが、脳に小さなキズを持つ「ワケアリ」。程度の差こそあれ、いわゆる障害者や病者との確固たる線引きはないことになる。私達の社会生活の中で、「ワケアリ」商品は、庶民の強い見方ではないか。
表面上はフツーに見える私達も、実は誰もが「ワケアリ」。軽度や重度の障害を持つ人たちも、病気を持つ人も、社会に幅や奥行きをもたせてくれる、大切なワケアリであることを愛しみながら生きていきたいものだと感じる。
(月刊ひろばユニオン2017年12月号より許可を得て、加筆・修正後転載)
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