2016年は世紀の番狂わせの年として、記憶に残ることなるだろう。英国のEU離脱に続き、米国では11月8日に、ドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領当選者となった。同氏は政治、行政、軍など公職経験を一切持たない不動産王で、共和党候補とはいえ、実質的には自らの名声と富、独自の選挙戦略で大統領の椅子を勝ち取った。全米を駆け抜けた「既存体制をぶちこわす」、「アメリカを再び素晴らしい国に」というメッセージの後に続くのは、海図なき船出である。米国はどこへ向かおうとしているのだろうか。
予想外の展開
大統領選挙日の夜、私は軽い気持ちで自宅のテレビで開票状況を見ていた。3回にわたる候補者ディベートではいずれもヒラリー氏 に軍配があがる一方、トランプ候補は各方面に対する暴言やセクハラ問題が続き、ヒラリー氏が有力視された。
選挙直前には、ヒラリー氏が国務長官時代に私的メールサーバーを使用していた問題でFBIが捜査を再開すると発表。異例の事態に、トランプ氏への支持率が若干上がったものの、FBIは再び「起訴根拠なし」と結論づけて、大多数の世論調査でヒラリー氏が僅差で優勢を維持。また各州に割り当てられた選挙人獲得数では、圧倒的にヒラリー氏が強いと見られていた。
開票結果を伝えるテレビ番組でも、ほとんどの解説者はヒラリー氏の当選を8割以上の確率で想定していた。しかしトランプ氏が次々と選挙人を確保し、地図が共和党のシンボルである赤色に塗りつぶされていく。キャスターや解説者の表情がかたくなり、リベラル派解説者の言葉が少なくなっていった。
トランプ候補の当選が確実となった際、トランプ選対本部長は「サイレント・マジョリティーが動いた。これこそ市民の勝利です」と、弾んだ声で答えていた。
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既存体制の拒絶
今回の大統領選挙は、すべてにおいて前代未聞の事態が続いた。予備選の段階で有名人のお騒がせ候補と見られていたトランプ氏に、「本命」と目されていた共和党候補が次々と破れた。トランプ氏は、イスラム教徒の一時入国禁止や、不法移民の強制送還、メキシコ政府の負担でメキシコ国境に壁をつくる、通商協定は交渉しなおし、軍部の強化と大幅減税など、センセーショナルなポピュリズム発言を繰り返した。
一方、民主党側でも、民主社会主義者を自称する独立系バーニー・サンダース上院議員が、大学の無料化や医療保険の一元化、企業や富裕層への課税強化など、米国では非現実的ともいえる政策を掲げて若年層から熱狂的な支持を得た。この二人に共通することは、既存政治、既存の社会通念や常識、実現可能性にとらわれない、ストレートな主張だ。
最終的に民主党はヒラリー氏、共和党はトランプ氏に一本化された。それぞれに「これほど選挙民から嫌われる候補はいない」と言われた選択肢だったが、多くの選挙民の目にはヒラリー氏は「既成政治家の象徴」、トランプ氏は「既成概念を壊し、変化をもたらす起爆剤」と映ったのである。
サイレント・マジョリティーの反乱
米国社会は変化を続けている。移民の国と呼ばれるが、米国民の主流と自負しているのは白人のプロテスタントである。しかし2010年の国勢調査では、もともと白人が少数派のハワイに加え、ラテン系住民が増えているニューメキシコ州、カリフォルニア州、テキサス州では、白人がマイノリティーになった。2050年までには、全米人口の54%が白人以外のマイノリティーになると予測されている。
トランプ氏が移民に対して排他的な発言を繰り返していたことから、民主党は、普段は投票に足を運ばないサイレント・マイノリティーであるラテン系住民が目を覚まし、ヒラリー氏に投票することに期待をかけていた。しかし実際に大きく動いたのは、トランプ氏を支持していた低学歴の白人男性を主体とする労働者層だった。何が彼らを動かしたのだろうか。
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昔の素晴らしいアメリカを再び
米国はこの数年で人種的なマイノリティーだけでなく、様々な宗教、LGBTなど多様な人々を受け入れつつある。また私の住むテキサス州のように、伝統的に保守基盤が強固な州でさえ、ダラス、ヒューストン、オースチンといった大都市は多様な住民を抱えており、リベラルに変りつつある。
かつて白人労働者にとっては、地元の高校に行き、地場産業で働き、日曜日には教会に行き、午後はテレビでフットボール観戦をする。結婚して車や小さな家を買ってアメリカンドリームをかなえる。そんな中産階級的生活が一般的だった。しかしグローバル競争で地場産業が消え、運よく職があっても所得はあがらず家を買う余裕はない。今やまともな職につくには大学の学位が必要だというが、大学の学費は天井知らずの値上がりだ。
地域には白人以外、プロテスタント以外の信仰を持つ人がどんどん移り住んでくる。黒人の大統領が誕生し、さらに国はゲイの結婚まで認めるようになった。既得権をエンジョイしている政治家のもとで、自分達の存在は忘れ去られ、自分達の知っているアメリカ社会が消えていく危機感。世界でナンバーワンの米国にあって、自分はその恩恵を受けていないし、成功するためのチャンスすら与えられていないという焦燥感。こんな変化を続ける現状を打破し、「昔の素晴らしいアメリカを蘇らせる」と言ったのは、「型破りのトランプ氏だけ」だったのだ。
それぞれのアメリカン・ドリーム
大統領当選が確実となった11月9日未明、トランプ氏は勝利演説を行った。「私はすべてのアメリカ人の大統領になる」と宣言し、これまでとは異なる落ち着いたトーンで、政治の主義や人種、宗教を超えた国の団結を呼びかけた。そして選挙戦で何度も口にしてきたように、「アメリカン・ドリームを再び復活させる」と述べた。
このメッセージに異論を唱える人はいない。実際、オバマ大統領、その前のジョージ・W・ブッシュ大統領も同じ事を言ったが、分裂の溝は深まる一方だった。そして今度はリベラル、保守の溝に加え、エスタブリッシュメントと反エスタブリッシュメント、白人とそれ以外、移民と不法移民、プロテスタントとそれ以外の信仰者、持てる者と持たざる者など、あらゆる方向に亀裂が入ってしまったように見える。
そしてトランプ大統領誕生のニュースを受け、全米の都市で大規模な抗議行動が繰り広げられている。CNNのインタビューに答えている抗議活動参加者は、「大統領になる資質のない人が選ばれ、恐怖感を感じている。強制送還、投獄、女性差別、、、自分が支持したバーニーまでいかないが、ヒラリーはトランプよりずっと良い政策を掲げ、あらゆる面で大統領を務める資質のある人だ。トランプの回りには、すでにジュリアーニ、ギングリッチなど、おきまりの右翼政治家が群がり、トランプに自分達のアイディアを植えつける。一体どうなるのか」と話している。
トランプ氏は獲得選挙人数では、決定的にクリントン氏を上回ったが、一般投票の得票数合計ではクリントン氏を下回った。つまり、全米でより多くの投票者がクリントン氏に票を投じたのだ。クリントン支持者が思い描くアメリカン・ドリームは、トランプ支持者たちのそれとは異なるだろう。親から譲り受けた富を使い、カジノとホテル経営で不動産王となったトランプ新大統領の考えるアメリカン・ドリームの復活とは、はたして、どのようなものだろうか?
i. 元大統領ビル・クリントン氏との混乱を避けるため、クリントン氏とせず、ヒラリー氏と表記する
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