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Home 社会・文化

ハンガリーから西側へ冷戦終結への道筋をつけた「汎ヨーロッパ・ピクニック」

田口理穂 / TAGUCHI, Riho by 田口理穂 / TAGUCHI, Riho
4年 ago
in 社会・文化
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今では自由に行き来できる欧州内も、ひと昔前は国境検問があり、出入りが制限されていた。特に冷戦時代のいわゆる東側と西側との検問は厳しく、西側に属するオーストリアと東側に属するハンガリーの国境もその一つだった。そんな中、ハンガリー北東に位置するショプロンで1989年に開かれたのが「汎ヨーロッパ・ピクニック」だった。表向きはオーストリアとハンガリーの親睦を深めるピクニック・パーティだったが、実際には旧東ドイツの人々が国境を超えてオーストリア経由で西ドイツに亡命できるよう仕組まれた催しだったのだ。

2020年は冷戦の象徴だったベルリンの壁が壊れた1989年から31年、東西ドイツが統一し冷戦が終結した1990年から30年にあたる年だった。新型コロナウイルスが蔓延する直前のハンガリー・ショプロンを訪ねた。オーストリア側に突き出るように位置し、市街地は昔ながらの建物が残る趣ある街である。1989年8月19日に市郊外の公園で「汎ヨーロッパ・ピクニック」が開かれ、 東ドイツ市民がここからオーストリア経由で西ドイツに渡った。 今では記念公園として整備され、当時の出来事を伝えている。

map

<かつて東西の境目だったハンガリー・オーストリア国境で、オーストリア側に突き出たようになったシャプロン(赤色で表示。旧東側の国名にオレンジ、西側に黄緑色の下線を付けた) Google Mapより作成>
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<ハンガリーとオーストリアの国境に再現された柵 ©Riho TAGUCHI>

 

第二次世界大戦直後の1945年から、世界はアメリカを中心とした資本主義・自由主義の西側諸国と、ソビエト連邦を中心とした共産主義・社会主義の東側諸国に別れ対立していた。実戦を伴う戦争ではないことから冷戦(冷たい戦争)と呼ばれたこの対立は戦後ずっと続いていたが、1980年代後半から東側諸国では民主化を求める運動が広がり始めた。ソ連でペレストロイカが起こり、ハンガリーでも国外旅行が自由化されるなど徐々に民主化が進んでいった。一方、東ドイツは締め付けが厳しく、言論や職業選択の自由が制限され、一般市民が西ドイツや西ヨーロッパに旅行することは不可能だった。自国の体制に不満を持っていた東ドイツ市民は、東側諸国内は比較的移動しやすいことからチェコなどを通ってハンガリーに渡り、国境管理の緩いハンガリーから西側へ逃れよう集まり始めた。その様子を見て、ハンガリーで民主活動をしていた人たちは、そんな東ドイツ市民を少しでも支援しようと考えた。

政界の要人を巻き込み、入念に準備をし、ハンガリーとオーストリアの親睦を深めるという名目で、国境沿いの公園でピクニック・パーティが企画された。 1989年8月19日当日、外交官があいさつし、人々が飲んだり歌ったりしている最中に、旧東ドイツ市民たちは、今生の別れを覚悟して、国境検問所を通り抜けた。国境管理官は見て見ぬ振りをした。その日のうちに600人以上がオーストリアに入り、これは東西ドイツの壁建設以来、最大の亡命数となった。オーストリア側にはバスが待機し、予定通り彼らを西ドイツに運んだ。この月には、さらに数千人の東ドイツ人がここから西側に逃れた。
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<ハンガリーからオーストリアに入ることは、「自由」を象徴していた ©Riho TAGUCHI>

 

広々とした「汎ヨーロッパ・ピクニック公園」には、壊れた建物の地下から人々が出てくる姿を現したモニュメントがある。 開かれた世界を目の前にした人々の喜びを表現したものだ。その後ろには平和を象徴する鳩の描かれたパネルがあり、国境解放までの流れが点々と置かれた石碑に記されていた。説明文を読むと、当時のハンガリーでは首脳陣さえ、東ドイツ市民の亡命を支援していたことがわかる。さまざまな人々の協力や応援があって初めて実現し、それが冷戦終焉の一翼を担った。まさかそれから3ヶ月足らずのうちにベルリンの壁が壊れ、東欧各国が国境を解放し、のちにソ連が解体されるような事態になるとは誰が予想しただろうか。

「大きな歴史」の前に立つと、言葉が出なくなる。今、私はここに立って、部外者として当時の様子に思いを馳せている。現在は鉄条網も検問所もなく、すたすたと歩いてオーストリアとハンガリーを自由に往来できる。けれど30年前は違った。実際にここから、決死の覚悟で母国を後にした人たちがいたのだ。もう二度と家族や友人に会えないかもしれず、新しい地で何が待ち受けているかもわからない。亡命に失敗すれば射殺されたかもしれない。それを知りながらも西側に行くこと選んだ人たちには、それぞれ切実な理由があったのだろう。


DSC01722k

<自由を求める人々を表したオブジェ ©Riho TAGUCHI>

西側に行く理由は、端的にいえば「自由を求める」ということだと思う。 政府の管理と抑圧に窒息しそうな毎日を耐え難く思った人たちは、 自由に言いたいことをいい、旅行に出かけ、好きな職業につける生活を求めた。東ドイツにいて、離れ離れになった西ドイツの家族に会えないまま、閉塞感に押しつぶされそうになりながら一生を送りたくなかった。亡命とは「自由」など何かを求める行為というより、不条理な現状から逃れるための手段だと思う。各々切実な理由があっただろうが、どんな理由にせよ自国を捨てるほど追い詰められた状況だったのだ。

こうして冷戦が終わり、東欧諸国も欧州連合(EU)に加入するなど民主化は世界に広がりつつあるが、現在はハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相の独裁政権ぶりが懸念されている。同首相はもともと外国人排除やEU批判を訴えてきたが、2020年3月新型コロナウイルス対策を理由に非常事態宣言をし、首相権限を大幅に拡大させた。実質の独裁政権である。これは対岸の火事ではない。いつでもどこでも起こりうる。そんなとき、この公園にあった「自由の鐘」に思いを馳せたい。日本語の説明文があったので、ここに引用する(原文まま)。自由が脅かされることは、決してあってはならないのだから。

自由の鐘 

1989年6月30日、ヨーロッパの結束と自由を願う気持ちを込めた

パンヨーロッパ・ピクニックのアイデアが、デブレツェン市に生まれた。

ピクニックの名を付けたのは、

主なまとめ役でもあるハンガリー民主フォーラムのデブレツェン支部の方々だった。

政治と教会の方の扶助を利用し、ショプロン市に住む友人との協力で、

8月19日、ショプロンプスタという場所で、国境を超えたピクニックが実現された。

正に西への扉が開いたのだ。

その記念に、デブレツェンのピクニックが行われた場所へ「自由の鐘」を送った。

人と人との繋がりと自由をいつまでも思い出す所である。

IMG_3598k

<自由の鐘を仰ぎ見る少年 cRiho TAGUCHI>

 

 

トップ写真:平和を象徴する鳩の立て札には、1989年と鉄条網が描かれている ©Riho TAGUCHI

 

Tags: ドイツ冷戦欧州
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田口理穂 / TAGUCHI, Riho

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ジャーナリスト、裁判所認定ドイツ語通訳・翻訳士。日本で新聞記者を経て、1996年よりドイツ・ハノーファー在住。ライプニッツ・ハノーファー大学卒業、社会学修士。ドイツの環境政策や経済、社会情勢など幅広く執筆。視察やテレビ番組のコーディネートも。著書に「市民がつくった電力会社 ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命」(大月書店)「なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか」(学芸出版社)、共著に「『お手本の国』のウソ」「ニッポンの評判」(ともに新潮新書)、「コロナ対策 各国リーダーの通信簿」(共著・2021年1月・光文社新書)がある。

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