~SpeakUp Overseas 公開記念寄稿~
はじめに
アメリカで約3000人が犠牲になった2001年9月11日の同時多発テロ事件から15年が経った。2016年9月11日、アメリカのオバマ大統領は、ワシントン郊外の国防総省で、事件を引き起こした「アルカイダ」の指導者ビンラディン氏を殺害したことにふれ、テロとの戦いは成果を上げたと演説したと報じられた。しかし15年が経過しても、アメリカを含め世界各地で、いわゆる「テロ」は後を絶たず、「文明の対立」の結果としての戦争は、深化する一方だと言っても過言ではない。
戦争報道において、メディアは当事国の利害に巻き込まれ、客観的な報道が出来ないことが多い。現在でも、たとえば、ウクライナ東部ドネツク地方の紛争報道では、ドイツなど西側メディアとロシアのメディアでは報道内容が大きく異なっている。それぞれのジャーナリストが故意に真実を曲げたとは思えない。日常の取材環境のなかでの当事者意識に加えて、当局の発表に誘導されたのかもしれない。しかし、異なる内容の報道によって、受け手の判断には大きな差異がでて、それがまた紛争を深刻化させる。
「9.11」当時の多くのアメリカのメディアは、興奮した市民の「愛国心」の高揚に押されて報道した。いま取材の第一線で活躍するジャーナリストの多くは、15年前は、まだ学生か、駆け出しであった。当時のメディア状況を正確に理解していなかった人も多かろう。「9.11」を当時世界のメディアがどう伝えたかを、改めて想起し、客観的な報道の重要性を再確認することは、ジャーナリストにとって必要なことだと信じ、「緊急報告 米多発テロとメディア」及び「検証1年 米同時多発テロとメディア」(いずれもNHK放送文化研究所)に筆者が寄稿した「同時多発テロ報道とジャーナリズムの課題」「試練に直面するメディアとジャーナリスト」の要約版をSpeakUp Overseasの公開記念として投稿することとした。ジャーナリストとして繰り返し考えるべきテーマを風化させてはならないと信ずるからだ。
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アメリカでの「愛国心」とメディア
アメリカ国内の「9.11」報道は、当初比較的冷静だったとマスコミ研究者は評価していた。アメリカの新聞も、視聴者が最も頼りにしていたのは、いつも見慣れていたテレビのアンカーだったと後に報じている。ワシントンにある世論調査会社Pew Research Center for the People & the Press の調査によれば、新聞も含めたアメリカのメディアは、発生1週間の報道については89%もの人たちから肯定的な評価を受けた。
しかし、ブッシュ大統領が「アルカイダ」が拠点としていたアフガニスタンへの報復軍事行動を決めると、「反テロリズム感情」で高揚した市民の「愛国心」に押されて、メディアの基調に変化が表れた。当時のABCテレビとワシントン・ポスト紙の共同世論調査によれば、ブッシュ大統領の支持率は事件発生4日前には55%であったが、一気に31ポイント上がり86%に達した。軍事行動への支持率は93%であった。
街には星条旗があふれた。ウェストバージニア州では、アフガニスタンへの軍事行動に反対し、反戦Tシャツを着て登校した15歳の女子高校生が停学処分となった。コロラド州のボルダ―市立図書館では、館長が星条旗を掲げることに反対したところ、数千通の非難の投書が届いた。
このような状況のもとで、メディアも「愛国心」の嵐に直撃された。ABCテレビが9月17日に放送した深夜のお笑いバラエティ番組で、出演者の一人が、ブッシュ大統領がテロリストを卑怯者と呼んだことに関して、自らの大義に死ぬことが卑怯だろうかとの疑問を呈した。これに応えて司会者が「2000マイルも離れたところからミサイルを発射するわれわれの方が卑怯だ」と述べた。この発言にスポンサーをはじめ多くの抗議が殺到し、司会者は後日謝罪した。
ブッシュ大統領が事件発生後、ネブラスカ空軍基地に避難し、実質的に行方不明になったことを揶揄して、テキサス州の「テキサス・シティ・サン」紙のコラムニストが「悪夢のあと、大統領は母親のベッドに避難場所を探した」と書いたため解雇され、新聞社は謝罪記事を1面に掲載した。
こうした例は、枚挙に暇がないほどであった。
ダン・ラザー氏の発言
全米的に著名なCBSテレビのアンカー、ダン・ラザー氏は、事件発生直後は、抑制のきいた報道をしていた。しかし、報復軍事行動が決まると、戦争を支持し、「大統領が望むなら、私にどこへ行ってほしいか、言ってほしい」と自分の番組で発言した。ラザー氏の「テロへの報復」の全面的支持と感情過多とも見える報道ぶりに対して、メディア監視団体FAIR(Fairness &Accuracy in Reporting)のジェフ・コーエン氏は「リポーターというより兵士のようだった」と批判した。
しかし、エモーションに流されるのも許されるのではないか、との思いは当時のアメリカの多くのジャーナリストが感じていたことであった。政府批判に対しては、読者や視聴者から激しい抗議が殺到する事態のなかでは、「いかんともしがたかった」とThe Newspaper Guild-CWAのリンダ・フォーレイ会長(当時)は筆者のインタビューに答えている。
アメリカのメディアが冷静さを取り戻したのは、数か月後であった。ラザー氏は2002年5月、イギリスの公共放送BBCのインタビューのなかで、「アメリカのジャーナリストは、愛国心の欠如の烙印として燃え盛るタイヤを首にはめられるのではないかと恐れていた。これが質問を鈍らせたのだと思う。私も例外ではない」と「愛国心」に圧倒されていたことを認め、「真の愛国心があるなら家族を戦場へ送る当局を厳しく問い詰めるべきだった」と述べた。
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ヨーロッパの報道
「9.11」報道でヨーロッパのメディアが重視したのは、各国が抱える民族と宗教の問題であった。イスラム諸国からの移民が多く住んでいるヨーロッパでは、民族や宗教による対立の深刻化は、社会を根底から揺さぶることにつながるからである。
「9.11」の直後に、アメリカのCNNが攻撃を喜ぶパレスチナの民衆の映像を流し、ドイツでもこの映像が放映された。この映像は、ヨーロッパにおけるイスラム教社会とキリスト教社会の長年にわたる相互理解の努力を瞬時に吹き飛ばすようなインパクトをもたらし、イスラム教徒に対する迫害や嫌がらせが各地で起きた。国際ジャーナリスト連盟(本部:ベルギーブリュッセル、略称:IFJ)が2001年10月にまとめた報告者「World Journalists Issue Report on Media, War and Terrorism」によれば、「多くの国のメディアは、民族や宗教的対立を煽らないよう最大限の努力をした」という。
しかし、すべてのメディアが十分な配慮をしえたかというと、そうではない。デンマークでは、コペンハーゲンに住むパレスチナ出身の若い人たちが攻撃を喜んでいる様子をテレビが放送した。移民に対して進歩的な政策をとってきたデンマークであったが、この映像は住民に大きな衝撃を与え、2001年11月の総選挙で、移民の規制強化を主張する政党の躍進につながった。
フィンランドでも、攻撃を喜ぶパレスチナ人の映像が放送された。イタリアでは、最大紙「コリエラ・デラ・セラ」が、ジャーナリストのオリアーナ・ファラーチ氏のイスラム批判の論考「怒りと誇り」を掲載した。「十字軍と逆の事態が始まっている」との内容で、この記事は、ポーランドの「ガゼタ・ウィボルチャ」紙とスペインの「エルムンド」紙にも掲載された。
フランスのメディアもテロ事件を大きく扱った。しかし、フランス人がアメリカ人になってしまったような印象を与える報道が多く、アメリカのアラブ政策に対する分析が不足していたという。
ドイツのメディアの報道は、すべて同じようなものであった。ただ、公共テレビARDのアンカーが週刊誌への寄稿で「同時多発テロの原因や背景を深く考察することなしに武力で報復することは西欧の価値観にあわない。ブッシュ大統領の思考回路はビンラディン氏と同じである」と書いた。これに対して野党から厳しい批判が出て、このアンカーは本人が出演しているニュース番組で謝罪し、記事の内容を撤回した。
イギリスの公共放送BBCは、ブッシュ大統領に全面的協力態勢を取ったイギリス政府の方針を丁寧に伝えた。新聞よりもBBCの方が、政府に対し協力的だった。BBCの意識の中に、この事件では政府の方針を伝えることが国益にかなうとの自負があったとIFJに加盟するイギリスのジャーナリスト・ユニオンは指摘している。報復軍事行動の結果、アフガニスタンに新政府が樹立されたときに、「ガーディアン」紙は、「This is our Vietnam」とのタイトルで「誰がすそ野の広い政府を運営するのか、そして誰がそれを調停する信頼性をもっているのか」との記事を掲載した。これが、当時のイギリスで多くのジャーナリストの問題意識だったとジム・ブーメラ氏(IFJ前会長)が後に筆者に語ってくれた。
中東メディアの報道
中東カタールのニュース専門の衛星放送局「アルジャジーラ」は、「9.11」のあと、ビンラディン氏の声明を独占的に発信し、世界の注目を集めた。「アルジャジーラ」はカタール政府から運営費の一部を補助されていたことから、ブッシュ政権はカタール政府に「アルジャジーラ」に影響力を行使するよう要請したが、カタール政府は「報道機関は完全に独立したものであるべきだ」として、要請を断った。「アルジャジーラ」の影響力が無視できなくなったブッシュ政権は、放送内容に圧力をかける方針を変更して、国務長官や国防長官を出演させて、アメリカの立場を主張するようになった。
IFJ報告書によれば、アメリカ軍によるアフガニスタンでの空爆が始まると、中東のメディアはアメリカを批判し、テレビでは空爆による犠牲者の映像が強調された。アラブ世界には、強い反イスラエルの感情があり、イスラエルを支持するアメリカに反発しているところから、メディアには反米傾向が強い。「インターニュース・ネットワーク」(アメリカの非営利団体)の代表ディビット・ホフマン氏は「イスラム世界とメディアの攻防」のなかで、以下のような例をあげている。アメリカがアフガニスタンに救援物資を投下したことについて、エジプトの新聞「アルハラム」が社説で「ワシントンは救援物資に毒を混ぜて、わざとアフガニスタンの地雷密集地域に投下した」と書いた。また、アラブのメディアには、「9月11日にはニューヨークの世界貿易センターには近づかないようユダヤ人は事前に警告されていた」書いたところもある。
おわりに
「9.11」は、メディアとジャーナリストにいくつかの課題を投げかけた。
第1は、「愛国心の高揚」のもとで、一時的は圧されることがあっても、どれだけ早く多面的な報道に戻れるか。
第2は、グローバル化により「文明の対立」が顕在化する時代に、民族・宗教の違いによる対立を増幅させないために、メディアがどれだけ役立てるか。
第3は、「9.11」後の報道に関して、ブッシュ政権はアメリカのメディアに対し報道規制を要請し、アメリカのメディアもそれを部分的に受け入れざるをえなかったが、「戦争報道」に際してどこまで真実に迫れるか。
第4は、この事件の後、テロ防止の名目でさまざまな市民的自由を制限する法律が施行されたが、メディアとジャーナリストは、行き過ぎた制限に監視の目を光らせること。
「9.11」が投げかけた課題は15年後のいまも、メディアとジャーナリストが抱えているテーマである。
トップ画像:自由の女神 public domain
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