日本人妻に子どもを連れ去られ、面会すらできないまま何年も放置されている欧州人男性二人が、10月20日、改めて欧州連合(EU)に働きかけた。今年前半には欧州議会の請願委員会に訴え出て、同議会は7月、日本を強く非難する決議を採択している。今回は、同議会の法務委員会に訴え出て、EUとの間で締結された戦略的パートナーシップ協定(SPA)の一時執行停止を求めた。家族の問題が、どうして国際協定に関係するのかと思うかもしれない。それは、EUが、協定相手国に対して「価値の共有」を前提として定めているからだ。欧州にとって日本は価値を共有できる国たりえないと彼らは訴える。
仕方がないですまされない
今年7月、欧州議会は日本に対する強い抗議の決議を採択した。日本人妻にEU籍を持つ子どもを連れ去られた欧州人男性の訴えを聞き入れたものだった。日本は、国連の子どもの権利条約も、ハーグ条約も批准しているにも関わらず、それを遵守して実行してはいないとしたのだ。その時に訴え出た欧州人の2人が、同議会の法務委員会に改めて訴え出て、今度はSPAの一時執行停止を求めている。日本は、国連子どもの権利条約が定める「子どもの権利」を守っていない、しかるにEUが前提とする「価値を共有できる国」ではないというのだ。
彼らは日本で、友人や弁護士や警察や裁判所を通して、また、国会議員やメディアにも働きかけて、日本国内で合法的にできることは全てを尽くした。しかし、日本では一方の親による子どもの連れ去りは「犯罪」とされないために警察は動かない。裁判所は、慣例的に連れ去った側の親に監護権を付与しがちで、裁定した面会交流さえ強制執行する事例は極めて少なく、事実上連れ去った者勝ちが横行する。批准している子どもの権利条約では、「子どもの最善の利益」のためには、「定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する」と定められているのに、国も、警察も、裁判所も、社会全体も、「仕方がないこと」と無為無策を決め込んでいるかのようだと二人は嘆く。
<EU議会に働きかけるフランス人とイタリア人の男性2人©Vincent Fischot – Tommaso Perina>
彼らはフランス人とイタリア人だ。子供たちはEU籍も持つ。欧州では、親による子どもの連れ去りは、それだけで「虐待」と見なされ、拉致・誘拐という「犯罪」だ。欧州なら自分たちの訴えに共感して、行動してくれるはずと考え、まずは欧州議会の請願委員会に働きかけた。事情を訴え、EU法に詳しい弁護士や欧州議員たちと議論するうちに、EU官僚が、よく使う言葉が気になった。「Like-minded country」――同じような考え方を持つ国、価値・原則を共有する国という意味だ。
大前提となる価値の共有
2018年7月、何年もの長い交渉の末、EUと日本との間で2つの重要な協定が締結された(発効は2019年2月)。経済連携協定(EPA)と戦略的パートナーシップ協定(SPA)だ。EUと結ばれる国際協定の前文には、必ず、民主主義、法の秩序、人権尊重などの価値の共有がうたわれるが、特にSPAは政治やグローバル課題分野での政治・外交・社会面での緊密化を目的とする性格上、価値の共有は重要要件だ。
SPAではその第2条で、「世界人権宣言および関連する人権に関する国際条約を遵守する」と規定し、第43条4項では、これが「この協定に基づく協力の基礎の不可欠の要素を成す」として、この義務を明らかに怠った場合には緊急事案として速やかに対処すると定めている。
<EUと日本の間で締結される協定のイメージ図 ©European Union 2018>
欧州議会法務委員会で、二人の訴えに賛同し後押しするジョフロワ・ディディエ議員は、「日本では、何千人もの欧州人の親たちが、子どもと会う権利すら完全に奪われている。日本が基本的人権を遵守するようになるまでは、日本への制裁として、日本と結んだSPAを一時的に停止すべきだ」と主張する。「私達は、日本の文化やそれに根差す家族観の全てを変えろといっているわけではない。ただ、日本は自身が批准した国際条約を守るべきだと言っているだけなのです。2つの民主国家・地域が、基本的原則や法の秩序という基本線で譲ってしまったら、国際法は本質的な意味を失ってしまう」と。
<欧州議会法務委員会で二人を応援するジョフロワ・ディディエ議員©European Union 2019 – source: EP/Dominique HOMMEL>
議論がかみ合わない
2018年3月、在日本のEU28加盟国(当時)の大使たちは、日本人配偶者に子どもを連れ去られた欧州人当事者からの陳情を受けて、当時の上川法務大臣に抗議の書簡を送った。これを受けた上川大臣は、面会交流や子の引き渡しについては、「対応可能な法制度はある」との建前論で交わしただけだった。
欧州側では欧州市民のこうした陳情にどのように反応するのだろう。2019年6月、G7が日本で開催された折には、フランスとイタリアのそれぞれの大使館は、当事者の二人を来日した首脳に引き会わせ、直訴するチャンスを与えた。マクロン大統領は、「状況は全く容認できないほど痛ましい。当事者の父親たちの声に直接耳を傾けて聞くことができたが…。」と遺憾の声を漏らし、コンテ首相は「(批准した国際法に照らし合わせて)日本の国内法を運用するよう、トップレベルで議題にする」と明言した。
今年初めに開かれた欧州議会の請願委員会の公聴会では、「日本では15万人もの子供たちが片方の親によって家庭から拉致誘拐されて、もう一人の親を子どもの将来に関わらせまいとしている。その中には欧州の子どもたちも少なくない」などと議論され、ヤナ・トーム議員は、「こんなことが21世紀の日本で起こっているとは、想像を絶する」と驚きを隠さなかった。
7月の欧州議会の決議について外国人記者から見解を求められた茂木外務大臣(当時)は、国際案件(ハーグ条約案件)だけに言及して、「国際規約を遵守していないという決議の指摘は全く当たらない」とかわした。記者は当然ながら、決議がハーグ条約と子どもの権利条約の両方の侵害を非難していることを尋ねたのに対し、一方にだけ言及して答えたような答えていないような返答をする、いわゆる「ご飯論法」のような答えは、欧州人記者には通用しないようだ。後に、フランスの経済紙「レゼコ」は、日本が子どもの権利条約を守らず、共同親権を合法化する努力もせず、連れ去った方の親に独占的監護権を付与しがちな現状を厳しい論調で伝えた。
SPA一時停止という制裁
EUは本気で、SPAの一時停止という日本への制裁に踏み込むだろうか。前述のディディエ議員はこんな風に考える。
議論で日本を動かせないなら、直接、経済に影響させる方法を取るしかない。つまり協定の停止などの制裁がなければ、日本は変わらないだろう。この戦いはまだ始まったばかり。欧州議会は今年前半の決議に至る議論で、この件についての日本の無為無策を充分に認識しているから、期待できるだろう、と。
ディディエ議員はさらにこうコメントした。「価値を共有するはずの友好国である日本が基本的権利を遵守できないなら、これは普遍的な戦いです。(日本の子どもたちを含め)全ての子どもは家族や両方の親と会うことができなければならない。人間の尊厳がかかっているのです。これはEUが掲げるもっとも基本的な原則――欧州市民を代表する欧州議会は、それを求めなければならないのです。」
二人の当事者が求めているのは、日本の法律や司法制度を是正するなどという大上段に構えたことでも、子どもを連れ去った妻への憎しみを晴らすことでも、離婚訴訟で勝つことでもない。ただ一心に、愛する子供たちにただちに会いたい、それだけだ。たとえ、夫婦間にトラブルがあったとしても、子どもがそれぞれの親と親しく交わる関係性を保つこととは全く別のことだ。何年も物理的に引き離されていれば、幼い子供たちのほのかな記憶は消え去ってしまう。「もう自分のことを忘れているかもしれない」と二人は絶望する。
筆者が知る限り、欧州では、親が別居中でも離婚していても、どんなに世間的にだめな親かもしれなくても、経済力がなくとも、社会全体が、子どもは両方の親と親密な関係を築きながら育つことが最大の利益と考える。だからこそそれを規定する子どもの権利条約にも批准しているのだ。たとえその親が重大犯罪で服役中でも、精神疾患を持ち治療中であっても、子どもが将来に渡ってそれぞれの親と交わる可能性を閉ざさないようにとあらゆる手段を講じる。それが、欧州が礎とする価値の一つだからだ。
仙台家庭裁判所から渡された調査報告書を読んだイタリア人父親は悲嘆に崩れた。そこには、もう幼い娘は父親の記憶もないと書かれていたからだ。「○○ちゃんのパパね、いないよ。しらない、○○ちゃんが赤ちゃんの時にいなくなっちゃったから。」この幼い子どもは、母親の独断で、ある日突然父親から引き離された。裁判所が定めた面会交流も母親によって一方的に反故にされ、プレゼントも手紙も拒絶されている。これからの長い人生に渡って、父親から受けることができるかもしれない愛情や言語や欧州の価値というかけがえのない宝ものを奪われたままにされている。
<もう幼い子供たちは自分を覚えてすらいないと嘆くペリーナ氏©Tommaso Perina>
折しもアメリカでは、国を文字通り二分した戦いの末に、バイデン氏が次期大統領に選ばれた。様々な国際条約を遵守し、法の秩序や人権擁護という価値の共有を求めるEUや欧州各国の首脳から、早々にお祝いと歓迎のメッセージが贈られた。4年前に、トランプ氏にいち早く駆け寄った日本は、改めて、欧米と価値を共有できる国たるのかが問われそうだ。
トップ画像:©Rutzu-Taz