2015年、欧州の難民危機については、日本のメディアでも、報道頻度が増え、ある程度、知られるようになった。しかし、欧州内のある国の、ある時点での速報性や現場感を断片的に伝えるものがほとんど。センセーショナルではあっても、欧州連合(EU)としての対応も含め、歴史的、地域的な解説を含めた俯瞰的体系的な理解のベースとなるものは少ない。ここでは、やや長くなるが、今後、欧州難民危機関連の新たな展開があったとき、いつでも戻ってこられる体系的情報を何回かにわけて整理しておこう。
INDEX
- 内側から観る欧州難民危機(前編) : 難民は、なぜ欧州を目指すのか?
- 内側から観る欧州難民危機(中編) : 欧州はこの危機にどう対応しようとしているのか
- 内側から観る欧州難民危機(後編) : 欧州難民危機、これからの行方
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難民は、なぜ欧州を目指すのか?
2015年、欧州は、テロに慄き、震えた。そしてそれが「暗澹たる時代」の始まりでしかないことを予感させたのは、欧州めがけて止めどなく押し寄せる膨大な難民の群れだった。その数は、2015年、110万人を記録したが、2016年1~2月の数値は前年同期比30倍とも報告され、決壊したダムから勢いよく流れ落ちる濁流のように、その勢いは留まるところを知らない。
日本の人々には、遠い欧州のできごととして、実感も関心も乏しいようだ。マスコミがたまに扱えば、「中東情勢を悪化させてきた列強のツケだ」、「原因解決に尽力すべきだ」、「難民の社会統合がうまく行っていない」など、正論を振りかざし、施策のほころびを冷ややかに伝える。同じ遠方でも、北米やオセアニア諸国の論調には、「地球社会に共有の問題である」という当事者意識が感じられる点が異なる。日本のメディアの論調は、自国の消極的な難民受け入れを相対的に正当化しようとしているかのようですらある。
難民の大半はドイツを目指す。理想とのギャップに幻滅した難民による事件もしばしば伝えられるが、ドイツでは市町村に割り当てられた難民のために、驚くほど多くの市民が、これから何十年にも渡るであろう草の根の取り組みに自発的に関わり始めている。フランスやベルギーの北海沿いには、何としてでも英国へ渡ろうとする難民が無法地帯を形成している。今も続く難民流入の前線国ギリシャは、バルカン半島のハンガリーやマセドニアなどが次々国境をとざしたため、数万人以上の難民で溢れかえっている。欧州連合(EU)は、ギリシャの負荷を軽減し、今も250万人以上の難民が待機するトルコで難民の欧州大移動を留めてもらうために、日夜議論を続け、大胆な施策を試みている。しかし、28カ国の大所帯の意志統一は容易ではなく、施策は追っ手に回りがちだ。
欧州難民危機のテーマを、経過を追って、内側から欧州難民危機の現実を基本から解説してみよう。
そもそも難民とは、そしてその世界的動向は?
日本も批准している国連の難民条約(1951年および67年)によれば、難民(refugee)とは「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、あるいはその恐れがあるために他国に逃れる人々」と定義されている。国境を越えずに自国内に留まる国内避難民を含め、これらの人々は国際的保護を求める権利を持つ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2014年時点での、世界の難民数は約6,000万人にも昇るという 。
1990年代初頭には旧ユーゴスラビア紛争で、2000年代初頭には湾岸戦争の影響で著しく増加した欧州への難民は、その後小康状態となっていたが、イラクやアフガニスタンでの紛争に加え、「アラブの春」と呼ばれるイスラム世界での反政府民主化運動の広がりによって2010年ごろから再び増加。EU加盟28カ国への難民申請数は2010年の約26万人から年々増加の一途をたどり、2014年には約63万人、2015年はとうとう初めて100万人(欧州統計局Eurostat)を突破した。この中から審査を経て難民相当の地位を認められると予測される数は35万~45万人で、第二次世界大戦後最大の数となる見通しだ。(国際移住機関International Organisation for Migration =IOM)
紺:OECD全体、青:EU全体、水色:ドイツ
出典: OECD Migration Policy Debates, Nr.7, Sept 2015, データ:UNHCR、2015
https://www.oecd.org/migration/
難民はどういう道筋で欧州に押し寄せるのか?
欧州に向かう膨大な難民の多くは、長期化過激化する内戦を逃れるシリア人だ。まずは周辺のトルコ、レバノン、ヨルダンなどに逃れ、難民キャンプに身を置きながら、第三国への受け入れを待っていた約400万人の一部が、劣悪な環境下で長期化する待機にしびれをきらし、季節が良くなる2015年春を待って、欧州への決死の大移動を始めたのだ。シリア内戦が始まる前のシリア人口は2,200万人とされるが、国内避難者も含めると、すでにその半数以上が難民化しているという(UNHCR)。
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しかし、同様のルートで欧州を目指す難民は、シリア人ばかりではない。中東・西アジアには、イラク、アフガニスタン、パキスタン、さらにはモンゴルなど、またアフリカには、エリトリア、マリ、ガンビア、ナイジェリアなど、内戦や宗教や部族間の争いなどを理由にする迫害・殺りくから逃れようとする膨大な人々が、シリア人とほぼ同様のルートをたどって欧州を目指す。さらに、バルカン半島には、旧ユーゴスラビア諸国のコソボなど、経済状態の悪化(から、願わくはEU諸国に移住したい人々が控えている。
これらの難民の群れは、当初、南周りで地中海を渡り、イタリアの小島に漂着するルートをとったが、EUがイタリアと共同で沿岸警備を強化すると、2015年夏ごろからは、トルコを横断し、ギリシャの小島に渡って、その後バルカン半島を陸路で北上するルートに毎日数千人が押し寄せるようになった。バルカン半島でEU南端となるハンガリーやクロアチアなどの国々では、庇護申請の処理や一時受け入れ容量がたちまち限界を超えてしまった。来る日も来る日も怒涛のように押し寄せる難民対応に忙殺される加盟国がある一方で、難民が目指す国は圧倒的にドイツが多く、次いでスウェーデンやオーストリア(ともに人口比では受入数が多い)などに偏っている。フランスやベルギーの北海沿岸には、英国に渡ろうとする難民数千人(イラク、アフガニスタン、パキスタン人などが多い)が溢れている。このようにEU加盟国の間でも、押し寄せる夥しい難民にお手上げ状態の国、何千何万という難民が傍若無人に通過していく国、難民がユートピアと夢見て目指す国、そのどれでもない国と状況は様々。今年に入っても難民流入の波は止まるどころか増え続け、トルコで留まっていた難民だけでも250万人が欧州への渡航チャンスを窺っているという。EU全体として結束し、負荷を分散し、世界の国々に協力要請しなければ、もはや国単位で対処できる次元を明らかに超えている。
難民はいったいなぜそんなに欧州に来たいのか。
二度の世界大戦を経て荒廃しきった欧州では、もう二度と、資源や領土、人種や宗教などを理由に、互いにいがみ合い争ったり、ある国が暴走したりすることがないようにと発足させたのが、欧州共同体であり、今日のEUの前身だ。そのため、戦禍や人種差別などで祖国を追われる人々を、積極的に受け入れる人道主義的な理念は、共同体の存在理由の根幹である。
具体的には、欧州連合の基本条約(「EUの機能に関する条約」78条)で亡命や庇護への共通政策を謳い、ダブリン規則(庇護申請者についての欧州連合の法律)や欧州庇護手続き指令などを整備しながら、加盟各国は互いに寛容な難民受け入れを呼び掛けてきた。人の自由な移動や異なる人々が交流することは、さまざまな機会を創出し、経済的発展と市民社会の向上に貢献すると信じているからだ。多くの難民が、あえて欧州を目指すのは、地理的に到達しやすいという理由もあるが、EUが、寛容な人道支援や積極的な移民受け入れ姿勢を貫こうとしていることを知っているからに他ならない。ユンカー欧州委員会委員長が、2015年9月、欧州議会の前で、「我々欧州人は、かつて皆難民だったではないか、歴史的正義を貫こうではないか 」と力強く語りかけたスピーチは欧州人の琴線に響いた。欧州は、有史以来、難民・移民の流入を繰り返して形成されてきたことは事実だからだ。
※トップ画像:バルカン半島を数珠つなぎになり、延々と北上する難民の群れ ©European Union 2015
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