日本でもこの写真が目に留まっただろうか。
アフガニスタンからベルギー空軍機で救出され、ブリュッセルの軍用空港に降り立ったアフガン少女の「希望の瞬間」をとらえた写真だ。ロイター通信によるもので、ベルギーの元首相で現在は欧州議会議員のギ・フェルホフスタッド氏らが8月26日、一斉にツイッターで拡散し、たちまち大きな反響を呼んだ。
それにしても…
筆者は、8月14日、米国によるあまりに唐突な強硬撤退が始まって以来2週間、カブール空港付近で刻々と展開する壮絶な撤退ドラマに釘付けになった。米国によるアフガニスタン侵攻や米バイデン大統領の撤退のやり方が適正だったのか、アフガン市民にとってどういう治世がよいのかなどの議論は専門家に任せよう。ただ、命の危険を感じて脱出したいと望む人々を各国がどうやって退避させ、混沌の中で各国の主要メディアやその現地ジャーナリストがどう伝えて来たか(現在進行形だが)を問いたい。
アメリカと軍事同盟(北大西洋条約機構=NATO)を結ぶ欧州の国々やカナダなどは掻き立てられるように次々と空軍機を飛ばし、どの国も数千~数万人単位で、自国民および自国民を支援した現地人とその家族を対象とした引き上げ作戦を展開した。英国、フランス、ドイツ、イタリアなどの大国ばかりではない。ポーランドも、ハンガリーも、オランダも、デンマークも。そして筆者の住むちっぽけなベルギーですら、あっという間に空軍機を飛ばし、6日間で1400人をひとまず退去させた。スキップで歓びを表した少女とその家族を含めて。
分刻みで展開する現地事情をリアルタイムで知ることができたのは、日本でいうならNHKやキー局にあたるような、それぞれの国の主要メディアが、現地に踏ん張って命がけで取材し続ける特派員やフリーのジャーナリストたち(中には白人女性も含め)からの迫真のリポートを、絶え間なく配信し続けたからだ。CNNやBBCやアル・ジャジーラばかりではない。欧州各国のメディアも、インドやシンガポールの主要メディアも、カブールに入ってきたタリバンたちに身体を張ってマイクを向け、戦々恐々としながらも抗議デモをする現地の声を、軍機が並ぶ異様な空港の様子を、そして過激グループISIS-Kによる自爆テロの衝撃を「外電」や「外国メディアによると」ではなく、独自の取材で分刻みに伝え続けた。
ワシントンでは、100人以上が時間との戦いの中で、過去20年間の雇用契約などを総ざらいし、通訳はもちろんのこと、賄いや運転手、その家族まで徹底的に調べ上げ、ヘリコプターで拾い上げたり、小型バスに乗せてタリバンの検問を突破しながら、空港まで運びつづけ、ピーク時には30分~45分ごとにどこかの国の空軍機が飛び立ち続けた2週間だった。
それでも、アメリカは、自国民約200人と現地の支援者約2000人を救出しきれなかったと伝えている。もちろん、赤十字や国境なき医師団、ジャーナリストなどで、現地に残ることを自ら選んだ果敢な人々もいる。だが、どの国も一様に、脱出を希望する自国民や支援者を置き去りにせざるを得なかったことを悔やみ、首脳がメディアに出て「必ず引き上げさせる」と熱く語っている。
世界中で90カ国以上が、一時的にせよ、アフガン難民の受け入れを表明している。欧米だけではない。オーストラリアもニュージーランドも、コロナ禍で今も苦しむインドやインドネシアも、アフリカのウガンダやバルカン半島のコソボ、北マケドニアでさえも。中国やロシアまで多少の受け入れを宣言。韓国は「我々には道義的責務がある」として400人の避難者を、Welcomeの横断幕で出迎え、子ども達にはクマのぬいぐるみを手渡したという。
この間、日本でどのように伝えているのかをのぞいてみた。外国通信社・外国メディアの報道をベースに、あるいはワシントン駐在記者の情報に基づいて、遠い国の出来事かのように、事実を淡々を伝え、その数はすでに激減しているようだ。
日米安保という軍事同盟で硬く守られているはずの日本の自衛隊機が、米軍の許可を得てカブール軍用空港に着陸できたのは、10日以上も遅れた8月25日のことだ。その間、日本大使館関係者など12人をあっという間に国外退去してしまっていたが、移送したのは英国空軍で、同盟国のはずの米軍でもなかった。救助すべき人々を市中から空港に移送する具体的方法も、それを担うはずの外交団も不在な現地に到着した自衛隊機3機が救出できたのは、日本人1人と日本人ではない14人だった。後者は米軍に依頼されて、イスラマバード(パキスタン)まで送り届けただけだというし、日本の外交関係者やNGOのために、仲間として忠実に働いてくれた現地スタッフは皆、置き去りにされたままだが、日本の首脳からの熱い決意は聞かれない。
日本ではオリパラと、周回遅れのコロナ禍と、政局がさかんに伝えられる。
欧米メディアは、米軍機にすがりつき振り落とされていく人々の映像などが、サイゴン陥落(1975年)を彷彿とさせると伝えた。日本の主要メディアではどちらの映像も「壮絶すぎるから」とリアルタイムで見せることはなかったらしい。筆者は欧州に来るまで、サイゴン陥落の映像を散発的には見ても、詳細に全貌がわかるように見ることはなかった。
スキップする少女の歓びも、中村哲さんなど日本人とともに尽力した現地の人々の嘆きも、日本の主要メディアからは伝えられないのだろうか。