ドイツの新型コロナウィルス感染危機(以降、コロナ危機)の中で、私が強く印象を受けたのは、ドイツ連邦政府の迅速な対応、国民に対するコミュニケーションの的確さ、そして国民の連帯、の3点だ。
メルケル首相の圧倒的なスピーチ
ドイツ最初の感染者がドイツ南東部バイエルン州で確認されたのは、1月28日。そこから700km近く離れたドイツ西部のハインスベルク郡で、別ルートでの感染者が確定されたのは2 月25日だった。ここまでの時点では、感染者数がひとにぎりだったことから、イェンス・シュパーン保健相は「不必要に心配したり警戒するような事態ではない」とコメントしていた。しかし、3月に入って感染者数が連日雪ダルマ式に増え、スーパーで消毒液やトイレットペーパーの品切れが続いて不穏な空気が広がってくると、すぐさまアンゲラ・メルケル首相の陣頭指揮に切り替わった。
ドイツでも品切れが続出 ©Mika Tanaka
3月18日、首相は1人でテレビカメラの前に立ち、15分間のスピーチを収録、夜のゴールデンタイムに4局を通じて放映させた。「事態は深刻です。皆さんも真剣に受け止めて下さい」。「わが国にとって、ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど一致団結した取り組みが求められる試練はありませんでした」「真剣に、そして理性的に取り組んで下さい」。
首相は2500万人の視聴者に向かって、コロナ危機がいかに国の一大事であり、それに打ち勝つため、いかに国民の理解と連帯が必要かを語った。静かに諭すような、時には懇願するような、しかし決然とした口調だった。外出を控え、人と物理的に距離を保つことで自分と他者の両方を守るように、と訴えただけではない。ドイツの「開かれた民主主義」のために、政府の決断を透明化し、これを国民に説明し、国民が理解することが何よりも必要だ、と訴えたのだ。夫と息子と私はテレビの前にクギ付けになり、首相の言葉に聞き入った。民主主義原則とコロナ危機対処の関係を、奥深い内容を損なわず、しかも分かりやすく伝えるこのスピーチには、それほどの訴求力があった。
理解に基づく連帯が生まれる
翌日から、街の空気が変わり、買い物の風景が変わった。スーパーのレジの前では、テープで床が2メートルごとにマーキングされ、レジ係が座る場所には、飛沫感染予防のため、プラスチック製の透明バリアが築かれた。レジ係は全員ゴム手袋をはめ、レジ係と買い物客の接触を最小限にするため「できる限りカードで支払って下さい」との注意書きも掲げられた。パン屋のカウンター前でパンを買っているのは1人だけ。店の前には張り紙もないが、次の人は店の前でおとなしく待ち、その後ろに2メートル間隔で行列ができている。企業ではこれに先行してホームオフィスとテレビ会議が常態化し、社内での手洗い励行も日常になりつつあった。人々は平静で、黙々とこのSF映画のような状況に対処している。
若者たちも例外ではない。友人の20歳の娘に様子を尋ねたところ、「ボーイフレンドとは、フェイスブックややスカイプするだけ。当面会わないことにした」と、あっさりしている。外出好きだった50代の友人夫婦は、18歳の息子から「お父さんたち、ちょっと出かけすぎじゃないの? 家にいるべきだよ」と諭されたという。その本人が、コロナ危機勃発までは夜な夜なベルリンの街を遊び歩いていたのだ。
メルケル首相のメッセージが100%の効果をもって発信され、政府の方針を国民がしっかりと理解し、世代を超えた連帯が生まれたことが実感できる。免疫力が低く、買い物に出るのをためらう人や高齢者をサポートするため、ボランティアによる買い物代行ネットワークも各地で構築された。ドイツ人は徹底して個人主義で権利意識も非常に強いが、いったん事情を理解し、さらに「規則」が決まると、おおむね国民の足並みが揃う。筆者はこの国に30年近く暮して、ことあるごとにそう感じてきたが、今回その印象はさらに強まった。
21日、全国紙に掲載された保健省の広告。「私たちは、皆さんのために病院にいます。皆さんは、私たちのために家にいて下さい」とのメッセージ
徹底した具体策、政府への信頼
さて、首相のテレビ出演と前後して、ドイツ政府は機関銃のように連日何らかのコロナ対策措置を発表し始めた。これを国民に伝えるための記者会見も毎晩放映される。3月17日には、EU市民以外の第三国の国籍者が、ごく一部の例外を除いて即刻入国禁止になった。18日、外務省が国外滞在中の20万人のドイツ人旅行者を連れ帰るミッションを開始、国防省が医療行為への連邦軍衛生部の投入検討を発表する。
22日、首相は国内全16州の首相と電話で協議し、ウィルス拡散防止対策として全国統一ガイドラインを導入することで全州が合意した。「接触禁止令」とも呼ばれるこの措置は、コロナ危機対策の中核である。医療関係者などを例外として、国民全員に同居家族等以外の他人との接触を必要最低限にとどめ、公共空間では他人との距離を必ず最低1.5メートル以上空けることを義務付けた。テイクアウトを除くすべての飲食店も営業禁止に。この措置は当面4月19日まで続行される。この日には、メルケル首相自身が自宅隔離に入ったことも報じられた。首相に予防注射をした医師がCovid 19感染者だったことが判明したためで、ここでも情報透明化の原則が貫かれている。
続く25日、連邦議会はコロナ危機の国内経済への打撃緩和策として、企業に対する支援措置1,225億ユーロの拠出を中心とする総額1560億ユーロ(約18兆7200億円)の補正予算を、ほぼ全党一致でスピード可決した。オラフ・ショルツ蔵相自身が「バズーカ砲」と表現する、過去最大規模の特別予算だ。27日には補正予算が連邦参議院を通過、これと同時に、企業からは補助金給付を求めるオンライン申請が殺到した。
ドイツ政府の危機管理は的確で、スピード感があり、そして国民をしっかり牽引している。ドイツ公共放送ARDが23日に発表した世論調査(有権者1,000人が対象)では、 回答者の95%が「接触禁止令」に賛成し、75%が政府の危機管理に満足している。同様に、75%がドイツの医療システムを信頼している、と回答した。
シュパーン保健相は26日の記者会見で、現在の状態を「嵐の前の静けさ」と語った。コロナ危機の正念場は、実はこれからだ。政府ができる限りの手を打ったからといって、すぐに気を緩めないように。保健相の冷静な語り方には、国民に引き続き注意を促すメッセージが託されて、ここでもコミュニケーションの巧みさが感じられた。
ロベルト・コッホ研究所の公式発表によると、3月30日現在、ドイツ全国の感染者数は62,435人、死亡者数累計は541人となっている。感染力鈍化の傾向はまだ見えない。しかし、やがて鈍化傾向が現われ、接触禁止令の解除を政府が検討し始めたとき、大多数の国民が無制限に外出を始めることによる危機のリバウンドを回避するため、政府はどのようにコミュニケーション戦略を調整するのだろうか。筆者はそこにとても興味を持っている。
21日に続き、28日に掲載された健康省の広告。「家にいます。みんなで協力し合っているから」