ニューヨークが、欧州に続いて、新型コロナウィルス感染の震央となったばかりの4月初め、ソーシャル・プラクティス・アーチストの田中康予さんに、その様子をレポートしてもらった。あれから2カ月。アメリカは今、人種差別や警察暴力に対する抗議の嵐が吹き荒れ、それは欧州に、世界にも連帯の輪を広げている。日夜デモが繰り広げられるニューヨークの今をレポートしてもらった。
<トップ写真:「End White Silence」(「白人よ沈黙を破ろう」)というスローガンで、多くの白人女性の参加がこの運動の大きな 支えとなっている。6月2日のニューヨーク市警察の本部前のデモ。 ©Yasuyo Tanaka>
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経済不安を訴えアメリカ各地で、ロックダウンの早期解除を求めるデモが拡大し、50州すべての経済活動が部分的に再開し始めた5月25日。米北部ミネソタ州ミネアポリスで、無抵抗の黒人男性ジョージ・フロイド氏が詐欺容疑で逮捕されようとする間に、白人のデレク・ショーヴァン警察官に押さえつけられ死亡する事件が発生しました。現場で目撃者が録画していた、フロイド氏が「息ができない」と訴えている生々しいやりとりの動画が、ソーシャルメディアによって一気に拡散しました。
<5月28日にマンハッタン区東14丁目ユニオンスクエアで、数十人デモが始まり5人が拘束され夜のデモが過激化。その地下鉄の入り口にできていた抗議コーナー6月2日に撮影。©Yasuyo Tanaka>
デモの集団感染
事件直後に、ミネアポリスで行われた抗議デモは平和的なものでしたが、29日の夜、警察署や店舗などが放火され強盗も起こり、暴力沙汰となりました。ミネソタ州のティム・ウォルツ州知事は、ミネアポリスでの抗議暴動について次のように語りました。市民社会を攻撃し、恐怖を駆り立て、この素晴らしい街を揺るがすもので、もはやフロイド氏に対する殺害とは関係のない。そして、騒ぎを大きくするために州外からきた人達が暴れている事を示唆しました。炎に包まれた衝撃的なシーンは全米各地に飛び火し、デモの集団感染が起きています。COVID-19によって体感した世の中の息苦しさ、その恐怖が怒りとなって爆発しているようにもみえます。
<ハーレムの入り口となるマンハッタンの8番街と110thストリートの交差点にあるフレデリックダグラス・サークルで6月7日の日曜日に行われた集会。この後、警察が見守る中、デモ行進が行われた。©Yasuyo Tanaka>
ニューヨーク市でも、フロイド氏の死に抗議するBlack Lives Matter(黒人の命も大切)の大規模なデモが、マンハッタンを始め様々な場所で繰り広げられました。31日の夜のデモで、レンガ投げつけ等の暴力行為、店舗の破壊、略奪、警察車両への放火が起きたため、NYのデブラシオ市長は、6月1日に夜間外出禁止令を発令し、これを7日までは継続すると発表しました。各州で起こった警察との激しい攻防が報道される中、時間が経つにつれ、片膝をつく姿勢で非暴力の意思を示し、互いの対立を止める姿や、自らもデモ参加を希望する警官達や、手を広げて暴動を制止する抗議者達の姿も伝えられ始めました。抗議の行われている場所の周辺で「謎の積み上げられたレンガを見た」という多くの目撃者からの報告があり、人種差別と暴力に対する抗議者とは全く異なる別の暴徒の存在がとりだたされています。
<6月2日のニューヨーク市警察本部前のデモのほとんどが若者だった。これまでデモに行ったことがない人も多いと聞く。 SNSを見た若者が大きなムーブメントを作っている。 ©Yasuyo Tanaka>
私が体験したニューヨークの抗議デモ
ロックダウン以降、2ヶ月半あまり、私はハーレム周辺のみで生活してきました。封鎖解除前に他の地域の様子が知りたかったこともあり、6月2日、ニューヨーク市警察の本部前まで2時間半歩いて出かけ、午後1時から行われたデモで何が起こっているのか肌で感じてきました。
セントラルパーク沿いを歩いていると、道端に散らばるタバコの吸い殻の多さと、駐車したパトカーの横で、マスクを配る警官の姿が目につきました。ミッドタウンのブロードウエイを進んでいくと、防護板に囲まれた店や、その取り付け作業をしている人達や、窓ガラスが割れたままなっている店をあちらこちらで見かけました。イースト・ヴィレッチからラファイエット・ストリートを歩き出すと、それぞれの思いを綴った手書きのサインを掲げた若者達がどこからともなく現れ、一緒の方向に歩き出して、自然とデモが始まりました。
<非暴力のポーズ「片膝立ち」で、沈黙のアピール。一人が座り出すとみんながそれに合わせて座りだし共感を生んでいる。©Yasuyo Tanaka>
ニューヨーク市警察の本部前に到着すると、広場は群衆で埋め尽くされていました。その大半は多様な人種の友達同士が集まったような和気藹々とした若者たちで、黒人女性が「参加してくれてありがとう」と声をかけていました。人数の多さに圧倒されながらも緊張感はなく、シュプレヒコールが自然に多方向から始まり、それが波のように穏やかに伝染して同調していく様は、平和的で共感と感動に包まれていました。これが、未来の姿だと希望が湧いてきて、遠くから見ている警官に向かって手を振ると笑顔で返してくれました。
<多くの人が花束を抱えて平和をアピール。黒い服を着ていた人が目立ち追悼の意味もあるのかもしれない。 ©Yasuyo Tanaka >
2014年には、NY湾内マンハッタンの南側に位置するスタテン島で、今回と同じような事件がありました。白人のダニエル・パンタレオ警察官が、逮捕途中に絞め技を使用し、たばこの違法販売容疑をかけられていた黒人エリック・ガーナー氏が死亡したというものでした。現場で「息ができない」と訴えて亡くなったフロイド氏の姿は、過去からの多くの犠牲者達の姿と重なり、このようなことが次は自分に降りかかってくるかもしれない不平等で不公正な社会を象徴し、多くの人たちの共感を呼んでいます。「ノージャステス、ノーピース」――この本質的な問題が解決されなければ未来はないと気づき始めた大勢の人達が自筆のプラカード掲げて行進をはじめ、路上の車はクラクションを鳴らし応援していました。
<6月4日 7番街と 125thストリートでの集会。感情が高まり泣き出した黒人もいた。そばにいて話を聞く、耳を傾けることから相互理解を始める。 ©Yasuyo Tanaka>
共有して癒していく心の傷
新型コロナウィルス感染とロックダウンで最も被害を受けたのは低所得者の黒人とヒスパニックでした。6月3日には、COVID-19の治療に当たったニューヨークとその周辺の医師や医療従事者達がタイムズスクエアに集まり、 “差別は病気だ”とし、長年の人種差別のため黒人をはじめとしたマイノリティーの健康が損なわれ、経済的な事情で適切な医療を受けられないことに抗議しました。長く続いたロックダウンによる体力低下と経済危機によるストレスが心配される中、医療関係者が声を上げてくれたのを頼もしく思いました。
6月4日は、フロイド氏の追悼式がミネアポリスで行われました。地元ハーレムの警察署のある通りは、通行禁止になっていてました。警察官に聞くと、近くで行われている大きな集会の防護のためで、今のところハーレムでは被害届は出ていないという事でした。その先のストリートでは、黒く塗った防護板に、今感じていることを書いてくださいと通行人にチョークを渡している黒人男性達がいました。私も一言書きながら、心を癒すためにこういうことが必要な時なんだと感じました。
黒人初の下院議員となって公民権運動の立役者として活躍したアダム・クレイトン・パウエル・ジュニアの銅像がある州政府ビルの前の広場は、人で埋め尽くされていていました。ハーレム再生のため話もありましたが、メインは、黒人の人達がこれまで溜め込んできた思いの丈を話し、それを聞くことことでした。感情が高まり泣き出す人もいて、その横に白人が寄り添って話を聞く姿が印象的でした。
<2018年の5月の母の日。ワシントンDCで行われた警察官に子供を殺された被害者の母達の集会。母親の訴えを黒人との子供を持つ白人女性の友人と聞きに行った。 ©Yasuyo Tanaka >
2年前の母の日に、ワシントンDCで、警官に子供を殺された被害者の集会に行った時のことを思い出します。たくさんの罪のない子供たちが殺され、公正な裁判が受けられない被害者の母親達のほとんどが黒人でした。毎年、この時期に参加している展覧会 Arts to End Violence (暴力を終わりにするためのアート)に、この母の日の集会の写真を出品しようと思っていましたが、残念ながら今年は中止になりました。昨年、銃による暴力をなくすイベントにアートを取り入れて、地元ハーレムの警察官達と子供達が一緒にやっていた光景が蘇ります。この国が変わるために、今まで抱え持っていた膿みを出し切り、あらゆる違いを超えて、みんなで共有し癒していくことが大切な時です。
<6月7日の人種差別解消の歴史が刻まれたハレームでのデモ行進。黒人と白人のカップルも多く、この子達が差別のない未来をつくる鍵になる。 ©Yasuyo Tanaka>
封鎖解除後の世界
NY警察の本部前のデモの帰りにチャイナタウンで買い物をしようと出かけると、いつも活気のあった生鮮食品を売る小さなお店は閉まっていて、開いているスーパーも近くに行かないと、閉まっているように見えるほど静かでした。珍しい食材にも出会え、アジアを感じることのできるこの界隈での買い物は、私にとって安らぎのひと時でした。ロックダウンの被害をもろに受けたチャイナタウンを目の前にして、COVID-19が広がりだした当初、中国人やアジア人に対する差別が問題になっていたことが頭をよぎりました。格差社会で自営業の小さなお店は家賃が払えず消えだし、大手のチェーン店がほとんどとなり、これまで何年にも渡り、街の個性が消えていくのを見てきましたが、今回のことでさらに拍車がかかっているかのようです。
新型コロナウィルス感染拡大を抑え込む目的で取られたロックダウンという措置は、隠れていた多くの社会問題を浮き彫りにし、多くの犠牲者を出しました。この期間に起きたことをしっかり検証し、平等で公正な新しい社会システムをつくるため、私たち一人ひとりが自分にできることを見出し、繰り返されてきた差別と不公正と暴力に真正面から向き合う時が来ています。フロイド氏の弟のテレンスさんは、暴力的な抗議活動をしても兄は戻らないし、変化を起こせないとし、選挙で誰に投票すべきかを自分自身で学び、投票に行こうと呼びかけました。
『暴力をやめて投票を 弟の訴え』ノーカット版
6月8日から段階的に開始される、COVID-19の国内感染がもっとも深刻だったニューヨーク市の封鎖解除前日の日曜日。家族連れのハーレムの住民が参加した大規模なデモがありました。奴隷制廃止論を唱えたアフリカ系アメリカ人の活動家フレデリック・ダグラスの銅像の前で集会が行われ、肌の色で差別される社会を終わりにし、未来を担う子供達のための教育に力を注いでいく話し合いを続けて行こうと声と拍手が響き渡りました。それを聞いている私の隣には、手づくりのプラカードをじっと見つめる女の子がいました。「My Life Matters」(私の命は大事)よく晴れた澄んだ青空の下に広がる群衆を目ざし、時代が変わっていくのを実感しました。
<集会の話を聞きながらじっと自分で作ったプラカードを見つめる少女。肌の色の話をしな くていい時代が来ること予感させる。©Yasuyo Tanaka >
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
SpeakUpのライター田口理穂さんがハフポストに寄稿したドイツでの抗議デモについての記事は、こちらへ。
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<寄稿者プロフィール>
田中康予/ Yasuyo Tanaka
1994年、表現の可能性に挑戦するためにニューヨークへ移住。3.11の東日本大震災で、栃木県の故郷が核廃棄物の最終処分場候補地となったことから、核問題や日米の関係性に興味を持ち、様々な社会や環境問題を扱い、想像力や共感を養うことをテーマに作品を制作発表するソーシャル・プラクティス・アーティスト。個人サイトはこちらから。
最近の活動としては、スリーマイル原発事故の40周年メモリアル展覧会 “if the wind blows”、Lower Manhattan Cultural CouncilのCreative Learningの助成金を得て行ったマンハッタン計画の発祥の地で、10代のコミュニティセンターに通う子供たちと、その歴史を学び、現在の核問題について考え、その感想で本を作ったプロジェクト”Under This Sky: Manhattan Project” 、アクティストの仲間と国境を越えて様々な問題に対する心からの声を集めて、ひとつの大きな声にしていきたいと、立ち上げFacebookの“Voices from the heart”などがある。