ニュージーランドは最近、新型コロナウイルス対策で注目の的だ。米国の『ワシントン・ポスト』紙や、英国のオンライン新聞『インディペンデント』紙、カタールの衛星テレビ局、『アル・ジャジーラ』など、名だたるメディアがこぞって絶賛するのは、ジャシンダ・アーダーン首相の辣腕ぶり。しかし、評価すべきは一国の長としての手腕に長けていることだけではない。国民への気遣いもまたアーダーン首相(39歳)が、熱い視線を浴びる理由の一つだ。
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ニュージーランドの市場調査エージェンシー、コルマー・ブラントンが4月下旬に世論調査を行った。世帯ごとの自主隔離や学校・企業の閉鎖など最も厳しかった規制は4週間の予定だったが、さらに5日間延長するという政府の発表直後のことだ。
自由があまりなく、規制を強いられた生活を皆、大なり小なり窮屈に思っていたはずだ。それが5日も延びるという。不満が世論調査の結果に響いたかと思いきや、まったくそんなことはなかった。新型コロナウイルスに対する政府の対処を認めるとした人は88%にも上ったのだ。ちなみにG7の平均は50%だった。
なぜ国民はここまで政府を支持しているのだろうか。科学に基づく対処を効果的に行っているからだけではないだろう。国民と共に歩む姿勢を崩さないアーダーン首相。首相が、家族や友達のように人々にかけ続ける言葉に人気の秘密があるかもしれない。
今、一番よく耳にする言葉
“Bubble”
「バブル」
「バブル」とは「隔離をしている世帯」のことを指す。最初にアーダーン首相が使い始めたのは、現在国内に浸透している、「警戒レベル」の導入すぐのころだった。自然災害が多いニュージーランドにある津波や火山の警戒レベルに倣った、新型コロナウイルス専用のもので、4段階ある。レベルごとに状況と実践すべき行動が示されている。レベル1が最も危険性が低く、4が最も高い。
レベル1を飛ばし、2、3も各々数日とあっという間に通り過ぎ、レベル4に突入した。レベル4は危険性が最も高いだけあって、世帯ごとの自主隔離や学校・企業の閉鎖など、規制も最も厳しい。レベル4期間中は、国内には世帯の数だけたくさんのバブルがあることになる。一つのバブルの中で感染者が見つかった場合、感染拡大はそのバブル内で収まり、ほかのバブルに入り込むことはない。また、ほかからウイルスが来た場合、バブルの中にさえいれば、バブルの膜がウイルスから守ってくれる。そんなことをイメージ・表現しているのが、この言葉だ。
「しゃぼん玉」「泡」と言い換えることもできるバブルは壊れやすいもの。隔離中、バブル内の人がちょっとでも外に出ようと足を突き出しただけで、簡単に壊れてしまう。各世帯の一人ひとりが十分に注意して隔離のルールを守り、実践しない限り、自分の身や周囲の人を守ってくれるバブルを維持することはできない。
レベル4下での生活は従来とはまったく違っていた。慣れないことが多く、不便な上、世帯以外の肉親や友人に直接会っておしゃべりをすることも許されない。今までとは違ったストレスが積み重なる。そんな厳しい状況の中、「バブル」という言葉は覚えやすく、皆の心を少し軽くしてくれる。今ではすっかりお馴染みになった。もし日本であれば「今年の流行語大賞」になっていたことだろう。
「バブル」のイメージはこんな感じだ © Siouxsie Wiles and Toby Morris (CC BY-SA 4.0)
自分が患者ならどうする?
“Act as if you have Covid-19. This will save lives”
「自分が新型コロナウイルスに感染していると思って行動してください。そうすれば、ほかの人の命を守ることができます」
アーダーン首相が頻繁に口にする言葉であり、本格的な世帯ごとの隔離が行われる前に、国民のスマートフォンに入った、警告のテキストにもあったメッセージだ。要するに、感染者になったと仮定すれば自宅で隔離を行わざるを得ない。隔離をきちんとすれば、ほかの人は感染せずに済み、命が助かるというわけだ。裏を返せば、「もしかしたらウイルスにすでに感染しているかもしれないのに、身勝手に隔離せずにいたら、あなたのウイルスがうつって死者が出るかもしれない」ということだ。ちょっと遠回しにしてソフトな印象を受けるが、的を射たメッセージになっている。
対抗策の一つは「優しさ」
“Be strong, Be kind. We will be OK”
「強く、そして親切でいてください。そうすれば私たちは大丈夫ですから」
121億NZドル(約7850億円)の経済対策を打ち出した3月17日のコメント。2月28日に初の感染者が出てから、少しずつだが着実に感染者数が増えていく中、人々が感染症に対してだけでなく、自分たちの経済事情にも不安を感じ始めたころだ。
「強く、そして親切でいて」というのは、感染症が取り沙汰されるようになってから現在に至るまで、一貫して言い続けられている言葉だ。特に「親切でいて」というのは、新型コロナウイルス情報を掲載する政府のウェブサイトにも載っている。驚くべきことに、「ウイルスに対して私たちが団結して対抗できる方法」3つのうちの一番最初に挙げられ、「自宅隔離を行うこと」「手を洗うこと」はそれに続く格好になっている。
ほかの人に親切にし、面倒を見ることは、感染症が蔓延する中、社会に大きな違いを生みだすことができると考えられている。知り合いの年配者や病人はもちろん、友人や隣人らにも電話などで声をかけ、困っていないか、必要なものはないかなどを確認する。他愛のないおしゃべりをするのももちろんいい。
場合によっては食料品などの買い物を代わりにし、玄関のところに置いておいてあげる。ほかの人とのつながりや、支援の申し出は社会的弱者ともいえる人々が新型コロナウイルス禍の生活を切り抜けるのに欠かせない。
そして最後に格式ばった言葉ではなく、友達に言うように、首相は、「大丈夫」と言ってくれる。ポンポンと肩を叩いて勇気づけてくれているようだ。こんな国のトップはなかなかいないのではないだろうか。
皆で共に戦おうという姿勢
“Let’s all do our bit to unite against Covid-19”
「各々できることを実行し、皆結束してウイルスに立ち向かいましょう」
“Be kind. We’re all in this together”
「ほかの人に親切に接しましょう。私たちは全員がウイルス禍にいるのですから」
“We will get through this together, but only if we stick together. So please be strong and be kind”
「全員が一丸になれれば、この危機は乗り越えることができるでしょう。一丸となるには、各人が強く、親切でなくてはなりません」
“Help us get ready as a nation for the marathon we must all run together. I do know that we can do this, and I know that because we are already.”
「国として新型コロナウイルスに対抗するマラソンを走り切るための準備をするのを手伝ってください。私たちが走り切れることを私は知っています。すでに今までも団結して成果を挙げてきたのですから」
^We can only do this if we all continue to pull together”
「全員が協力し続けてこそ、危機を乗り越えることが可能なのです」
アーダーン首相は新型コロナウイルスに立ち向かうために、日常的に国民に一致団結を促すが、節目節目ではそれをさらに強調する。レベル2、そして3と危険度が増し、規制も厳しくなっていった時や、自主隔離が徹底されたレベル4になった時、イースターの連休を目の前にした時、レベル4から3に下がった時といった具合だ。
ニュージーランド人は恥ずかしがり屋で、「世話好き」という言葉はあてはまらないが、人に手を貸すことはいとわない。知り合いかどうかは関係ない。道で誰か困っていれば、皆集まってきて助けてくれる。そんな気質の人々が自分たちを順調に導いてくれる首相の呼びかけに、「ひとつやってやろうじゃないか」と応じるのだ
実際アーダーン首相の言葉に呼応して、人々は自分ができることをしっかりやっている。先のコルマー・ブラントンの世論調査では、政府の規制をきちんと守って生活していると自認する人が97%にも上った。
3月25日、レベル4に入る直前に自宅からFacebookライブで人々に話しかける首相。いつもと違い、スウェットシャツ姿で、娘の二―ヴちゃんを寝かしつけた後と言う。首相も一人の人間だと実感 (The GuardianがYouTubeに挙げた動画を共有)
国民に感謝の言葉をかける首相
“As we head into Easter, I say thank you to you and your bubble. You have stayed calm. You’ve been strong. You’ve saved lives, and now we just need to keep going. “
「イースターのお休みに入るこの機会に、皆さんと皆さんのバブルに『ありがとう』と言いたいと思います。皆さんは落ち着いて行動し、気持ちを強く持って、コロナ禍で生活してきました。あなたたちのおかげで多くの命が助かりました。これから必要なのは、今の調子を維持していくことです」
“We have done it together.”
「私たち皆でやり遂げることができました」
アーダーン首相は国民にお願いや指示をするだけではない。きちんとお礼も欠かさないのだ。そして努力し、犠牲を払って規制に従い、周囲の人を気遣う国民がいてこそ、ここまでこられたとねぎらい、ほめてくれる。
警戒レベルを下げる決定が公表される度に、また規制の一つが緩む度に、人々は「よかった」とほっとするだけではない。国任せにして他人事で済ませるのではなく、自分も手を下したことをうれしく思う。これは次のステップにチャレンジする力の源になる。
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ニュージーランドでは新たに感染が確認される人の数は減り、一桁台ということも珍しくなくなった。感染者がゼロという日もある。政府は段階的に規制を緩め、バブルは徐々に大きくなりつつある。一世帯のみしか入れなかったバブルから近所・地方の住人、さらにこの国の全人口約500万人が入る、大きなバブルになった。
経済再建に着手しなくてはならない段階を迎え、隣国オーストラリアも入れた「トランスタスマン・バブル」も想定されている。まずは、「タスマン海ごしにオーストラリアとニュージーランドで一つの『バブル』を作り、旅行と貿易面で協力し合おう」としているのだ。一方、多くの国々が依然として感染症と戦う日々を送っている。一つのバブルが地球全体を覆う日が1日も早く来てほしい。
首相プロフィール:ジャシンダ・ケイト・ローレル・アーダーン(39歳)
第17代労働党党首。2017年10月26日、第40代首相に就任した。国内3人目の女性首相。事実婚でパートナーはTVプレゼンターのクラーク・ゲイフォード氏。氏との間に、2018年6月に誕生した女児(二―ヴ・テ・アロハ)`がいる。首相在任中に出産した女性の政府の長としては、世界で2人目。産休を取得したのは世界で初めてだ。
<トップ写真:先住民マオリのカウマトゥア(長老)と仲良く手をつないで歩くアーダーン首相。首相の人柄がよく表れている>© Nevada Halbert (CC BY-ND 2.0)
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