にわかサッカーファンが激増し狂喜する日本。決勝リーグが始まり、日本中が興奮に包まれた。
一方、欧州はしらけている。開会のずいぶん前から開催国カタールの人権問題が次々発覚してボイコットの可能性すらあった。例年なら、応援グッズが街中に溢れ、道行く車も、職場での話題も、自国チーム色で塗り尽くされ、パブリックビューイングの巨大なスクリーンに人々が群がるというのに、今年はさっぱり…。欧州チームが予想外の苦戦を強いられていることもあるが、順調だったとしても筋金入りのサッカーファンを除けば、しらけていたことに変わりはないだろう。
日本ではどうやら、開催国カタールの人権問題は、開会数日前に2~3のメディアが「欧州でのこと」として伝えた程度だという。そうか、日本では、メディアが伝えないから、世界がどう考えてどう行動しているかなんてだれも知らないのだ。
初戦でドイツを制し、スペイン戦での劇的な決勝リーグ進出を前に、「水をさしてはいけない」空気ができあがり、その後はメディアの国威発揚の波にすっかり飲み込まれてしまったかのようだ。メディアは視聴率やPVが稼げれば、人権問題だろうが、国内政治だろうが、どうでもよくなるいつものパターンに、苦虫をかみ殺す気分になっている筆者は非国民なのだろうか。
開催が決まった2010年から次々浮上したカタールの出稼ぎ外国人労働者の奴隷的扱い、関係者ばかりか応援者でもLGBTを締め出そうとする性差別問題―――。
欧州メディアは何年もかけて外国人労働者がどの国からどのように組織的に送り込まれ、いかに過酷な奴隷状態で今回のW杯の7つのスタジアムばかりか、国際空港、地下鉄や高速道路網、ホテルなどインフラ建設で働かせられてきたかを取材し、核心をつく鋭いドキュメンタリーや報道を続けてきた。
バングラデシュ、ネパール、インド、パキスタンなどの貧しい僻地で専門業者にリクルートされた出稼ぎ労働者たちは、日中50℃にもなる過酷な炎天下で長時間肉体労働をさせられた後に専用バスでまわりに何もない缶詰宿舎に隔離され、ろくな食事も与えられず、約束の賃金は支払われず、身体を壊してもまともな医療も受けられない。身元保証人である親方(カファラ)にパスポートを取り上げてられてしまえば、転職も帰国もできない。(どこかの国の技能実習制度とよく似ていないか…)
カタールが発展したのは、そもそもこうした外国人労働者に負うところが大きいが、W杯招致が決まって以来、その数は40%も増加して、今日のカタール人口約300万の2/3を占めている。7つのスタジアム建設で命を落とした人数は40人未満でしかないと矮小化する報道も見られたが、招致が決まった2010年以来激増した労働者のうち、6500人もが(どうみてもW杯のための)国際空港,高速、地下鉄などの建設がらみで亡くなっている事実はどう考えても異常だ。
イスラム教国のカタールでは、同性愛は禁止され、発覚すれば逮捕投獄される。開催前は包摂性を醸しだしていたものの、蓋を開ければ本音がみえる。開催国カタールに慮ったFIFAが、LGBTを擁護するONE LOVE腕章をつけて出場しようとした欧州選手にイエローカードを出すと強くけん制し、それももスキャンダルとなった。LGBTアライを公言してきたあのベッカムは、カタール大会の大使役を買って出たことで、「金で心を売った」と猛烈な批判を浴びている。
人権ばかりじゃない。スポーツと巨額の金の問題もある。今回のカタール大会に要した費用は2200億ドルと推定。ブラジル150億ドル、ロシア116億ドル、ドイツ43億ドルに比べて桁違いな上に、気候危機抑制、持続可能性などあらゆる面で問題だらけと批判されていることを、日本のメディアはどれだけ伝えているのだろうか。
スキャンダルまみれの東京オリンピック関連の贈収賄や談合が検察によって多少追及される中、日本は、2030年の札幌冬季五輪招致をあきらめないらしい。
同じく名乗りをあげていたカナダのブリティッシュ・コロンビア州は、10月末、こんな風に宣言して断念を決めた。
国際的な大スポーツイベントを呼び込むことは、アスリートやファンには素晴らしいことだ。だが、そのようなメリットは、それにかかる膨大なコストとリスクとを照らし合わせて評価しなければならない。私たちは、五輪招致よりも、安心できる未来を築くために、地元市民を第一に据え、その生活、ヘルスケア、住宅、安全、雇用などに集中することに決めた。(部分的に要約)
このまま快進撃が続いてしまえば、「にっぽんすごい!」旋風が吹き荒れることになるのだろう。日本サッカー協会田嶋会長の人権軽視発言を裏付けて、サッカーに人権を持ち込むのはナンセンス、勝ちさえすれば人権も金権もどうでもよいことなのだと世界中にアピールするのだろうか。
「欧州は優等生ぶっているだけ」「イスラムフォビアや移民差別でカタールだけ批判するのはダブルスタンダードだ」――こんな声も聞こえてくる。
これでは子供の反論みたいなもの。ポリコレぶって、何さまのつもり? みんなやってるからいいじゃないか――は通用するだろうか。
サムライ・ブルーは応援したい。が。なんだか国の思惑に乗せられて、メディアに作りこまれる金髪の青年たちが不憫にすら見えてくる。日本社会が成熟し、背伸びしなくても、人権などいろいろの面での先進国と自他ともに認めるようになった時、心の底から彼らの活躍を誇らしく思えるだろうと感じる。