3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故から8年たった。4月26日のチェルノブイリ原発事故から33年であり、ドイツでは3、4月に反原発運動の催しが地で開かれている。被災者思いをはせ、事故の教訓を忘れないよう胸に刻んでいる姿をあちこちで見た。
私も今年は2回、ドイツで福島について講演した。その一つがブレーメンでのヤーパン・バザール(日本バザー)であった。ヤーパン・バザールは、ブレーメン周辺の日本人有志を中心とした「ヤーパン・バザール友の会」によるもので、福島の被災者への寄付を集めようと2016年に始めた日本文化の催しである。
会場では風呂敷や小物、古本など日本関連のものを販売するスタンドや、茶道や囲碁が体験できるコーナーがあった。会場の一角では武道や歌、音楽、踊りが披露され、満席のにぎわいだった。食堂ではおにぎりや寿司、餅、焼き鳥など作りたての食べ物が振舞われ、どれも安くておいしく、心がこもっていた。子どもたちが飴ネックレスを販売していた。売り上げは寄付される。多くの人が有志で協力しており、熱気にあふれていた。バザールで集めた売り上げは毎年、沖縄で福島の子どもたちの保養施設を運営するNPO法人「沖縄・球美(くみ)の里」に寄付している。年々訪れる人は増えており、今年は1000人を超えたという。
代表の林真利子さんは、きっかけについて「日本では、終戦70年の2015年、憲法第9条など平和憲法改正の動きが大きく取り上げられた。そのとき『日本との関係がどうであれ憲法第9条がある限り日本を信頼できる』という趣旨のインタビュー記事を読み、9条こそ日本人の財産であり、ドイツの人たちに知ってもらいたいと思った。それがブレーメン海外博物館での日本関連の催し・平和アピールの日の企画につながり、そこからインスピレーションを得てバザールを始めた。私にとって平和、福島、ひいては沖縄も同じ線上にある」と語った。
ヤーパン・バザールでの演奏会。コントラバスの水野俊介さん(左)が福島をイメージして作った曲を、
フルートのエッカート・リスさんと演奏 © Riho Taguchi
私の福島についての講演もバザールの催しの一環で、約60人が耳を傾けた。まず福島の位置や事故の様子、現在への影響について説明した。除染した汚染土を、自宅の敷地内に積んである写真を見せるとみなびっくりしていた。日本政府は来年の東京オリンピックを推進する一方、被災者の住宅補助を打ち切り、福島への帰還を進めている。膨大な汚染土、また原発内で発生し続けている汚染水についても質問が出た。
ブラウンシュバイクの礼拝で阿部さんのビデオメッセージを視聴する高校生たち © Paul Koch
福島市に父親を残し、京都に母子避難している高校生の阿部ゆりかさんによるビデオメッセージも上映した。阿部さんは、避難者の集団訴訟のこと、小児甲状腺がんが多数発症していることのほか、復興五輪政策についても触れた。また、福島原発の状況は収束していないにもかかわらず、もう終わったかのように避難民に帰還をすすめる方針についても言及し、「現在の日本はどこまでも経済優先で、人命尊重はない。旧ソ連はチェルノブイリ事故当初から現在に至るまで『子供は国の宝』として、定期的な健康診断と保養を継続していると聞くが、日本は違う。私たちは国の宝ではなかったのか」「原発事故がもしなかったら、当事者ではない周りの友達に共感してもらえないことに孤独感や疎外感を感じながら暮らすこともなかった。家族がバラバラになることなく、当たり前の家族の生活を送ることが出来た。自分が生まれ育った故郷が汚染されることもなかった」と話した。メッセージに込められた理不尽な思いややるせなさ、そして怒りが伝わり、聴衆から「すごく重要なメッセージだった。もっと多くの人にみてもらいたい」「外国に住む自分に何ができるのか深く考えさせられた」という感想が寄せられた。阿部さんのビデオメッセージは北ドイツのブラウンシュバイクなど他都市でも披露された。
福島原発事故後、放置され荒れ果てたままの浪江町の津島中学校 ©Makiko INOUE
8年経ち、ドイツでも福島についての報道は減りつつある。しかし福島の状況を気に かけている人はまだまだいるのだと希望を持った。
最後に福島県二本松市在住の関久雄さんによる詩「たたり 神」を紹介したい。 この詩はとても力があり、福島の状況を端的に表している。バザールで、日本語とドイツ語で交互に朗読した。関さんの詩集「なじょすべ 詩と写真でつづる3・11」(2019年3月に彩流社より刊行)もお薦めである。
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たたり 神 関 久雄
おばあちゃん あれは なあに
あれは ゲンパツの お墓
青い 袋の中には
草や 花や 土や ミミズが 虫が ビセイブツが
ホウシャノウと 一緒に閉じ込められ
とてつもない ホウシャノウを あびながら
袋の中で うめいている
ほら 声が きこえるだろ
痛いよ 痛いよ 苦しいよ 苦しいよ
あのものたちは わたしたち
袋の中から 出されない
ごらん 黒いゴムで覆って
周りを鉄の板で 囲んでなぞしているが
なあに いずれ あのものたちは
袋を食い破って 外に出て
たたり神となって 動き出すさ
風になって 雨になって
けものになって 草になって
水になって 魚になって
生き物の中に 忍び込む
おばあちゃん たたり神は なくならないの
あれは にんげんが こさえたものだからね
お前は 遠くへ行きなさい
見たこと 起きたことを伝えなさい
わたしは ここで たたり神を まつろう
そして 考えなさい
なぜ たたり神が生まれるのかを
Fluchgott Hisao SEKI (Übersetzung : Riho Taguchi)
Oma, was ist das?
Das ist ein Grab vom Atomkraftwerk
In blauen Säcken wurde
Gräser, Blumen, Erde, Regenwürmer, Insekten und Mikroorganismen
mit Radioaktivität zusammen eingesperrt,
und mit wahnsinniger Menge an Radioaktivität überschüttet
und ächzen in den Säcken
Hör mal, eine Stimme
Tut weh, tut weh, leidvoll leidvoll
Diese Dinge sind wir
Können nicht von Säcken rauskommen
Guck mal, bedeckt mit schwarzer Gummischicht
und umringt mit Eisenplatten
Doch irgendwann später werden sie
Säcke zerbeißen und rauskommen
als Fluchgott, bewegen sie sich
Als Wind, als Regen
als Tiere, als Gras
als Wasser, als Fisch
hineinschleichen sie in Lebewesen
Oma, wird der Fluchgott nicht verschwinden?
Sie sind von Menschen erschaffen
Du musst weit weg gehen
Sag anderen, was Du gesehen hast, was passiert ist
Ich werde hier den Fluchgott anbeten
Dann überleg mal,
warum der Fluchgott zur Welt kommt
福島市内にある信夫山では、汚染土を入れたフレコンバッグが山積み ©Makiko INOUE