ルール工業地帯で「芸術を拡張」する。『目に見えない彫刻』展
エッセン ツォルフェアアイン(2021年5月10日〜9月26日)
ドイツ西部にあるエッセンという町は、かつて重厚長大産業が世界経済の牽引役だった頃、「ルール工業地帯」の中心として知られていた場所だ。製鉄と重機製造からスタートした大手企業ティッセンクルップ社の本社所在地としても知られる。ルール地方はドイツ最大規模の炭田を擁し、長年にわたり全国の工業にエネルギーを供給してきた。しかし時代は移り、ティッセンクルップ社の業態も多様化し、ルール炭鉱も次々と閉山されていった。
ドイツ全国でボイス2021の展覧会が催された今年、とりわけヨーゼフ・ボイスの活動と会場の立地の関係について考えさせられたのは、同市内にある「ツォルフェアアイン」(Zollverein)で開催された『目に見えない彫刻』展 (Die Unsichtbare Skulptur) の会場でのことだった。
エッセンは、ドイツ西部ルール川沿いの工業地帯にある Google mapより作成
「芸術」と「工業」の包摂
「ツォルフェアアイン」は、元炭鉱場だった100ヘクタールの広大な敷地を、操業停止後に産業遺産として保護しつつ、一部を資料館や美術館に転用した施設である。2001年にユネスコの世界遺産にも登録されている。伝統的なミュージアムではなく、この産業遺産が「ボイス2021」に参加したのである。
ツォルフェアアイン構内。当時だけでなく現在も異色の構造が圧巻
ドイツには、「工業の文化」(Industriekultur)という概念がある。生産施設をオールナイトで開放する『工業の長い夜』(Lange Nacht der Industrie)というイベントなども、各地の商工会議所が主催して、ドイツ全国で定期的に開催されている。ふだんは部外者をシャットアウトしている製造工場が、この日だけは市民に門戸を開き、夜遅くまで施設のガイドツアーやイベントを展開する。美術館やコンサートに行くのと同じように、市民は自由時間に工業施設を訪ねることで、知見を広め感性を磨くわけだ。
筆者は、芸術と工業の関係について考えた。私たちは「芸術」と「工業」を、頭の中で自動的に対置しがちではないだろうか。芸術作品の創作とは、伝統的にはアーティストの個人的な作業だった。それは自発的な行為であり、作り手の思考や情緒の発露である。出現した作品は公開され、鑑賞者が自分にとっての作品の価値や意味を決定する。これに対して、工業製品の製作は複雑なプロセスを伴い、多くの人が対価を得ながら関わっている。製品は合理的、分析的思考の産物であり、最初から市場で販売することを目的としている。
その「工業」を、人間の英知を結集した創造的な営みとして捉え直すことが、「工業の文化」の意義だろう。工業と芸術が、より広義の「文化」という概念の中に並置され、包摂されている。そんなことを考えながら、あらためてツォルフェアアインの構内を眺めてみると、そのスケールと建造物の複雑な構造に人間の営みの尊さを感じた。それは、社会を構成するすべての行為を芸術としたボイスの「拡張された芸術概念」理論にもリンクしていくようだった。
教育とは目に見えない創造物
さて、本展の会場に使われたホール8は、採掘後の石炭を圧縮する作業に使われていた場所だ。エネルギーを濃縮するプロセスを、ボイスの活動に重ねてみる。
本展は、ボイスの活動を「民主主義」「エコロジー」「創造性」の3つのテーマに分け、それぞれの概念を代表する作品や資料を公開していた。民主主義のコーナーでは、ボイスが提唱した直接民主主義やボイスと緑の党の関係などが、エコロジーのコーナーでは、イタリアでの「自然を守る」(Difesa Della Natura)、ドイツでの「7000本の樫の木」(7000 Eichen) などのプロジェクトが、それぞれ豊富な記録写真やポスターで紹介されていた。しかし、本展の中核を成したのは、「創造性」の分野でドキュメントされた「自由国際大学」(Free International University) の活動だった。
ボイスの評伝を著したハイナー・シュタッヘルハウスは、同著の中で、「ボイスが自由国際大学を『社会彫刻』を頂点とする芸術的コンセプトの実現と捉え、そのコンセプトを実現するために広範で多様な準備をしたことは、一般には十分に理解されていないかもしれない」(拙訳)と書いている。
2階会場の中央に、討論会の参加者が輪になって座る。彼らも展覧会の構成要素だ
ボイスの「社会彫刻」の理念については前回の記事でも述べた。ボイスの言う「彫刻」は、石膏やブロンズをつかった造形行為を超え、社会全体、それも新しい社会の総体をつくり上げるために人間が行う、あらゆる自発的な行為を指している。
社会彫刻は、まず一人ひとりの思考から始まり、その多くが目に見えない行為として、物質的な結果 − たとえば工業製品 – を伴わない労働として現れる。代表的な職業としてボイスが最も重視していたのが、教師だった。そして、自身の活動における教育の重要性にも頻繁に言及していた。ボイスにとっては、教育こそ人々の意識を刷新し、社会の変革を可能にするために不可欠だった。
「自由国際大学」をプラットフォームに
自由国際大学は1973年に創立された。ノーベル文学賞作家のハインリヒ・ベルが関わり、入学試験やキャンパスを持たず、教師と学生が同等の立場で自己と社会の変革に向けて協働することを目的とする組織体だった。ボイス亡き後も活動を続けており、日本にも事務局がある。
ボイスは自由国際大学の活動を語るとき、「コレクティヴ」(kollektiv=「協働して、集団で」)という表現を好んでつかった。大学は、より多くの人の参画を得て社会彫刻を行う最高の場所だったのだ。ボイスはあるインタビューで、「私は、アートをはじめとする文化的活動が置かれているこの孤立状態から、1人でではなく、協同作業をする集団として脱出しようとしているのです」と語っている。
ここルール地方には、1970年代に自由国際大学の分校があった。ボイスの教え子で協力者だったヨハネス・シュトゥットゲンが、エッセン近郊のゲルゼンキルヒェンでギムナジウム(中高等学校)の美術教師をしていた当時、分校を開設したのである。シュトゥットゲンの生徒たちが参加して大規模な集会が行われ、ボイスが生徒たちの作品をドクメンタ6(カッセル市で定期開催される国際美術展)に持参したと伝えられている。
1階会場では、自由国際大学に関する展示が石炭圧縮機と共存していた
何台もの圧縮機がそのまま残された1階会場では、ルール地方でのボイスとシュトゥットゲンの協同作業が紹介されていた。当時、坑夫たちの多くは、ドイツが労働力として国外から正式に招いた「ガストアルバイター」だった。ルール地方は今でも、彼らとその家族が住み着いた労働者の町としての性格が強い。その地に、創造性を触発する場を開設していたことの意義が、今日あらためて評価されている。
ヨハネス・シュトゥットゲンはボイスの死後も、直接民主主義と「拡張された芸術概念」をテーマに活動を展開しており、かつて自由国際大学でも行われていた「車座討論会」(Ringgespräch) を、デュッセルドルフを拠点として定期的に開催している。本展の会期中も、毎週火曜日の夜に展覧会場で討論会を主催し、参加者とディスカッションを行った。2階会場の中心が広く開けられていたのは、参加者が輪になって座るためのスペースだったのだ。展覧会のタイトル、『目に見えない彫刻』は、ボイスが始めた非物質的な創造活動と、今日まで綿々と続くその伝統とを、地味ではあるが十分に伝えるものだった。
「雪だるま」で労働=芸術が結像
実は、本展では最後に、ボイスによる素敵な造形作品に出合うこともできた。『雪だるま』(Schneemann) と題された作品だ。一辺50センチほどの白い立方体の箱に収められ、上から黒いカバーがかけてある。カバーを両手で持ち上げないと作品が見えない仕組みだ。「日光に敏感なので暗くしておいて下さい」と注意書きがある。その雨の日の午後、ひっそりした会場で、私はわくわくしながら柔らかいカバーを持ち上げた。
中に収めてあったのは、なんと真っ黒な炭の塊だった。子供の頭ほどの大きさがあり、しっとりと濡れているようにツヤがある。クラフト紙に見える薄茶色の小さな紙片が上部に貼り付いていて、石炭から油が紙に滲み出している。油で紙が半透明になり、炭のテクスチャーが透けて見える。ボイス晩年、1984年の作品だ。
材料は「石炭、紙」だけ。石炭の塊を、至近距離でじっくり見たのは初めてだった。そして石炭がこんなに美しい層を成して構成されていることも、筆者は知らなかった。ボイスが少年時代から鉱物や植物に夢中だったことをあらためて想起すると同時に、石炭を「雪だるま」に反転し昇華することで、ボイスが「労働=芸術」を意図したのかもしれない、とも思った。『雪だるま』が、元炭鉱場という会場にさりげなく展示されていることに、キュレーターの目くばせも感じた。
その日の仕事を終え、顔を真っ黒にして炭鉱から地上に上ってくる坑夫たちの姿を、筆者は思い浮かべた。俯瞰してみれば、彼らは毎日、ドイツ全体の工業を動かす壮大な、「コレクティヴ」な作業に参加していたのだ。本人たちには自覚がなく、対価を得るためにやむを得ず働いていたとしても。
坑夫たち、政治家、技術者、公務員、ビジネスパーソン、家事をする人。私たちみんなが、社会全体を構成する自分という視点から、日々の仕事に意味と尊さを見出すことができたら、ルーティーンの繰り返しがたちまち創造的な営みとして輝き出すのではないだろうか。ボイスはかつて、スペインの路上でゴミを回収していた作業者たちの仕事ぶりに芸術的素養を見て感嘆した、と伝えられている。筆者の好きな逸話だ。
ツォルフェアアインの資料館内部。堅牢な構造をそのまま生かしたカフェがクールだ
注:トップ写真以外は、すべて筆者撮影 ©Mika TANAKA