世界的な広がりと高まりを見せる#MeToo運動――盛り上がりに欠けたり、眉を顰めるような反応があったりという国はあるが、フランスでの反応は異色! なんと著名女優らが中心となって「待った!」の声があがったのだ。そのことを発端に、SpeakUpライターの一人、フランス在住のプラド夏樹さんは、長年温めてきたフランスにおける性教育をテーマとした考察を一冊の本にまとめた。それが、「 フランス人の性 なぜ「#MeToo」への反対が起きたのか」(光文社新書)だ。今日的で現実的な性教育のあり方、「人々を守り、安心して子どもを持ち、育てられる社会」の制度設計を考える上で、ぜひとも読んでいただきたい一冊だ。ここでは、本編からもれてしまった一章を、「フランス人の性:番外編」として発表してもらった。
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避妊や性病予防だけじゃないフランスの性教育
フランスの学校での性教育は、避妊や性病予防といったことだけではなく、愛情、セクシズム(性差別)、性暴力、性的他者との感受性の違いといったテーマにまで及んでいる。しかし、なぜだろう?本来なら、そんなことは日常生活のなかで自然に学ぶことであって、学校で教えるほどのこともないように思えるからだ。
男性優位主義が、はこびる郊外の低所得者用団地
そこで、まず、2005年にパリ郊外で起きた暴動について説明してみたい。この暴動は、セーヌ・サン・ドニ県クリシー・スー・ボワ市にある低所得者用団地が密集する地域で、警察の職務質問を拒否した移民系の少年ふたりが、変電所に逃げ込んで感電死した事件から始まった。警察に抗議する若者たちが暴動を起こし、それがフランス各地の貧困地域に飛び火した。車が焼かれ、ゴミ箱が燃え上がり、建物が壊され、物損総額は2億5千万ユーロ(約322億円)(注1)にのぼった。
暴動に参加したのはほとんどが10代、20代初めの若者たち、移民の二世、三世、しかしれっきとしたフランス人だった(フランスでは、国籍の生地主義をとっているため、親は外国籍でも、フランスで生まれた子どもはフランス国籍を得ることが可能だ)。高度成長期であった第二次世界大戦直後から1970年代にかけて、フランスは労働力不足埋め合わせのために、まずイタリア、スペイン、ポルトガルから、次いで旧植民地であるマグレブ諸国や西アフリカの移民を積極的に受け入れ、彼らを住まわせるためにパリやリヨン、マルセイユといった大都市の郊外に安普請の低所得者用団地を続々と建設した。
ヨーロッパ系の移民たちは、塗装工や左官工というような手に職を持つ人が多く、そのため収入もそこそこ。キリスト教徒が多かったこともありフランス社会に難なく適応し、しばらくたつとより住みやすい住居へ引っ越したり、貯金を貯めて祖国へ帰っていった。
しかし、さしたる技能も持たず低賃金で働いていたマグレブ諸国や西アフリカからの移民は、二度に渡る石油危機後(1973年と1979年)の不況期に、まっさきに解雇された。(ちなみに、国全体での失業率は、1960年代は約1%、1980年は約6%、現在は約10%である。)親がフランス語の読み書きが充分にできなければ、子どもたちも学業で失敗する率が高い。学校を卒業するや否や失業者となり、食いつなぐために不法なことに手を出し、社会不適応者とレッテルを張られる若者が増えた。
もちろん、移民出身で成功する人もいる。現在、欧州議会議員で元法務大臣(2007年〜2009年)のラシダ・ダティ氏、元文部大臣(2014年〜2017年)のナジャ・ヴァロー-ベルカセム氏は、ふたりともモロッコ人の親を持つ、典型的な労働移民出身だ。彼女たちの成功例は、平等を理想としたフランスの公立学校システムが、それなりに機能していることを、誰でも望めば成功できることの証だ。しかし残念ながら、そうでない移民出身の人々はもっと多いのだ。低成長期に入ると、大都市郊外の低所得者用団地は、低学歴で失業した若者が大量に集まるゲットーと化してしまった。不満がたまり、ギャング組織ができ、治安が悪くなり、ドラッグがはこびった。
前述した、2005年にクリシー・スー・ボワ市で起きた暴動は、このような若者たちの暴動だった。各民族コミュニティーによる住み分け、ゲットー化が進んでいるアメリカのような国での暴動とは違い、フランス国籍を持つ貧困層の若者たちによる暴動だったのだ。フランス社会の分断が露わになった事件だった。
彼らの腹の底には、共和国の理念とされる「自由・平等・博愛」なんて嘘っぱちじゃないかという思いが煮えたぎっているはずだ。そんな不満が溜まっているところを狙うかのように、1980年代以降、アルジェリアをはじめとしたマグレブ国から、次々と彼らを洗脳するイスラム原理主義の指導者が送りこまれてきた。失業した親が家庭で権威を失い、若者も行動規範を失ったところに、単純で厳格なドグムを提示する指導者があらわれ、彼らは簡単に罠に落ちた。これまで共和国の理念とうまく溶け合ってきた穏健なイスラム教とは程遠い、男性優位主義的なイスラム原理主義がはこびるようになってしまった。
スカートをはけない社会
このような地域では、失業してすることがない男性が外にたむろし、風紀警察のように女性の服装、態度、行動をチェックするようになった。「自由な女性」というカテゴリーが存在しないため、女性に与えられる選択肢は「母」か「妻」か「売女」である。肌を露出した服装や化粧をして外出すれば売女と罵られるから、なるべく目立たない格好をし、男の子の前を通るときは目を伏せる。若い女の子たちは、兄弟から行動の逐一を見張られ、ボーイフレンドなどいれば「結婚前の女がはしたない!」というような時代錯誤的な理由で殴られるという事態が現実になっている。このような環境で子供たちが性的にのびのびと成長できるはずはない。
ここで、このような郊外都市の情況をよくあらわしている映画2本を紹介したい。ひとつはイザベル・アジャーニ主演のテレビ映画、『スカートをはく日』( La journée de la jupe,Jean –Paul Lillenfeid監督, 2009)である。イザベル・アジャーニは、この作品でセザール最優秀女優賞を受賞している。
アジャーニ演じるソニアは、貧困層の子どもが多い公立中学校で教師をしている。治安が悪く、警察ですら尻込みするようなこの街では、女生徒はもちろん教師でさえスカートをはいて登校することができない。「脚を見せるのは売女」という暗黙の掟があり、ミニスカートならぬ膝丈スカートも御法度だ。ある日、ソニアは授業中に男子生徒の鞄の中にピストルを見つけ、混乱の中クラス全員を人質にして学校に立て籠る。その間に、ソニアは服装や行動に関して男性の指図に従うつもりはないという意思表明のために、女生徒にスカートをはいて登校する日を提案するというシナリオだ。1968年の学生運動時代、フェミニストの女性たちは「パンタロンをはく権利」を求めて闘った。それが40年後の今、スカートをはくために闘わなくてはいけない地域がフランスに本当にあることを、この映画は如実に物語っている。
独仏共同出資テレビ局であるARTEで放送されたこのテレビ映画は9.7%(250万人の視聴者)という高視聴率をあげた。これをきっかけに、本当に「スカートをはく日」を作ったレンヌ市の中学校もあるし、校内で男女間の話し合いをした学校もある。私も最初は誇張しすぎではないかと思ったが、そうではないらしい。
私のアパートの隣人ヴィオレットは、パリの郊外都市の職業高校で哲学教師を勤めている。「『スカートをはく日』っていう映画があったでしょう。あれって本当? 誇張しすぎに思えたんだけど?」と聞いてみた。
彼女は言う。「パリで暮らしているあなたには信じられないかもしれないけど、本当に郊外の貧しい地域はああなの。スカート姿で登校して、罵倒されて、レイプされたら私の責任。挑発してるって生徒たちは思うんだから。どうして私がいつもパンツスタイルかわかるでしょう」
2本目は、2014年カンヌ映画祭に出品され、今年秋に一般公開された映画作品『女の子グループ』(bande de filles、Céline Sciamma監督、2014)だ。女の子たちは全員、アフリカからの移民の子孫という設定だ。低所得者用団地に暮らす中学生ヴィックは成績が悪く、学校から職業高校へ進むことを勧められるが、拒否し、進学を諦める。夜間の掃除婦をしている母から一緒に働くよういわれるがそれも断り、女の子だけの不良グループに入りブラブラし始める。人目を避けて、同じ団地に住む恋人とつきあうが、彼の家に泊まったことが兄にばれ、殴られ、家出する。偶然のようにドラッグの元締めと出会い、その庇護のもとで家出し、ドラッグを売って暮らすようになる。心配する恋人は「一緒に住もうよ。結婚して落ち着こうよ」と言う。しかし、ヴィックは「結婚? いずれ失業する未来しかない子どもを産んで、家であんたが帰ってくるのを待つだけの人生を送れっていうの?」と一蹴する。
ヴィックたちが、フランス的な自由な性感覚と男性優位主義的価値観の間で引き裂かれていることは印象的だ。かたや学校でコンドームの使い方を習い、親がいる家に恋人を連れてきてお泊まりするのが普通なフランス社会があり、そこから電車で10分行った郊外の低所得者用団地が密集する地域では、結婚前の男女交際は禁止で、恋人と手をつないで歩くこともできず、恋人がいるのがばれると兄弟に殴られるという現実がある。社会に誇れる仕事をしながら、好きなときに子どもを産み、パートナーとうまくいかなくなったら別れ、また新しい恋を重ねるのがトレンドなフランスで、男性優位主義的なモラルが主流という地域もあるのだ。
社会問題になり、市民や文部省が乗り出す
このような実態をフランス社会が認識したのは、2002年、パリ郊外で17歳の女性が、振られたことに腹を立てた19歳の元ボーイフレンドに、石油をかけ焼き殺されたという事件によってだ。
当事者以外誰も知らなかった郊外の低所得者用団地での殺伐とした男女関係が突然、社会問題としてメディアで騒がれるようになった。貧困地域でのレイプ件数は大都市の2倍になるといわれている。
この事件をきっかけに、2003年「私たちは売春婦でもないし、男の言いなりになる女でもない」Ni Putes Ni Soumiseという名前の市民団体ができた。ボーイフレンドのいいなりにならなかったら焼き殺されたり、石を投げて殺されたり、強制的に結婚させられる若い女性が今だに存在する事に対する抗議を表明し、女性への援助やアドバイスをし、政治に積極的にかかわる団体になった。公立学校で講演したり、デモを企画するなど、国民に関心をもってもらうイニシアチブをとった。
公立学校での性教育で、愛情、男女平等、家族形態の多様化、性暴力といった事柄を網羅するようになったのも同年からである。
日本から見れば、フランスの性教育は一見、プライバシーに踏み込み過ぎかもしれない。「性暴力なんて悪いことに決まってるんだから、何もわざわざ学校で教えなくても」、「愛情表現は人によって違うから、先生に習わなくても」と考える人もいるかもしれない。しかし貧富の差や教育の違いによる分断が進むフランスでは、ここまで学校で教育しなければいけないほど、男女の共存は危ういものになっている。
しかし、こうした問題はフランス固有のことだろうか? 日本の文科省は性教育に消極的なようだが、「自然にどうにかなるだろう」でよいのだろうか。
(注1)『日本とフランス 二つの民主主義』薬師院仁志著 光文社新書 2006年
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キャプション:拙著『フランス人の性』とフランスの性教育の教材
©PRADO, Natsuki
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