2013年以来、ほぼ5年の歳月をかけて、双方の多くの交渉官が辛抱強く交渉を重ねてきた日本とEU間の自由貿易協定「日・EU経済連携協定(EPA)」が、いよいよ2月1日に発効する。双方の議会が批准し、発効までの手続きが全て整ったことを確認しあったのは暮れも押し迫った昨年12月21日のこと。ところが、あたかもそれを待っていたかのように、その4日後のクリスマス開け26日、日本は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明した。IWC加盟国の多くは遺憾の意を表明したが、とりわけEU加盟の25カ国の不快感は際立っている。というのも、批准したばかりのEPAの中で、IWCに代表されるような、海洋生物の多様性保全を含む持続可能な発展のための多国間枠組み重視すると誓ったばかりだったからだ。舌の根もかわかぬ4日後の約束破りに、日本という国の品格を疑う声が高まっている。
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EU流、自由貿易協定の意味
日本人の多くは、EPAのような「貿易協定」が、どうして捕鯨と関係するのか不思議に思うかもしれない。
EUを国連やOECDのような国際機関と同列に理解している人は多い。だがEUは、基本価値共有同盟を前提としているという点で、他の国際機関とは質を異にする。第一次大戦後「国際連盟」があったにも関わらず、民主主義体制ができていたにも関わらず、ドイツや日本の暴走を食い止められなかった人類の悲しい歴史を教訓に、いかに一国の暴走を留める多国間の枠組みを作るかという命題から出発している。加盟するには、地理的にヨーロッパに位置するというだけではなく、基本条約に定められている「自由、民主主義、人権と基本権の尊重、法の支配」に合意しなければならない。人権や基本権には、死刑の廃止や刑が確定していない容疑者の長期拘留禁止なども含まれる。こんなEUだから、たとえ経済や貿易のための協定であっても、その相手国に、基本となる価値の共有を強く求めるのだ。
全体で500ページ余りある日・EUのEPAでは、第16章(約30ページ分)を割いて、「持続可能な発展」に影響する事項への配慮や、関連する国際協定重視が事細かく明記されている。そこには、日本人の目には普通の貿易協定には無用と映りそうな、労働者や消費者への手厚い保護、小事業者が不利益を被らないための配慮などに加え、不可逆的な環境破壊につながるかもしれない行為への「予防原則」や、気候変動に関するパリ協定やその他の環境保護条約の順守が盛り込まれている。さらには生物多様性、森林や海洋生物といった自然資源の管理や保全などの責任を負うこと、そしてそのために、あらゆる紛争の解決に「多国間枠組み」を重視することなども規定されているのだ。
EPAの大筋合意を発表する安倍首相、欧州委員会のユンカー委員長、欧州理事会のトゥスカ議長の表情は固い(2017年7月、日・EU首脳会合後の会見にて)©Taz
EUはこのEPAの中で、商業捕鯨についても言及することを望んでいたようだ。EU法では、鯨は特別な保護対象となっており、鯨製品の貿易は35年前から明確に禁止している。また、「科学調査目的での捕鯨」には極めて懐疑的だ。しかし、今回のEPA締結に際しては、日本側の立場に配慮して、商業捕鯨禁止についてはEPAそのものには明記せず、IWCなどの多国間枠組みでの協議や、加盟国と日本の二国間協議の場に委ねることでなんとか折り合いをつけたことが、EUのEPAに関する公式サイトにはっきりと記載されている。
その協定が批准された4日後に、日本はこの合意の駆け引きの一つであったとすらいえる、捕鯨に関する多国間協議の枠組みであるIWCからしらっと脱退表明したのだ。欧州委員会通商担当の首席交渉官、官僚レベルの交渉官、加盟28カ国政府にとっては寝耳に水で、日本はEPAの重みを理解するどころか、馬鹿にされたと思ったはずだ。
これでは、トランプ大統領流の米国のパリ協定脱退やユネスコ脱退と同レベル。一方的で挑発的なやり口と捉えられてもしかたない。捕鯨については様々な立場があるとしても、そのやり口はあまりにも狡猾だ。
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EUはそこまでナイーブ(だまされやすい)?
日本のIWC脱退表明を受けて、EU加盟のIWC会員国は、1月15日、IWC発の声明文で、極めて「遺憾」としたうえで、以下のように強い不快感を表明している。
「EUおよび捕鯨制限についての国際協定合意しているEU加盟国は、これからも、世界の商業捕鯨モラトリウム(一時停止)維持にこだわる。日本が、これまでにIWCが成し遂げて来た成果を否定することなく、捕鯨についての多国間協力関係に留まるよう求める。EUは、日本が多国間による海洋保全の重要性を認め、ルールに基づく制度を守るよう働きかけ続ける」
極めて遺憾、捕鯨についての多国間協力関係に留まるべきだと要請するIWC会員のEU加盟国 @Taz
欧州議会議員で、元ベルギー首相のギ・フォルスタット氏は、12月27日ツイッターで、「日本の発表には失望した」とし、その後には、批准したばかりのEPAに関連づけて、「やられた!」「約束が違う!」「EUはすぐにEPAを破棄すべき」などのコメントが続いている。
Extremely disappointed with this decision by the Japanese Government. I call on them to respect our natural environment, internationalism & reverse their decision. @JapanMissionEU https://t.co/9O0h2W1PPV
— Guy Verhofstadt (@guyverhofstadt) December 27, 2018
ギ・フォルスタット氏の2018年12月27日のツイート
昨今の日本政治の急旋回を、EUが何も知らず、暢気・鈍感でいられるはずはない。むしろ、インテリジェンスを駆使して調査し把握しているはずだ。筆者は一昨年、日本とのEPA・SPA(戦略的パートナーシップ協定)交渉の進展を前に、欧州議会の委員会が、日本ウォッチャーの大学教授などを招いて行った勉強会を傍聴したことがある。安保法制や特定秘密法などが、形だけの議論で強行採決されていったかを、驚くほど深く研究していた。EUは国連人権委員会などの報告も注視しているため、過去の、また現在進行形の「人質司法」など、日本の前近代的司法制度の問題や、死刑制度が容認されるばかりか今日でも多数執行されている実情もよく知っている。今の日本は、EUが協定締結相手国に求める、人権擁護や法治国家とは程遠いのだという現実を十分に認知しているのだ。
それでも、EUが日本をLike-minded country(似たような考え方をする国)とかour friend(盟友)などと呼んで、かなりの部分に目をつぶってまで大型自由貿易協定EPAを締結したかった背景には、EU側の事情があるのだろう。米国が、環太平洋TTPから抜けたように、大西洋側でもEUとの間でほとんど最終段階に達していたTTIPが、トランプ大統領の登場で無期棚上げとなってしまった。同時に、もう一方の覇者中国が「一帯一路」と称して、独自の貿易圏を拡大しようとしている。韓国やカナダとの自由貿易協定を成立の後、メキシコ、ベトナム、シンガポールなどとも続々と自由貿易協定を締結しつつあるEUだが、ここで経済的にもまだインパクトのある日本との自由貿易協定を締結して、自由陣営での大きな貿易圏構築を急ぎ、世界に存在感をアピールする必要があったのだろう。
安保法制、特定秘密法などの強行採決の情報に聞き入る欧州議会の委員会 ©Taz
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論点は商業捕鯨そのものの是非ではない
日本では、IWC脱退や商業捕鯨の是非に議論が集中しがちだ。「IWCは古い組織で機能不全に陥っているから脱退はしかたがない」とか、「捕鯨や鯨肉を食べることは日本の伝統だから、多国がうんぬんする権利はない」というような論点である。
だが、時代とともに需要の変化に即して伝統だった捕鯨を辞めたオランダのような国もあるし、IWCに留りながら異議を唱え続けているアイスランドも、小規模な伝統沿岸捕鯨を許容されているデンマークだってある。
南極海での日本の調査捕鯨船
写真:IWC Photo libraryより
今回、日本はIWCを脱退することで、これまで続けてきた南極海などの公海上での調査捕鯨権をなくし、近海での伝統的な商業捕鯨を再開するわけだが、実はこれなら、1997年にも2010年にもIWCで提案されていたのに日本が蹴ったものだという。それなら、IWCをこのタイミングで、脱退しなければならない理由は何もないことになる。
論点が違う…。今日の国際社会の中では、多くの協定や条約は互いに紐づけられている。どんなに時間がかかっても、多国間枠組みによる話し合い以外に、紛争や問題解決に向かう根本的な解決は望めないことも明らかだ。美味しいところだけつまみ食いしたり、自分だけが一人勝ちすることはできない構造になっているのだ。パリ協定やユネスコからの脱退を宣言したトランプ大統領率いる米国や、BREXITで不透明さを増す英国は、出口の見えない迷路にはまってしまったかのように見える。今回の日本によるIWC脱退に関する議論は、商業捕鯨についてではなく、国際社会における多国間枠組みについて、日本がどう考え行動するかが重要な論点のはずだ。
優雅に回遊する鯨たち
写真:IWC Photo libraryより
実は、EPAは、SPA(戦略的パートナーシップ協定)とセットになって交渉が進められてきた。「政治協定」的な意味合いの濃いSPAは、EPA以上に、共通価値のすり合わせが重要。だが、貿易協定であるEPAとは異なり、EU全加盟国の議会の批准を必要とする。EPA批准直後の日本のIWC脱退に、IWC会員のEU加盟25カ国は猛烈に反発している。EPAは2月1日に発効し、SPAもほとんど部分で発効とされてきたが、大方の予想に反し、EU加盟各国議会のSPA批准は一筋縄にはいかないかもしれない。
国際社会秩序の維持や多国間枠組みでの交渉という考え方について、日本国内では議論が起こることもなく、政府と官僚主導で国際社会に波紋を起こしている。1934年、国際連盟を脱退し大戦に突き進んだ日本に思いを馳せながら、暗い足音が近づいてくるような感覚に襲われてる。
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