民主主義は多種多様な意見信条を認めるのが原則だ。でも、ドイツではこの原則に例外がある。どんな人物や団体がその例外にあたるかどうかを調査するのが、連邦憲法擁護庁という政府機関だ。
闘う民主主義
私の住むドイツの民主主義は、「闘う民主主義」と形容される。民主主義では、原則として、他人の主義主張も少数派の意見も、自分のそれと同じように尊重しなければならないが、ドイツの「闘う民主主義」には例外が存在する。自由で民主的な社会の基本的秩序を乱す目的で言論や集会の自由を濫用する言動に限っては、これを法律で禁止しているのである。この規定はナチスの過去への反省から生まれ、第二次大戦後に制定された「基本法」(日本の憲法にあたる)の中にも明記されている(第18条)。
基本法の精神を守り、ドイツの民主主義を擁護するために、ドイツ連邦政府はいろいろな活動を展開しているが、その中でも強い存在感を発揮しているのが「連邦憲法擁護庁」(Bundesamt für Verfassungsschutz)と「連邦政治教育センター」(Bundeszentrale für politische Bildung) という2つの組織だ。今回はこのうち、連邦憲法擁護庁の意義と活動について紹介したい。
連邦憲法擁護庁は、連邦情報局、軍事防諜局と並ぶドイツ国家の情報機関である。連邦内務省の下部組織であり、上記の基本法の精神に反する組織や人物の監視と情報収集を任務としている。1950年に開設され、同時に制定された「連邦憲法擁護法」を法的基盤に、連邦と16州が協働して業務を行っている。自由で民主的、平和的な国内秩序や社会生活を乱そうとする企ては、すべて同庁の監視対象になる。
情報活動と教育が2本の柱
具体的には、国内の極右、極左、イスラム過激派に属する人物や団体が、現在の擁護庁の主な監視対象になっている。同庁は裁判所の許可があれば、疑わしい団体に諜報員を送り込んだり、電話を盗聴したりすることができる。「ドイツ国家民主党」(NPD、現Die Heimat)は長期間にわたって同庁の監視対象であり、右翼政党「ドイツのための選択肢」(AfD)も2021月から「極右の疑いがある政党」に指定され監視されている。ケルンとベルリンの2拠点では約4200人の職員が働いており、年間約4億8800万ユーロの予算が拠出されている(2022年実績)。2012年には「過激派・テロ対策センター」も新設、この分野を強化した。
情報活動と並んで、「教育を通じた憲法保障」も同庁の重要な任務である。年次報告書などを通じて国民に情報を提供し、社会を脅かす過激主義者へのアンテナを鋭敏にすることを促す。今年6月に発表された2023年度の報告書では、内務相ナンシー・フェーザー氏と連邦憲法擁護庁長官のトーマス・ハルデンヴァンク氏が共同で記者発表を行い、特にロシアのプーチン政権によるサイバー攻撃などハイブリッドな脅威や、イスラム主義、右翼・左翼過激派による脅威が増大していると報告した。このほか、過激派個別のレポートや、サイバー犯罪対策ハンドブックなども定期的に出版している。
ちなみに、ドイツの憲法擁護庁に匹敵する機関は、日本にはないようだ。日本には法務省に属する「公安調査庁」があり、破壊活動防止法に基づいてテロ行為の企図が疑われる団体について情報収集している。業務内容は連邦憲法擁護庁のそれと同様だが、公安調査庁はドイツの擁護庁のように「憲法の精神を守る」という直接目的を掲げていない。また、擁護庁と同じように分厚い年次報告書も公開しているものの、頻繁にメディアに登場して国民の間に名称が浸透しているドイツの擁護庁と比べて、日本では民間での認知度はそれほど高くないようだ。
正義の味方にも影の部分が
さて、自由民主主義ウォッチャーとして「正義の味方」的なイメージをもつ連邦憲法擁護庁だが、過去に汚点がなかったわけではない。それどころか、情報機関としての中立性を問われる事件も発生している。特に極右との関係については不透明性が指摘されてきた。
一例が、旧東ドイツのネオナチ団体「国家社会主義的地下組織」(NSU)に関する文書を、捜査当局に渡さず廃棄した事件だ。2000年代にNSUがドイツ各地で外国人を中心に10人を射殺した事件があった。2011年に連邦検察庁が捜査を開始した直後に、擁護庁の職員が、かねてから違憲の疑いで調査し保管していたNSU関連の7冊のファイルを、意図的にシュレッダーにかけたのだ。この事件は大きなスキャンダルになり、当時のハインツ・フロム長官が引責辞任するに至った。
また、フロム氏の後任者となったハンス=ゲオルク・マーセン氏が、退官後に右翼寄りの政治活動を展開していることも、間接的にではあるが擁護庁のイメージに影を落としている。マーセン氏の右傾化がいつ始まっていたのか、という疑問がつきまとうからだ。
同氏は、右翼関係の問題発言で2018年に長官の座を追われた。きっかけは、同年8月に東独ケムニッツ市で極右過激派が路上で外国人を襲撃、さらに極左過激派と衝突して負傷者を出した事件だった。暴動の映像を精査したマーセン氏は、「極右が外国人や難民を襲撃した確かな証拠は見つからなかった」と述べたのだ。マーセン氏はその後、長年所属していたキリスト教民主同盟(CDU)を離れ、今年2月に新党「価値同盟」(Werteunion)を結成し党首に就任したが、「ドイツのための選択肢」との協働を否定しなかったことで、さらに物議をかもした。
元の職場を訴える
新党結党とほぼ同時期、マーセン氏の「元の職場」である連邦憲法擁護庁は、同氏を違憲の疑い、つまり極右に近いとして監視対象に指定した。これに対してマーセン氏は、「反体制者がそのまま憲法否定者であるわけではない」とコメントし、3月末にケルン行政裁判所に訴状を提出。今後司法手続きが予定されており、擁護庁にとっては前長官との訴訟という前代未聞の事態に発展している。
さて、筆者がドイツの民主主義メカニズムにあらためて感じ入ったのは、マーセン氏による訴状提出のあと、まるでチェスの駒を動かすように間髪を入れず公開された、現長官ハルデンヴァンク氏の記事だ。タイトルは「『言論の自由』*はフリーパスではない」。4月2日付フランクフルター・アルゲマイネ紙に掲載された。ハルデンヴァンク氏はマーセン氏には一言も言及せずして、見事に憲法擁護庁の立場を明らかにしている。以下に内容を要約した。
「言論の自由はフリーパスではない」
まずはっきりさせておきたいのは、ドイツでは言論の自由が浸透している、ということだ。それは良いことである。言論の自由は、基本法の根本的な構成要素であり、私たちの自由民主主義的な基本秩序の最高価値のひとつである。それこそ擁護庁が保障している価値でもある。この原則は、ひどく不快だったり、馬鹿げていたり、過激だったりする信条にも適用される。民主主義と専制主義を分かつ原則である。
しかし、言論の自由にも限界がある。その上限は刑罰対象になるようなプロパガンダや民衆扇動だ。ただ、上限以下であっても、ある種の意見表明は憲法擁護法に鑑みて懸念対象となる。自由民主主義の基本秩序に反するような企てが認められる場合には、そうした「言論の自由」は、憲法擁護上の観察や評価から逃れるためのフリーパスにはならない。
連邦憲法擁護庁は政治的に中立であるべきだという意見がある。それはまったく正しい。私たちは政治的に中立である。しかし、私たちの自由民主主義に反する行動をとったり、扇動したりする人々に対しては中立ではない。自由民主主義に基づく秩序を保障することこそ、私たちの職務なのだから。
連邦憲法擁護庁がメディアに登場しすぎであるとの声も聞かれる。過激派の活動や民主主義に対する脅威について一般大衆を教育することは、早期警告機能としての擁護庁の法的義務である。そして、戦後の歴史において、わが国の民主主義が今日ほど危険にさらされたことはなかったことを、私たちは残念ながら認識しなければならない。
議論するのが民主主義の原則
憲法擁護の最高職に就く者が、自分の言葉で、これほど明確に職務を定義していることに筆者は胸のすく思いがした。ハルデンヴァンク氏はこの記事によって、自身が「教育」の一部を担ったわけだ。どこまでも議論し合う、それは民主主義の大原則である。
今年はドイツの基本法制定から75年目にあたる。国内の世論調査によると、「基本法はその真価通りに機能しているか」の問いに3000人の回答者のうち81%が「イエス」と回答し、90%が言論や集会の自由を重視していることが明らかになった。ドイツの民主主義は、ポピュリズムや暴力やフェイクニュースに揺さぶられながらも、まだ健在だ。そして、連邦憲法擁護庁が果たしている役割は、決して小さくないと感じる。
*注:「ここで言う「言論」は原文では「意見」(Meinung)、つまり「意見の自由」が本来の意味。