リオ・パラリンピックでの安楽死宣言でその名を知られるようになったマリーケ・フェルフールト(39才)さん。ベルギー人の元車いす陸上選手(T52)だ。この春には夢だった日本旅行を実現し、10月初め、待望のライフストーリーを出版した。激痛をコントロールする緩和治療を受けながら、命のゴールに向かって、やりたいことを一つ一つ着実にかなえているように見える。ベルギーでは安楽死が合法化されて久しい。ここでは、豊かに生きるための安楽死は、個人の権利として、市民社会に根付いている。
緩和治療の延長線上に
出版記者会見当日。前日まで、異なる鎮痛剤を試すための入院が長引いていたマリーケは、かなりしんどそうな面持ちでこの晴れの場に臨んだ。夏以来、これで3度目の入院だが、期待するような鎮痛効果が得られず、今も激痛に耐える日々を送っている。ところが、少し遅れて、背の高い男性が会場のドアを開けて現れると、歓喜の声をあげた。「私の命の恩人!」ブリュッセル自由大学大学病院で緩和ケアを率いる医師ウィレム・ディステルマンス氏だ。「この医師との出逢いがなければ、激痛に耐えかねて、とっくに自殺していたと思う」とマリーケは語る。
記者会見が行われたのは、ブリュッセル自由大学病院の緩和ケアが運営する施設「トパーズ・センター」。ここは、いわゆる病棟とは質を異にする。自宅や病棟で緩和ケアを受けている患者やその家族が、安らいだ家庭的雰囲気の中で、専門の医師や看護師、心理療法士らの助言を受けたり、ゲームやイベントを楽しんだりすることができる場所だ。安楽死を希望する患者やその家族がカウンセリングを受けることも、同じような仲間と共に語り合うこともできる。
「安楽死を決めてもね、本当は怖いのよ、孤独なのよ。だから、こういう場所が必要なの。ここにいると、みんな仲間っていう感じで落ち着くから」と、マリーケが教えてくれた。こうした場は、ベルギーにいくつもあるのだという。
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医師だけが執行できるベルギーの安楽死
ベルギーでは、隣国オランダに続いて2002年に安楽死が合法化されてから、すでに15年が過ぎた。その件数は、年間約2,000件(人口約1200万人)と安定して推移しており、ベルギー社会に長く住めば、親族や隣近所でも安楽死を選択したという話が聞こえてくるようになった。
合法化当初は、高齢者の末期がん患者がほとんどだったが、次第に精神疾患にも適用されるケースが増え、2014年には未成年にも適用が拡大された。2015年には精神病の囚人に安楽死が執行されたことが議論を呼んだが、ベルギーでは、安楽死の是非を根底から覆すような大きな問題は起きていない。地元紙によれば、連邦政府の監督委員会は「尊厳をもって死に臨む権利は、精神病患者にも子どもにも囚人にも平等にある」との見解を示している。
安楽死というと、「家族だろうが、友人だろうが、本人だろうが、医師だろうが、国家だろうが、誰でもが、無用な命を終わらせて良い」というようにとらえてタブー視されがちだ。確かに、この言葉が、障害者の殺害犯や優性論者、民族浄化や戦時の人体実験を正当化する国家などによって使われる時、乱用や悪用の恐怖が頭をよぎる。だが、ベルギーで合法化されているのは、「本人がその意志をあらかじめ定められた厳密な方法で申請している場合に限り、医師が、究極の緩和治療として、致死に至らせても法的責任は問われない」というものだ。これは、スイスなどで認められている「自殺ほう助」(医師以外の人でも致死量の薬剤を投与して執行可)とも違う。ベルギーでは、安楽死の執行者は、医師でなければならない。今日、世界の医療現場では、治療法がなく目の前で耐え難い苦しみを持つ患者をそっと逝かせることは、日常茶飯事のように行われているという。ベルギーでは、それを密室の行為と放置せず、医師を法的責任から解放したに過ぎないだとも言われている。
ベルギーでは、安楽死の乱用や悪用を防ぐため、極めて慎重な仕組みが設けられている。安楽死希望の意志は、本人に充分な判断力のある段階で、所定文書に記入し、親族と、それ以外の証人とともに、居住地の役所の担当官の目前で署名して届けなければならない。しかも、本人の意志が変わっていないことを確かめるため、申請は5年毎に更新することになっている。いよいよその時がやってきたら、三人の独立した医師が、患者が「絶え間ない苦痛に苛まれており、現代医学では改善の方法がない」という診断を下せば、最後の医師が、安楽死を執行してもよいとされている。だが、いくら法律で守られている権利といえ、命に終わりをもたらす役を進んで引き受ける医師はそう多くはない。
ウィレム・ディステルマンス氏は、できれば避けたいその役を引き受ける医師の一人としてベルギーではよく知られている存在だ。
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宗教を超えるベルギーの安楽死権
実は今年、安楽死を巡って、キリスト教カトリック界で激震が走った。ベルギーは、国民の約75%がカトリック教徒とされる国だ。そのベルギーで、多くの病院を運営するカトリック会派の一つ「愛徳修道士会」事業団に対し、バチカン教皇庁が、精神病患者に対する安楽死を止めるよう命じ、誓約しなければカトリック教会法に基づき追放するとの勧告を出したのだ。最後通牒では、ベルギーのカトリック司教団や駐ベルギーのローマ教皇庁大使もこの勧告に同意し、その期限は8月末とされていた。
カトリック法では、終末期の苦しみから解放するためであっても、延命措置を取り除いて死に至らしめるのであっても、それは「殺人」と見なされ、人間の尊厳と神への忠誠に背くとして厳しく罰される。
病院を運営する同事業団の理事会には、かつてEU理事会のトップを務めたファン・ロンパイ氏も名を連ねる。キリスト教民主党の党首として経験なカトリック教徒である彼が、「ローマが裁く時代は過去となった」とツイートし、波紋を広げた。
De tijd van ‘Roma locuta, causa finita’ is al lang voorbij.
— Herman Van Rompuy (@HvRpersonal) 2017年8月13日
ベルギーの愛徳修道士会事業団はローマに抵抗した。同会派はベルギーで、入院患者数合計5,000人を抱える医療機関のほか、障害者施設、高等教育機関なども運営している。同事業団本部は9月12日、プレスリリースで、静かに、だが決然とその立場を表明した。社会的倫理や良心の変遷に鑑み、命の尊厳を徹底的に貫き、あらゆる可能性を全て試した上で、申請していた安楽死を医師が執行するならば、ベルギー法に則り、安楽死執行を許容すると。
愛徳修道士会事業団が運営に関わる病院で安楽死が行なわれるといっても、もちろん同会派が安楽死を推奨しているわけでもなければ、同会派の修道士が直接関与するわけではない。今年3月には、厳密な条件を満たして安楽死を希望した、同会運営の病院に入院していた患者が、安楽死権を行使することができず、法に訴えたケースも起きていた。ベルギーには、ブリュッセル自由大学のように、カトリックが関与しない医療機関も多い。そうした医療機関への転院を勧めることも可能だろう。だが、苦痛の極致にある患者に、そうさせることが正義なのか…。この国の法律に沿って、個人の権利を遵守すべきか、カトリックの掟を選ぶのか。
愛徳修道士会事業団は今後、ローマ教皇庁から追放されるのかもしれない。安楽死の是非は、世界でも、ベルギー社会でも、まだまだ議論が続くことになるだろう。それでも、今回、愛徳修道士会が下した決断に、ベルギーの本質を見た気がする。安楽死の是非そのものは信仰に委ねられるかもしれないが、国の法で定められた個人の権利は、宗教の掟を超えて遵守されねばならない…と。
できたてのマリーケの本に、サインを求めて長い列ができた。すると、サインしていたマリーケの顔が急に険しくなって、その目がディステルマンス医師を探し求めた。けいれんが始まり不安に襲われたからだ。それでも、彼女はサインの手を休めはしなかった。親友、両親と妹、愛犬Zennのためにも、豊かに生きるための安楽死を選んだマリーケに、「まだまだ、その日は来ない。」
<トップ写真>ライフストーリー「メダルの裏側のマリーケ・フェルフールト」が出版
*同じくマリーケの安楽死を扱ったハフィントンポスト日本版での記事が、2017年国際ジャーナリスト協会東京事務所の「IFJ日本賞」を受賞
「安楽死は豊かに生きるため。日本旅行の夢を叶えたパラメダリストが語る”その時”」
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