ようやくコロナ禍が明けた6月――ベルギーのフィリップ国王が、かつて同国の植民地だったコンゴ民主共和国を公式訪問した。長引くコロナ禍と2月のロシアのウクライナ侵攻で何度も延期になっていた、2013年の即位以来初めての訪問が実現したものだ。
国王は10日、現地の大学で行ったスピーチで、「ベルギーの植民地統治は搾取と支配に基づくもので、偏見、優越意識、人種差別による不平等で不当なものであった」と言い切って、『強い遺憾の意』を表した。
国王が、自分の言葉で、旧植民地の若い人たちを前に、ここまで真摯に過ちを認め、共に歩んでいこうと語り掛ける姿は、日本人の筆者には新鮮に見えた。そこには歴史修正観もなければ、逆に、自虐的歴史観も見受けられなかった。
19世紀後半、欧州列強は傍若無人にアフリカに踏み込み植民地ぶんどり合戦に躍起になった。遅れて独立したベルギーの国王レオポルド二世(フィリップ国王の5代前の国王)は、私費を投じて、まだ未踏のアフリカ大陸奥地に探検家を送り、中央アフリカに広大な地域を見つけて私領とした。当時欧州は、産業革命が進み、近代化、モータリゼーションの真っ只中。コンゴは、天然ゴムやダイヤモンドなどが豊かだった。レオポルド二世は、黒人現地人たちがノルマを達成できないと手足を切り落とすなど残虐極まりないのやり方で支配し、1200万人もの現地の人々が命を落としたとされる。その非人道性は、欧米諸国からも行き過ぎと非難され、私領はその後、ベルギー王国の植民地となったが、統治は引き続き差別的だった。1960年「コンゴ動乱」が起こり、植民地ベルギー領コンゴは終わりを告げた。だが、独立後のコンゴやベルギー社会におけるコンゴ出身者への制度的・文化的差別は以降も根強く残った。、
レオポルド二世は植民地支配を進めるにあたって、ステレオタイプやプロパガンダを盛んに宣伝してベルギー人(主に白人)に正当化させるよう努めた。「アフリカは文明化していなくて、人々は野蛮で劣っているから、教えてやる方が彼らのためによいのだ」--『集合的植民記憶&差別撲滅運動』共同代表のジュヌヴィエーブはメディアのインタビューに答えてこう説明した。
よく聞く語りではないか――。太平洋戦争でアジア諸国に侵攻した日本でも、兄弟国のようなウクライナに踏み込んだプーチンからも。
さて、そんなベルギーで、21世紀の今、ようやくこうした過去の負の歴史を検証しようとする動きが始まっている。今日的な人権・平等の観点から、若手やコンゴ出身当事者である歴史家や人権活動家を含めて、様々な見直しが行われている。見直しの動きに沿って、2005年にはBelle Vue Museumが、2018年にはアフリカ博物館が完全にリニューアルされ、2011年頃からはさまざまな活動団体が歴史事実の検証と是正のために乗り出した。ベルギー人の多くは書籍やメディアのルポなどから残虐的な植民地支配の歴史を恥じることはあるが、教育の場で植民地搾取の誤り、レオポルド二世と宗主国ベルギーによる残虐行為、制度的・文化的差別の問題などについて教えることは義務化されていなかったのだ。
こんな手ぬるいことではダメだと大きく動いたのは、コロナ禍の2020年、アメリカから飛び火したBLM(Black Lives Matter) 運動が直接のきっかけになった。
実は、ベルギーのあちこちの公園や街角には、近年でもレオポルド二世や植民地支配を推進した人物の銅像--犯罪者とも言えるほどの人物のそれが社会のあちこちに見られる。BLM運動が高まったその時、あちこちの銅像撤去の声があがり、赤いペンキが塗られたり、こんな文言が書かれたりした。
今回の国王の訪問を、コンゴの人々は心待ちにしていたという。もちろん、「謝罪の言葉」がなかったとか、「言葉ばかりではなく、金銭的な償いがなければ」といった声は多々ある。
でも、筆者が聞いた若いコンゴ出身の人々は、「過失を矮小化せず、歴史認識をゆがめることなく、2つの国が平等な立場に望ましい第一歩を踏み出せた」「課題はこれから。何をどう変えていくかが大切」とポジティブだった。
この後、植民地時代にコンゴから持ち込んだ芸術品、独立当時の英雄ルムンバ首相の亡骸の一部(数か月後に暗殺されたその遺体処分に当時のベルギー政府の関与があったとされる)が返還が続いて行われている。
世界的には知る人ぞ知るベルギー国王のコンゴ訪問--歴史修正的な国家リーダーが増える中、地味だが意味ある一歩であることを期待する。
最終更新日:2022年6月21日