いまや世界中で国や都市の封鎖、いわゆるロックダウンが実施されているが、筆者の住むギリシャの首都アテネも同様だ。昨年末に中国・武漢で原因不明のウィルス性肺炎の最初の症例が確認され、2020 年1月7日、原因が「新型コロナウィルス」と特定された。しかしあの時、ここまでの大惨事になると誰が予想しただろうか。
世界のメディアも注目、模範的なギリシャ
ギリシャは欧州諸国のなかで、比較的、新型コロナウィルス感染の拡大が抑制されている。4月10日時点で、100万人当たりの死者の数もスペイン326、イタリア302、フランス167、オランダ140、ドイツ28に対してギリシャは8人だ(下図参照)。またギリシャは人口が約1080万人の小国だが、4月17日時点での死者数は108人。欧州で人口が同規模の国と比較してみても、オランダ(人口1738万人:死者3315)、ベルギー(人口1146万人:死者5163)、ポルトガル(人口1030万人:死者629)と、ギリシャの死者数が際立って少ないことがわかる。感染者数は2207人で感染拡大のスピードも遅く緩やかだ。
<ギリシャの死者数は⼈⼝⽐でも少ない> 出所:4月10日BloombergOpinion データ: http://www.worldometers.info/coronavirus/
ギリシャ人はイタリアやスペインと同様に、おおらかで開放的な国民性で、挨拶もチークキスにハグ、外出好き、大勢で集うのが大好きときている。当初、筆者は、ギリシャ人は社会的距離や外出控えなどがコントロールできずに超スピードで感染拡大するのではと危惧していた。しかし現時点では他国のメディアにも注目されるほどうまく制御できている。今日に至るまでのギリシャのコロナ禍の状況を振り返ってみたい。
<世界のニュースを伝えるテレビ局WION (World is One News)は、ギリシャのスピード対応を模範的と伝える>
欧州でまだコロナ感染者が発見されていなかった1月15日に、アテネ国際空港ではサーモグラフィ等で到着者の発熱スクリーニング検査を開始していた。マスクは不足気味で価格の高騰が見られたが、筆者が行くスーパーではトイレットペーパーがなくなったことはない。アルコール除菌ジェルやスプレーなどは1人1個と制限はされているが、毎回購入できる。皆、社会的距離を保ってスーパーの入り口に並んでおり、混乱は見られない。
ギリシャで初の新型コロナウィルス感染者が確認されたのは2月26日。人口第2の都市テサロニキで、イタリア北部から帰国したギリシャ人女性。その後は首都アテネやパトラなど他の地方都市で次々に感染者が発見された。英国やオランダから帰国して陽性反応が出た人も多かった。ギリシャ初のコロナ感染による死者が確認されたのは3月12日。パトラ在住でイスラエルとエジプトのツアーに参加していた66歳のギリシャ人男性だった。
この頃にはテレビのニュースはほぼコロナ禍の報道一色。オーバーシュートしたイタリアでは圧倒的な病床不足となり、倉庫などで簡易ベッドに横たわる多くの感染者、遺体を運ぶ軍隊の車両数の多さなどがテレビの画面に映し出され、恐怖を感じる人が多くなった。筆者の周囲には、イタリアに友人がいる人も多く、「イタリアでは外出許可証が要り、違反すると禁固刑3年」という戦時下のような状況や「公立病院の職から定年退職したホームドクターが、この状況で復帰を要請され、数週間、必死で人命救助した末に自らもコロナに感染して亡くなった」という悲劇的な話も伝え聞くようになった。スペインの状況も日に日に悪化していた。「もうすぐギリシャも…」という話を周囲とし始めたのもこの頃だ。
感染抑制の現状を評価、政府への支持率は高め
既に私学の一部で休校が始まっていたが、3月10日、ギリシャ全国で大学から保育園に至るまで全ての学校の休校が決まった。小規模の幼稚園や保育所、塾なども含む全ての教育機関の閉鎖で、数日後に少人数で営業していた塾の経営者が逮捕されるなど、厳しいものだった。児童公園もロックされ、遊具がテープなどで固定された。映画館や劇場などは既に閉鎖されていたが、14日からカフェ、バー、レストラン、ショッピングモール、理髪店、遊園地、博物館、美術館、屋外の遺跡まで閉鎖になった。
しかし若年層は感染しても軽症ですむという認識から、一部の若者が「アテネ脱出」を始めた。地方のリゾートや故郷の村を訪ねたりと、無症状や軽症で自分が感染源となるリスクを考えない無分別な行動はメディアでも問題視された。地方には設備の整った医療機関も少ないし、高齢者も多い。ギリシャも人口の22%が65歳以上の高齢化社会だ。特にギリシャの場合は多くの島もあるので、国内の移動も規制された。18日からは非EU諸国民は入国禁止となった。
ギリシャ国民の大半はギリシャ正教徒で、ギリシャ正教会は大きな影響力を背景に政府に対しても、しばしば強い態度に出るが、今回ばかりは密集、密閉空間である教会での集会が厳しく禁止された。それでもミサを強行した司祭がいたが、即、逮捕された。
感染者、死者ともに少なかったが、3月23日からは完全なロックダウンに突入、他の欧州諸国と同様に外出禁止措置がとられた。外出時は許可証を携帯電話のSMSで申請するか、ダウンロードした申請用紙に記入しIDとともに所持する。許されているのは、生活必需品の買い物、治療、やむを得ない出勤、社会的距離をとった運動、介護が必要な人への訪問など数項目のみ。時間制限もあり、違反者への罰金は当初150ユーロだったが、日に日に増額されている。2週間の外出禁止措置だったが、4月27日まで延長、現在に至る。
普段は政府の決定に反抗するのが習性のようなギリシャ国民だが、欧州の近隣諸国の惨状を目のあたりにしたせいか、厳しい禁止事項決定にも従順だ。2011年の日本の原発事故の際も感じたが、ギリシャ人は命が脅かされることには過剰に反応する。周囲でも当初は危機感を持っていなかった人が、今では態度を豹変させ「絶対に感染したくない」となるべく買い物も行かず、家にこもっている。この国民性がSTAY HOME成功の秘訣かも知れない。
On behalf of the Greek people, I would like to thank @harari_yuval for his kind words. During these trying times, everyone has had to make sacrifices, but we stand united and determined in the fight against COVID-19. pic.twitter.com/Z8jkQlEerM
— Kyriakos Mitsotakis (@kmitsotakis) April 16, 2020
<『サピエンス全史』の歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)もコロナ禍におけるギリシャを非常に評価するコメントを出した。ミツォタキス首相は自身のツイッターアカウントでハラリ氏への感謝を述べた。>
近年、政権交代が激しかったギリシャでは、現在、中道右派の新民主主義党(ネア・ディモクラティア)が政権政党。ミツォタキス首相はこのコロナ禍における素早い対応、感染拡大が緩やかで死者数も少ない現状が評価されている。支持率は、82%(支持する54%、どちらかといえば支持する28%)と高い。長年、財政危機下にある国だが、この封鎖で仕事が続けられなくなった人に800ユーロの支給が決定。これは月額ではなく、働くことが不可能な状況の人々に対しての一時補助金としてさしあたり支給された。しかしギリシャには「マブロ(ギリシャ語で黒の意)」という税金や社会保険料を払わない働き方をしている貧しい移民労働者も多い。その人たちは、補助金は申請できず、苦境にあると思われる。
コロナ禍で番狂わせの五輪関連行事
東京でオリンピック・パラリンピックが開催されるはずだった2020年。五輪開催の年は、オリンピックの発祥地ギリシャのペロポネソス半島西部に位置するオリンピアの地で採火式が行われる。五輪の聖火はオリンピアのヘラ神殿において凹面鏡を用いて太陽から採火される。
<3月12日、オリンピックの発祥地ギリシャ・オリンピアでの採火式。写真は古代の巫女姿の女性から聖火を受け取る第1走者アンナ・コラカキさん(リオ五輪の射撃の金メダリスト)>©Yoshihiro Nomura
しかしこのコロナ禍で、3月12日に行われた採火式は史上初、無観客中継となった。古代の巫女姿の女性から、第1走者であるリオ五輪の射撃の金メダリスト、アンナ・コラカキさんが聖火を受けとり、アテネ五輪マラソンの金メダリストの野口みずきさんが第2走者となってリレーが始まった。
<聖火を持つ第2走者の野口みずきさん(アテネ五輪のマラソン金メダリスト)>©Yoshihiro Nomura
しかし、感染拡大を危惧したギリシャのオリンピック委員会はたった1日で聖火リレーを中止。映画『300(スリーハンドレッド)』で主役のスパルタ王レオニダスを演じたハリウッド俳優ジェラルド・バトラーさんがスパルタの地を走った際、大幅に予想を上回る観客が沿道に押し寄せたためだ。
19日にアテネのパナシナイコ・スタジアムで開催された聖火引継式も番狂わせが起こった。出席予定だった森喜朗東京2020組織委員会会長、アテネ五輪の金メダリスト、柔道の野村忠宏さんとレスリングの吉田沙保里さんなどが、既に非EU国民入国禁止措置がとられていたため、ギリシャへの渡航を断念。日本からのJALとANA共同運航の聖火特別輸送機は乗務員のみで飛んでくるという前代未聞の事態となった。式典ではギリシャ在住のオリンピアン井本直歩子さんが日本を代表して聖火を引き継いだ。現時点で、オリンピックは1年延期されたが、来夏の開催さえ危ぶまれると感じている人は少なくないと思う。
常に難民流入問題を抱えるギリシャ
新型コロナ感染のギリシャでのピークは4月21日頃と予測されていた。外出禁止の解除は5月になるのか、開校は新学期の9月になるのか。状況によっては封鎖と解除を繰り返していくことになるかもしれない。この週末、19日の日曜日はギリシャ正教会の復活祭で、子羊丸ごと一頭のローストなどのご馳走を大勢で食したり踊ったりする。しかし今年は復活祭の関連行事も固く禁止されている。17日にはこの週末と月曜日を対象に罰金の増額など外出・移動禁止令の更なる強化が発表された。感染拡大は抑制されてきたが、国民の間にはロックダウンによる疲弊感が出てきており、この祝日を機にフラストレーションが爆発しないか心配だ。
またギリシャは慢性的に難民流入問題を抱える。ギリシャは地理的に欧州の玄関口となっており、トルコ政府の国境開放政策により、2月末ごろから数万人の難民がトルコとの国境であるギリシャ北東部のエブロス川流域やレスボス島などに押し寄せていた。トルコ側が国境付近に移動させた難民には服役囚やコロナ感染者も含まれていたという報道もあり、国境を越えようとする難民とそれを制止する警察部隊、難民支援団体と地元住民等との間で衝突や暴力事件が生じていた。今は難民は国境からは退いているが、いつ何時また押し寄せるかわからない。
また4月上旬にアテネ北部の難民キャンプでも20人ほどの新型コロナ感染者が出て、キャンプが封鎖された。同様の難民キャンプはギリシャ各地に点在しており、数万人単位の難民が居住している。これらの地域のコントロールも課題になってくるだろう。
医療従事者への感謝と収束への祈り
イタリアやスペインでは、医療従事者が心身ともに限界のなかで必死に人命救助にあたっていることに感謝の意をあらわすため、バルコニーで拍手をする運動が広がった。3月15日の日曜日、ギリシャでも「医療従事者に感謝して夜の9時にバルコニーに出て拍手しよう」という呼びかけがソーシャルメディアなどで拡散された。筆者もバルコニーに出て感謝の意と収束への祈りを込めて拍手をしたが、同じアパートメントや近所から拍手や歓声が聞こえてきて、その時だけは心細さや不安が取り除かれた気がした。
日本で医師として働く親戚や友人から聞いたが、医療関係者やその家族を差別する風潮があると聞いてとても悲しい気持ちになった。大きな感染リスクを抱えて日々、人々の命を救っている医療従事者には感謝してもしきれない。日本でも一部でバルコニー拍手が行われているというニュースを読んだが、そういう気持ちになる人が増えてほしいと切に願う。そして一日も早くこのコロナ禍が収束することを願わずにはいられない。
追記:当初はネットで盛り上がっていたBCGワクチンと各国の感染拡大の関係。いまやNHKや朝日新聞などでも紹介されている。ちなみにギリシャもBCGワクチン接種の義務国。ギリシャ、ブルガリア、クロアチア、セルビアなど東南ヨーロッパ(バルカン半島)の国々はどこも接種義務国で、西欧諸国に比べ感染拡大が緩やかだ。現段階では科学的因果関係は解明されていないし、反証も多いが、実に興味深い。
<トップ写真:3⽉12⽇、ギリシャ・オリンピアでの採⽕式。2020年開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックのための聖⽕が採⽕されたが、新型コロナウィルスの影響で史上初の無観客中継となった>©Yoshihiro Nomura
なお、浅川千尋・有馬めぐむ 共著の『動物保護入門 ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来』(世界思想社)はこちらから