4月12日は、イタリアにとって、いや世界のカトリック教徒にとって、復活と春の到来を祝う大切な日。いつもなら世界中からの信徒と人々でにぎわうイタリアの美しい街角に、人影はなかった。欧州で最初の震央となってしまったイタリアでの人々の思いを、コーディネータとして経験豊かな村本幸枝さんに綴ってもらった。
<トップ写真:連帯を示す窓に掲げられた国旗には「きっとうまくいくよ」との思いが書かれている。3月19日。©Pietro Luca Cassarino / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0
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1月下旬、イタリアで初めてコロナウイルスが確認された。感染者は武漢から旅行で訪れていた中国人夫妻で、1月23日、ミラノ・マルペンサ空港からイタリアに入り、その1週間後、体調を崩したローマでの検査結果が陽性と出たため、そのまま市内の病院に隔離された。それに伴い、イタリア政府はすぐに中国・イタリア間のフライトの発着を全面的に禁止した。この時、イタリア国内に少々のざわめきは起こったものの、きっと大事には至らないだろうと、誰もが根拠もなく信じ込んでいた。
それから3週間、今度は北イタリアのコドーニョという小さな町でイタリア人男性の感染が発生する。周辺ですぐに数名の感染者が確認されたが、それでもまだ現実味に欠ける他人事だった。「感染した人には気の毒だけど私は大丈夫」というのが、多くの人々の考えだった(と思う)。まさかその後、北部を中心に、イタリア全土を巻き込む爆発的な感染が引き起ころうとは誰も予測していなかった。そして、その一人一人の認識の甘さこそが、今、イタリアが直面している悲惨な状況をつくる原因となってしまったのだとあらためて思う。なぜなら普段と変わりない毎日を過ごしていた無症状 (または軽症) の感染者が、水面下にはかなりいたのではと思われるからだ。実際、私のまわりでも「そう言えば、少し前に微熱があった、咳が続いていた。今思えば、コロナだったのかも…」という知人や友人がいたのである。その頃はコロナウイルスに関する情報が少なかったし、その実態や恐ろしさはさほど知られていなかった。
急展開するイタリアに世界中が震撼
状況が一変するのは3月も1週目が過ぎるあたりからだった。3月10日、ローマから日本への一時帰国を予定していた私は、出発前の準備で忙しく動き回っていたのだが、その頃になると、家族や友人から「今は動かない方がいい」「飛行機は危ない」と、忠告を受けるようになっていた。だが、仕事が理由の帰国だったため簡単に取りやめるわけにもいかず、前日の夜まではイタリアを発つつもりでいた。
ところが、まさに出発の当日、北部ロンバルディア州全地域と近隣の4州14県に出されていた移動制限がイタリア全土に適用されることになってしまったのだ。もちろん、仕事上や健康上の理由による移動は許されるし、日本国籍を持つ私は問題なく帰国できただろう。だが、イタリアへ戻るのが難しくなるだろうと判断し、止むを得ず帰国を断念したのだった。案の定、予約していた復路のフライトは、数日後にキャンセルされた。
それ以降のイタリアにおける急展開は周知の通りである。まるで国そのものが奈落の底へ転がり落ちるかのように感染者・重症者・犠牲者がものすごい勢いで増えていった。私が暮らすローマから北西30kmほどの人口約20,000人の町でも数名の感染が確認され、さらに10kmほど先の人口8000人弱の小さな町ではスポーツジムでクラスター感染が発生した。不要な外出はいっさい禁止となり、買い物は日用品や食料などの必需品だけに限られ、散歩も自宅の周辺のみとなった。こうしてイタリア全土が事実上の隔離生活に入っていった。ひと月経過した今でも、まだ出口は見えてこない。集中治療室を必要とする重症患者や死亡者はピークに達し、やっと緩やかにカーブが下降し始めたと言うが、今、気を緩めたらまた元の黙阿弥だ。それだけは絶対に避けたいと誰もが思っている。
<イタリアの国歌をバックに、美しいイタリアの風景と「世界は私たちを待っている。だから今は距離をおこう。一緒にいられる日が早く戻って来るように」と呼びかけるイタリア首相府のメッセージ映像>
深刻な経済問題・精神的ダメージ
二次災害として深刻な問題のひとつなっているのが生活苦だ。私のまわりでも自宅待機という名のもとに事実上失職した友人や、仕事が全てキャンセルとなったフリーランスの友人が増えている。私自身も予定していた撮影コーディネートや商談の仕事は全て頓挫。自宅でできる書き物やリサーチの仕事が中心となった。
だが、社会にとって必要不可欠の限られた職種、たとえば、医療関係者、食料品や薬等を売る店、郵便やゴミ収集といった公共サービスなどで働く人々は今でもずっと仕事を続けている。職を失うことへの不安を抱える人々がいるいっぽうで、感染の恐怖と背中合わせに通勤している人々もいるのだ。どちらがいいのか、どちらが「まし」なのか、正直言ってわからない。
十分な蓄えがある人や年金生活者、失業保険受給者は今のところなんとか食いつなげても(額や期間にもよるが…)、日々の収入で暮らしていた人々のことを思うと心が痛む。このような問題に対し、イタリア政府は住宅ローンの一時的中断や納税の停止、フリーランスに対する補助金の支給を打ち出したものの、実務を請け負う現場との連携がうまく機能せず、思うように事が進んでいないようだ。敏速な判断と対応こそが必要とされているのに、前例がない故、全てが後追いになっているのが現状だ。
そして、同じく浮彫りになっているのは長期に渡る隔離生活が引き起こす精神的なダメージである。特に、一人暮らしの高齢者、狭い住居に住む大家族、小さな子供のいる家庭、DV被害者、持病を持つ人たちにとって、外出の制限は深刻な問題となりつつある。
各々できる方法で目に見えない相手と戦う
とにかく、今、私たちにできることはただひとつ。うつらない、そして、うつさないことに尽きる。時間に余裕があるからこそできること、じっくり向き合えること、隣人にしてあげられること、自分のスキルを活かして貢献できることをしながら、今、イタリアでは多くの人が静かに毎日の生活を送っている。コロナウイルスの話題になるとどうしても暗くなりがちだが、物理的な距離の隔たりはあるものの、近年、失われつつあった人々の心の距離は案外近くなったのかもしれない。
「経済よりもまずは人命。そのために全員が責任を持ち、家族の命を守るために、どうか家にいて欲しい」そう言い放ったコンテ首相のメッセージに、私たちは覚悟を決めた。
<G.コンテ首相による外出制限の告知 自身のFBより>
4月9日の時点でコロナウイルスの犠牲となった医師は105人、看護師は28人。マスクやゴーグルの跡で顔面炎症を起こしてしまうほど、休みなく、過酷な状況下で、使命感だけを頼りに頑張っている現場の医療関係者を、無事に、一刻も早く家族の元へ帰してあげるためにも、今は一人一人が踏ん張るしかない。遠方に住む家族に会えない、一緒に食卓を囲むことができない、史上に残るであろう2020年の復活祭(4月12日)をなんとかやり過ごし、いずれこのパンデミックが幕を閉じるその日が来たら、より良い世の中になっていることを切に願いながら。
イタリア保健省2020年4月11日 18:00現在
感染者総数:152,271人
死亡者数:19,468人
完治者数:32,534人
現感染者数:100,269人 (前日から1,996人増)
内、自宅隔離68,744人( 前日から2,210人増)
入院28,144人 (前日から98人減)
集中治療3,381人 (前日から116人減)
<イタリア市民保護局のホームページで毎日更新されるCOVID-19情報。上のグラフでは黄(感染者)、白(死亡者)、緑(完治者)>
<ひっそりと静まり返るイースター12日夜7時のミラノDuomo。たった一人で行われた「Music for Hope」で、テノール歌手Andrea Bocelliの声が心にしみた>
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<寄稿者プロフィール>
村本幸枝 /Yukie Muramoto
1989年渡伊。イタリアで法人を立ち上げ、ローマでイタリア初の日本語情報誌「ラ・プリマ」を創刊 (2000年休刊)。2000年、株式会社アッティコを設立。FIFA日韓W杯ではイタリアチームに帯同、東京ドームで開催されたイタリア・フェスティバルではイタリア各州政府との調整など、イタリア関連のコーディネートを数多く手がける。また、イタリアやヴァティカン市国と日本の国交樹立記念事業をはじめ、イタリアでも日本文化のPR行事やテレビ、雑誌、企業視察など、幅広い分野でコーディネートや執筆を手がけている。アッティコ公式ホームページはこちら。