6月、天皇皇后両陛下がオランダ、ベルギーを訪問された。 日本からはびっくりするほどの報道陣が同行して、毎日のご様子やお言葉を追いかけていたから、サッカーW杯と同様に毎日ニュースになっていたのではないだろうか。 両国が国賓として招き、両国王室が日本の天皇皇后両陛下をまるで一般人が友人夫妻を招いた時のように親しさをもって、気取らず笑顔で対応されていたから、両陛下の打ち解けてにこやかなお姿には好感が持てた。 だが、日本からあれほどの報道陣が来ていたというのに、両陛下の行動を追いかけるだけで、両国と日本、特にそれぞれの国の歴史的経緯まで掘り下げた確信的な報道がどれだけあっただろうか。 たとえば、オランダでの歓迎式典の後、両陛下が供花した「戦没者追悼記念碑」とはなんなのか。 世界大戦には中立を宣言していたオランダだが、ドイツに侵攻され占領下に。だが、日本が介入したわけではない。さらに、多くの戦争を経てきた欧州の国には、どこの国へ行っても、もちろんベルギーにだって、戦没者記念碑はある。それなのに、なぜ、あえて、両陛下はオランダの戦没者記念碑を訪れて供花するのか、そのことにどんな意味があるのか、現地の人々はそれをどう受け止めているのか。日本からあんなにやってきた報道陣はきちんと伝えていない。表面をさらうだけで、掘り下げようとすらしていないように感じる。 https://youtu.be/EqCZmZRUgAA?is=hEFQ-ORVwV5CeWUO 日テレNewsの全記録でこんなテロップがさらりと流れた(21分頃)。「第二次世界大戦では、旧日本軍がオランダの植民地だった今のインドネシアに進行して占領し、約4万人の軍人が捕虜となっただけでなく、約9万人の民間人も抑留され、多くの死者が出たため、戦後オランダでは厳しい対日感情が残った」。活字媒体は単に「戦没者慰霊碑に供花」と伝えただけだ。 地元のメディアは毎日のニュースとしても扱うが、それ以外に深掘りした記事も多かった。メディアが伝えのは、陛下の御召し物がどうの、語学力がどうのといった話ではないのだ。 ここに、オランダ・アインドホーフェンの地方紙記事の内容の一部を紹介したい。 6月17日(水)午前11時、天皇皇后両陛下はダム広場の宮殿でウィレム=アレクサンダー国王とマキシマ王妃による歓迎を受けた後、戦没者記念碑(Nationaldenkmal)に供花される。 オランダと日本は426年にわたる関係強化を目指すが、皇室とオランジュ家(オランダ王室)の温かい友情には、旧オランダ領東インドにおける第二次世界大戦の影が常に付きまとう。 当時、オランダの植民地だった同地は、日本軍により占領され、その間、何万人もの人々が飢え、疲弊し、疾病、拷問、そして強制労働によって命を落とした。生存者や遺族、そして日本軍によって売春を強要された女性たち、いわゆる「慰安婦」らは、長年にわたり、戦後の日本が彼らが受けた苦痛を認め、金銭的補償することを求め続けている。 この公式訪問は旧オランダ領東インドにルーツを持つすべての人々に大きな波紋を広げている。特に供花は極めてデリケートな問題、というのは、記念碑の裏の壁には、日本による戦争犯罪の犠牲者が眠るインドネシア国内22カ所のオランダ軍墓地の土が入った骨壺( urn )が埋め込まれているためだ。 ダム広場の戦没者慰霊碑。裏側の壁に、被害者の骨壺が埋め込まれている。Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons こうした背景から、供花が行われる式典中、「日本軍抑留所迫害被害者(Vervolgingsslachtoffers Jappenkamp)」「日本への道義的債務(JES:Japanse Ereschulden)」「インディッシュ・プラットフォーム財団」などが、静かな抗議活動を行なおうとして、アムステルダム市、警察、司法当局と協議したが、「安全上の理由」から、柵の内側で抗議することは許されず、カメラに入らない遠くで行うようにと指示された。団体側は「我々を追い払うことはできない。ここで抗議することは私たちの権利だ。私達の苦しみは、天皇に一度も認められたことはなく、心からの謝罪もないのだから」という。 記録によれば、昭和天皇は戦後に謝罪の意を表したいと考えていたものの、内閣によって止められたとされる。 戦後の新憲法下では、日本の天皇は象徴としての機能にすぎない。政府を代表して、謝罪など政治的・法的な帰結を伴う発言は許されない。今上天皇の父上である明仁上皇も、2000年のオランダ公式訪問の際に記念碑へ供花された。その際のスピーチでは「深い悔恨(深い反省)」という表現にとどまった。 上皇は2015年の全国戦没者追悼式でもその言葉を繰り返した。今上天皇も、2020年の追悼式で、上皇の言葉を繰り返した。 2014年にウィレム=アレクサンダー国王とマキシマ王妃が日本を公式訪問した際、明仁上皇は、戦争が両国間の長い友情を「汚した」ことは「誠に不幸せなこと」であったと言及。 団体の人々は、今上天皇が水曜日夜の宮中晩餐会で改めて謝罪の意を示すことを望む。 (皇室・オランダ王室の親密さについての部分割愛) 戦後、日本の歴代首相らは謝罪を表明しているものの、賠償金の支払いは拒否している。日本は1956年の日蘭賠償協定を引き合いに出し、戦争の苦痛は3800万ギルダーで「解決済み」であると主張している。しかし、その見舞金は被害者たちには届いていない。「慰安婦」とされた女性たちは民間基金(※アジア女性基金)からの補償を受けたのみで、日本政府から直接賠償されたことはない。 このため、生存者や遺族らは30年以上もの間、毎月第2火曜日に日本大使館前でデモ活動を続けてきた。かつて数百人いたグループは、今では数十人まで減少。JESの代表は「300件以上の請願書を提出してきたが、一度も返答もない。もう、請願書の提出は止めた」と語る。 同財団は6月初旬、天皇と国王に宛てた書簡の中で、今回の公式訪問中に生存者や遺族へ向けた何らかの意思表示(ジェスチャー)をしてほしいと求めた。また、訪問中の天皇陛下との面会も要請したが、これに対する返答もなかった。6月17日の水曜日には約50人の遺族と、おそらく数人の生存者が戦没者記念碑のあるダム広場へ向かう。亡くなった愛する人々の写真と、長年JES財団のデモのシンボルとなってきた黄色い傘を手にして。 これらの団体は、式典中は、カメラや天皇の視界からは外れた離れた場所で抗議行動をするようにと当局から指示されたが、それでも、そこは骨壺が埋め込まれた記念壁を見渡せる場所で、感情的に大きな価値を持つと感じている。「天皇に会う必要はない。私たちは骨壺を見つめ、供花が行われている間に、愛する人々を追悼したいのです」と団体代表者は語る。「陛下は私たちがここにいることを知るでしょう。感情が高まる瞬間になるはずです 。」 こうした両国の関係を知って、その和解に努めてきた日本人女性がいる。彼女をインタビューした朝日の記事には、敬意を表するが、インタビューを受けた鈴木由香里さんは、もっともっと確信部分を伝えてほしいと感じている。