クラシック音楽を全く知らない人でも、ショパンとチャイコフスキーの国際コンクールは聞いたことがあるかもしれない。これらに加え、世界三大音楽コンクールの一角をなすのはエリザベート王妃国際音楽コンクールだが、残念ながら知名度はやや下がる。
『エリザベート』とは、芸術をこよなく愛したベルギー国王アルベール一世の奥方のこと。英国の故エリザベス女王なら誰もが知っているが、ベルギーのエリザベート王妃の方は知る人ぞ知る。広島にあるカトリック系音大「エリザベト音楽大学」の名前にある、その「エリザベト」。原爆による惨禍の中で、広島に音楽を通じて希望を――とベルギー人神父が創立した音楽学校に、ベルギーの王妃が共感してその名を授けたと言われている。
さて、一般人にはあまり知られていないエリザベート王妃国際音楽コンクールだが、実は結構ユニークで面白い。まずはピアノ、バイオリン、チェロ、声楽と毎年種目が変わる。ショパンやチャイコフスキーと違って、作曲家が限定されることはないし、このコンクール用に書き下ろされた新曲を限られた時間内に自分で解釈しマスターして、聴衆や審査員の前で披露する技量と度胸が求められる。
長年弾き込んでいるからショパンなら誰にも負けないとか、チャイコフスキーの協奏曲なら絶対の自信というだけではだめ。短時間勝負の解釈力と速攻演奏技術の両方が必要で、それに加えてもちろん個性ある音楽性が求められる。

さらにこのコンクールならではの勝負環境がユニークだ。
予選からファイナルまでの長丁場を、若い音楽家たちは、ボランティアのホストファミリーで過ごす。録音音源での予選を通過し、ベルギーに到着すると、ホストファミリーが待ち受けている。ファミリーの条件は、家にきちんとしたグランドピアノがあって、一日中いつでも練習できること、コンクールの間、若き音楽家たちが心地よく練習しながら健康に過ごせるように、食事の世話や送り迎え、そして心の支えを提供すること。
さらに、ファイナルに残った12人は、最後の1週間をエリザベート音楽チャペルという音楽専門スクールの寮で缶詰になって過ごす。演奏の日時順に、きっかり1週間前に新しく書きおろされた協奏曲の新譜を渡されて入寮し、外部との接触はほぼできない状態で、ファイナルに残った他の演奏家たちと共同生活しながら、曲を完成させていかねばならない。
前回2021年に3位となったピアニストの務川慧悟さんは、ブリュッセルに住む中国人とドイツ人のご夫婦のご家庭に滞在。「コンクールはもうたくさん、と思っていたが、パリの恩師から、『生涯決して忘れられない素晴らしい体験となるから』と強く勧められ、それは間違っていなかった」と語ってくれた。
今年は、ベルギーでの本選に進んだ70名のうち、日本人6名全員がセミファイナルに進出するという快挙を成し遂げた。






その中から亀井聖也さん、桑原志織さん、久末航さん、吉見友貴さんがファイナリスト(12人)に残った。彼らは、くじ引きで決められた演奏する日時の1週間前に、パソコンもスマホをホストファミリーに残して、エリザベート音楽チャペルに入寮している。
今年、ファイナルで指揮するのはマエストロ大野和士氏。若い音楽家が最高のパフォーマンスができるようにと神経を使うらしい。

ファイナルは5月26日から。初日の月曜日は吉見友貴さん、30日(金)桑原志織さん、31日(土)には亀井聖也さんと久末航さんが挑む。日本時間では夜中の3時15分からと辛すぎる時間帯だが、ライブストリーミングも、事後視聴もできるのでぜひ。
最終発表は31日深夜(日本では早朝)。ここまでずっと追いかけてくると、クラシックファンでなくても情が湧いてきてオシができてしまうから不思議だ。技術的にはとても甲乙つけがたく、後は審査員の好みではないかとも思わずにもいられない。
最後にトリビア情報を一つ。現ベルギー国王の第一子もエリザベート王女。愛子さまと同い年の彼女は、ベルギー初めての女王となることが決まっている。ベルギーのエリザベートはElisabethで、英国の故女王(Elizabeth)とは綴りが一文字だけ違うことも付け加えておこう。
さて、ファイナル。普段はクラシックにご縁のない方も、クラシック大好きの方々も、日本の若き音楽家たちをぜひ応援してほしい。