もうはるか昔のことのように感じるが、コロナでロックダウンが続いていた頃、日常のすべてが暗かった。ドイツでついぞ見たこともなかったマスクが外出の定番となり、あらゆる場所にそれが出現して、人とのコンタクトは避けられ、多くの店は閉まり、社会全体が重苦しい雰囲気に包まれていた。そんな折、日本人として、私は奇妙なことに気が付いた。
コロナ禍の気づき
チャットで、メールで、たくさんのドイツ人の友達が、笑える動画を送ってくるのである。思わず爆笑するビデオは、それを見たら、私も友人に転送する。そうなってくると、自分も負けずに、何か面白いものをネットで探してしまう。驚いたことに、80歳を過ぎた高齢の友人たちも同じで、みんながみんな実に可笑しい短い動画を送ってくるのだ。
たしかに、陰鬱な日々に、それを笑い飛ばすビデオを見ると、目の前の問題がその瞬間はありがたいことに消えてくれる。私は、はは~んと気が付いた。これだ!これぞまさにドイツ人!「にもかかわらず笑う」だ。
ドイツでは、「にもかかわらず笑う」というのがユーモアの定義とされる。この言葉、カトリック神父でもあり、日本で死生学という学問を広めたアルフォンス・デーケン上智大学教授が折々述べていたし、中学校の国語の教科書にも「ユーモア感覚のすすめ」として彼のエッセイが収録されていたから、聞いた方があるかもしれない。
どんなに困難な問題に直面していても、あるいはとても笑えないような状況でも、あえて笑い飛ばす、それがドイツ人の人生に対する態度であり、ユーモアはそこに深く結びついている。笑うことによって、四面楚歌の状況が相対化され、物事が見えてくるのである。私はここにドイツ人のある種の精神の強靭さを見る思いがする。
パスポートが切れている!
個人的にもそれを経験したことがある。私が仕事をしている公文式教室は、ドイツ西部、デュッセルドルフにあるが、この町には、ヨーロッパでロンドン・パリに次ぐ、大きな日本人コミュニティがある。7000人を超す居住日本人用のインフラも発達していて、日本人のための学校はもちろん、日本食レストラン、食料品店、本屋、美容院、学習塾からお寺まである。最近は、ドイツ人配偶者をもつ国際結婚組や、現地企業で働く人、年金生活者も増えているが、大部分は日本企業の駐在員とその帯同家族が占める。
私は、今からおよそ40年近く前、デュッセルドルフ在住のおもに駐在員主婦たちと一緒に『独日文化フォーラム・Humanet』というNPOを立ち上げ、その代表を務めている。3年から5年くらいの周期で日本に帰国する日本人たちから、引っ越しに際して不要なものを寄付してもらい、それを私たちが主催するバザーで売って、アフリカなど開発途上国の援助活動に使うという活動である。発足後、しばらくして私たちは自前のチャリティ・ショップも開店した。
ところで、1980年代末~1990年代初めというのは、一連のいわゆる東欧革命が起きて、東への壁が開いた時代である。私たちのNPOでは、その頃、いろいろなツテをたどって、貧困にあえぐポーランドやルーマニアに「国際救援宅急便」と称し、救援物資を届けていた。私も何度か、その物資を運ぶマイクロバスに同乗して、私たちが援助している孤児院や教会などを訪れたことがある。それは、いつも私たちの大切なメンバーであるWerner Welling夫妻が一緒だった。Wernerは、デュッセルドルフにあるプロテスタント教会の援助組織ディアコニーを引退後、年金生活を送っていた。Wernerの妻は、旧プロイセン、今はポーランドのマズール湖水地方の出身で、戦後ドイツに移住してきて、こどもの頃住んでいた現地の言葉がかなりできるというのも強みだった。
さて、国際救援宅急便に私も同乗してルーマニアに寄付品を届けたときのこと。ハンガリーにほど近いルーマニアの教会に救援物資を搬入した帰り、ハンガリーへの国境の検問を通ろうとしたその時。ハンガリーの国境職員が恐るべきことを発見した。なんと、私のパスポートの有効期限が切れていたのだ!まったく迂闊にも、ドイツからハンガリー、ルーマニアとそれまですべての国境を問題なく通ってきたのがウソのようで、改めて確認するとたしかに期限の日付が数日であったが、切れていた。もちろん、私が悪いに決まっているのだが、どうしてその時点に至るまで数ある国境で気が付かれなかったのだろう。
壁が崩壊したといえども、やはりそこは旧ワルシャワ条約機構の国である。不法入国などの言葉が脳裏に浮かび、私は真っ青になった。どうしよう! それでも、その係官は、いちおう親切そうに「これからあなたはブカレストの日本大使館に行って、パスポートを更新しなければならない」と言った。しかしそれって、その国境からは何百キロも離れた場所なのだ。ルーマニアの道路事情は、当時、月面を走っているように最悪で、とても幹線道路とは思えないありさまだった。これを通って、ブカレストまで行かなければならないのか。それにはまた数日かかかる。私には絶望感以外の何ものもなかった。
その時私がいぶかしく思ったのは、同行したWernerの態度であった。「おやおや、Mariko、それは大変だ」と係官と私に肩をすくめて見せたあと、突然いくつものジョークを飛ばし始めた。なんと場違いなことと私は心の底で思った。ちなみに、そこにいた職員の多くは皆ドイツ語ができた。
ところが、係官がおなかを抱えて笑っているうちに、奥から彼の上司が出てきて私たちに重々しく伝えた。本当は違法だが、特別な許可証を出すから、あと2日以内にハンガリーを出国してドイツに戻ること。信じられない! でも、私はありがたくその特別許可を手にして、Wernerと一緒にマイクロバスに戻った。その時、彼が私に言った。「さあ、あの係官の気が変わらないうちに、大急ぎで出発しよう!」これすらも、Wernerは私にウィンクしながら、ユーモアたっぷりの調子で語りかけたのである。そして、私たちはそれからひたすら走り続け、無事ドイツに戻ることができた。
私は、後になって、この状況とユーモアの定義につくづく思い当ったのである。なるほど、これぞドイツ人の処世術。絶体絶命の状況を打開し、その場の雰囲気を和ませ、お互いに笑顔になれる。ユーモアにこんな効用があるなんて。
権力への抵抗としての皮肉
実は、ユーモアについては、必ずしもドイツ人だけでなく、Welling夫妻とポーランドに行ったおり、現地でポーランドの小話を聞いて爆笑するたびに、「絶体絶命の状況を相対化する」知恵を学んだ。今、思い出せないのが残念だが、当時は「ヤルゼルスキ―の小話」が現地で流布していた。正面から政府に向かっていったのでは太刀打ちできない。それどころか、自分の生命も危うくなる。でも、相手の言うなりになるような無力な民ばかりではない。小話という形で、チクリと皮肉をこめて相手を相対化する。ポーランドに限らず、世界の権威主義的な国家で人々が生き延びるために作り出した知恵ではないか。
ユーモアの定義は、「にもかかわらず笑う」だが、もう一つ、ドイツ人のユーモアに欠かせないものがある。それは皮肉、風刺の精神だ。批判することによって、権力を無化する。ドイツ人の夫がよく言うことだが、「日本人は誰かがバナナの皮につまずいただけで笑うでしょ」、それはユーモアではないと。ドイツでもっとも人気があるのは、政治に対する風刺である。
毎週金曜日の夜になると、定番のZDF(公共放送)によるニュース風刺番組をやっている。これは15年以上も高視聴率の続くドイツ人の大好きな番組だ。福島原発事故が起きたときには、「ニコニコしている人に放射能は来ない」とのたまわったあの有名な山下俊一教授(福島県立医科大)の言葉が取り上げられ、「日本人をお手本にしよう」とさんざん皮肉られた。
また、私が以前よく聞いていたラジオのポッドキャストでは、メルケル首相が主人公で、メルケル首相にそっくりな声色の俳優が、世界の首脳たちとのやりとりや、メルケル個人のつぶやきなどを面白おかしく演じていた。日本だと考えられないようなテーマでも、遠慮会釈なく、バッサリ切る。
風刺が異文化に関わるとき
このような権力への抵抗というユーモアの側面は、ひとりドイツだけのものではなく、ヨーロッパ全体に流れる、ある意味EUを貫く価値観のようなものである。
2015年1月、この価値観が他の文化圏と真向からぶつかる事件が起きた。『シャルリー・エブド』襲撃事件である。パリに本社を置く風刺新聞『シャルリー・エブド』にイスラム過激派テロリストが乱入し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人を殺害した。その背景には、アメリカ同時多発テロ以来、頻々(ひんぴん)に起きているイスラム過激派によるテロがあった。『シャルリー・エブド』がモハンマドの風刺画を掲載したことから、過激派の標的となったのだ。
この事件は、フランスのみならず、ドイツをはじめヨーロッパ諸国で大きく報じられるとともに、テロリズムに抗議し、表現の自由を訴え、フランスに連帯するデモが各地で起きた。そのころ、たまたまデュッセルドルフの旧市街にあるフランス語協会の前を通りかかったら、入り口に白いバラとカードが置いてあった。誰かが追悼と連帯を示すために、そこに持ってきたのである。
当時ドイツは、一方的にイスラムテロを非難する論調であふれていた。Facebookには、フランスの三色旗が翻っていた。しかし、私は必ずしもそれに与する気持ちにはなれなかった。イスラムの人たちにとって、もっとも大切な存在であるモハンマドが貶められたら、どのような気持ちになるだろうか。しかも、ヨーロッパに暮らすイスラム教徒のほとんどは移民であり、社会のマイノリティである。つまり、これはある種の移民排斥、弱い者たたきなのだ。
だが、その一方で、どんな権威にも絶対にひるまないヨーロッパの批判精神もまた大切な価値であり、ここで誰かに気を遣っていたら、自由な表現も失われてしまう。実はヨーロッパ社会では、イエス・キリストが風刺画に登場するなどまったく普通のことで、そのことでキリスト教会が抗議したという話も聞かない。もちろん、テロ行為は言語道断だが、どちらの価値観にも一定の敬意を払うべきであって、巷にあふれるイスラム教徒への容赦ない断罪には距離を置きたいと思った。
先生もこどもたちも
学校現場で、このような文化が絡むテーマでのユーモアは、なかなかに難しい問題だ。デュッセルドルフのあるノルトライン・ヴェストファーレン州の児童生徒の3分の1はすでに、両親か、あるいはそのどちらかが、移民の背景を持つ。家の宗教がイスラムという生徒も多く、社会は多文化化が進行している。そのような学校では、ジョークを飛ばすにしても、教師にはある程度の配慮が必要だし、移民のこどもたちが肩身の狭い思いをすることは絶対に避けなければならない。
私はかつて、日本の中学校で社会科の教員をしていたが、ドイツに来て、ドイツ語にある程度習熟した後、デュッセルドルフ・ハインリッヒハイネ大学で、教育学を学び直した。そのオドロキの内容は以前も書いたので触れないが、ここでは一つ、教員養成のゼミに出ていた時に印象に残った話を紹介する。
教員としてどんな資質が必要かということがテーマだったが、その中にしっかりユーモアが必須条件としてあがっていた。私たちの人生にユーモアが潤滑油として必要であるように、生徒たちの教育指導にもユーモアは当然欠かせないと。
教授いわく、「しかし、諸君、それは授業中に3分おきに小話を語るという意味ではありませんよ。」ゼミの学生たちが、どっと沸いた。その時の教授のいたずらっぽい表情も忘れられない。
ユーモアは、困難な状況のみでなく、自分自身を笑い飛ばせることも一つ大切な条件である。よく知られているように、教師は、こどもたちに対して往々に権力を振りかざす存在となる。そこを突破するのは、教師が自分も笑える対象となることを生徒に見せることである。その時、先生と生徒との距離がぐっと縮まる。
そういうユーモアあふれる先生に育てられたこどもたちが小話大好き人間になるのは、当然のなりゆきだろう。うちの二人の息子も、学校で友達から聞いたと、ジョークをうちでよく披露してくれた。こういう小話を自分の中にたくさん持っている子が人気者になるらしい。デュッセルドルフでもっとも多く購読されている新聞ライニッシェ・ポストには、こどもたちのページがあり、そこには彼らの作ったジョークが時々掲載されている。これをいくつか紹介して、この稿を終えたい。
<初出:「ドイツに暮らす⑱」、『言論空間』、現代の理論・社会フォーラム、2025年春号。許可を得て転載。>