人口600万人弱、標高が最高で約180mというデンマークは、私の住むベルギーと比べても、人口は半分、山と呼べるものがないベルギーよりさらに平らな国だ。(ベルギーの人口は1200万、最高峰約700m)。一方、ベルギーには「ベルギー語」はないのに、デンマークはプライド高く「デンマーク語」をしっかりと維持しながら、同時に国民の英語レベルが高い。大国の人々には実感しにくいかもしれないが、話者数の極めて少ない言語をきちんと維持しながら、国民の大半が英語を使いこなせる社会の文化や民度は相当に高い。
その表れの一つか、ちっこくて平らな国デンマークは、幸福度ランキングで常に最上位に入る。現地の生活に入り込んで接してみると、自分の頭で考え、判断し、行動する人々による実直で成熟した社会を感じさせる。「同調圧力」とは無縁な世界がそこにある。
エコヴィレッジ――デンマーク的社会挑戦から見えたもの
デンマークで実際に見たかったもう一つのものは、今、欧州や世界のあちこちで立ち上がりつつあるCollective Housing、つまり「エコロジカルな共同生活コミュニティ」だ。Z世代のために、私たち世代に何ができるかと考える中で、持続可能な生活スタイルへの転換は、個人でやるのではなく、共同のコミュニティで進めていく方がよいのではないかと思うようになり、私自身、模索してきたからだ。
デンマークはこうした共同生活コミュニティの発祥地とされ、エコヴィレッジ(Ecovillage)と呼ばれるコミュニティがすでに国中に4~50もあり、人口比では最多とされる。早くも60年代には、最初のこうしたコンセプトに基づく新たな集落が結成され、90年代に入るとネットワーク化してノウハウの伝授が行われ始めて、それが世界中に広がっていった。
世界ネットワークGlobal Ecovillage Network (GEN)によれば、こうしたコミュニティでは、①地域に根差したものであること、②社会的、文化的、経済的、生物学的な側面から「持続可能なシステム」となっていること、そして③社会性および自然環境を積極的に修復・再生すること、という3つが必須要件だという。日本で最近多く存在するシェアハウスとは全く異質なものだということがわかってもらえるだろうか。
エコヴィレッジの第一号とされる「デュッセキルデ(Dyssekilde)」に発足当初からの住民だというビィアギッタ・ステーン(Birgitta STEEN)さんを訪ねた。
北欧州郊外の平らな道を延々と走っていくと、なんでもなさそうな森林の脇にある無造作に用意された駐車場に着いた。エコヴィレッジの住人や訪ねてきた人は、車をここに停めて後は徒歩か自転車なのだという。建売住宅の販売所のような、あるいは、キャンプ場の受付のような、緑色の箱型の管理事務所の前で、ビィアギッタさんは私たちを待ち受けていてくれた。
「もうここの住人も高齢化が進んでしまい、もう何人も見送り、一人暮らしの老人が増えてしまったのよ」
大きな声でこう話し始めた。彼女自身も80を超え、耳が遠くなって…と弱音を吐きながらも、久しぶりに訪れた珍客をうれしそうに案内し始めた。英語は問題ないが、長いこと話していないからと会話はやや一方的になりがちだ。
駐車場の一部には、大き目の分別コンテナがいくつも並ぶゴミ捨て場と小さなエコ・ストアがあってちょっとした食料品や日用品なら、ここで買うこともできる。管理事務所の壁に貼られた少し風化したヴィレッジの見取り図を見せながら「全体で13㌶の土地の大半は農地。家を建てることが許される5㌶に約60の一戸建て、14のアパート、2つのシェアハウスがあって、赤ちゃんから90歳を超える老人まで、国籍も、宗教も、職業もバラバラな約200人(うち子供が3割)がここで暮らしているのよ。」と説明し始めた。
入口付近に並んだ個性豊かな郵便受けの横を通り、ゆっくりと、家々を巡りながら、彼女の話は尽きない。
「最初はこの地区からスタートし、私が住むのはここ。ファミリーが住む一戸建てはこの辺、こっちは数家族が住むシェアハウス…。真ん中には皆のためのコミュニティーハウスができて、コンサートやヨガやお誕生会なんかができる多目的ホール、大型の洗濯機や乾燥機を備えたランドリールーム、広い共同キッチン、ゲストルームなんかもあるの。6つの地区に分かれていて、それぞれがいろんなプロジェクトを考えてやっているのよ…。」
日本でよくあるパッケージ建売住宅ではないから、建材も見かけもバラバラ。一見すると家とは思えないような半分丘に埋め込まれたような家や、五角形の家もある。玄関口がこぎれいに手入れされた家もあれば、小さな子供の外遊びのおもちゃがちらかっている家も、大小さまざまな自転車が無造作に置かれた家もある。フェンスも生垣の区切りもないし、皆知り合いで大家族のようなものだから、誰かの庭を横切れば食事中の人影が見えてしまうし、玄関前で住人に出くわすこともあり、「元気?」と声を掛け合って生活している。
ここでは、自宅内以外のことは、すべて皆で話し合って決める。エコヴィレッジの3つの原則に沿って、互いをリスペクトすることが大前提だが、価値観は違うから、民主的にことを決めるのは大変だ。それぞれの地区ごとに、考えて、試行錯誤した痕跡もそこここに見える。
居住地区以外も広大だ。ブランコやトランポリンという遊具が供えられた子供の遊び場があり、柳林の根を利用した浄水施設の奥には、若者が騒音を気にせず屋外フェスができる舞台を備えた地域があり、さらに家庭菜園が並ぶ区画や、残飯処理と卵のための鶏小屋を持てる区画もある。近年は乾いた夏が続いたからと、新たな貯水池を作るプロジェクトを始動してようやくできたところなのだとも説明してくれた。
発電用の中型風車も一本あったが、「あれはシンボルみたいなもの。あまり役立ってないのよ」とも。ほとんどの家には太陽光パネルがあるし、地域熱供給もあるから、戸別に備える必要は少ないわけだ。(後に情報を補完してくれた別の住人によれば、この風車は設置当時ほどの発電能力は発揮していないものの、ここの住民が消費する電力の2倍ほどを発電し、地域の送電網に流しているという。)
小さな子供を育てるパパが思い立って、自宅でヴィレッジの子ども達用の託児所を作るプロジェクトを始めた。隣接する場所にあった小学校は、エコヴィレッジ専用ではなかったが、ここの住民の子供たちが多く通うので、その親や住人が深く関与するようになって、遠隔地からも希望してこの学校に子供を送る人々が増えたのだという。
駐車場と反対側には、ローカル電車の無人駅があった。このエコヴィレッジ住民の通勤通学に活用されているという。かわいらしいローカル列車は、乗降客が少ない時間帯には、まるでバスのように乗降客がブザーを押した駅にだけ停車する。過疎地だからこそ、公共の足は不可欠で、エコロジカルでもあるから郊外こそローカル電車網が発達している。
駅舎には、皆が持ち寄った古本の図書室があり、駅舎の裏庭では定期的な有機野菜の市場が開かれ、住民が集うもう一つの憩いの場となっている。
ビィアギッタさんの自宅にお邪魔した。こじんまりした彼女の家は整然と片付いていて、オープンキッチンには調理道具がこぎれいに並んでいる。二階には大きなPCモニターを置いたオフィスがあって、とても80を超えた女性の自宅とは思いにくい。彼女はアーチストだが、雑然とした仕事場という雰囲気ではない。聞くと、ヴィレッジ内に、もう一人のアーチストとのシェア・アトリエを持っていて、毎日歩いて「通勤」しているのだという。彼女の作品には、環境や社会への声が力強く描かれていた。
理想に燃えて造られた第一号のエコヴィレッジは30年の歳月を経た今、先駆者ジェネレーションの高齢化が進む。住民の入れ替わりもあるから建て替え途中なのか、放置されたままなのかわからないような家も散見されたし、訪れた時期が秋だったためか、なんとなく黄昏れた印象もぬぐえなかった。生き生きとしたコミュニティを保ちながら、世代交代して持続可能性を実現していくか、今が正念場のようにも思えた。
だが、そもそもエコヴィレッジの理念は、エコロジーの「エコ」だけではないはずだ。社会を構成する人々の高齢化や孤立、子育て、介護などの諸課題を、個人や家族任せにせず、コミュニティで担っていくことを目指したものだったはずだ。
社会のサステナビリティをどう実現し維持していかれるか、世界中のあちこちにできている共同生活コミュニティが、エコヴィレッジ第一号とされる「デュッセキルデ(Dyssekilde)」のこれからのプロセスを応援しながら見守っている。
合わせて前編「ストーブも湯沸かし器もない北国」はこちらから