大晦日のケルン集団暴行事件に始まり、今月19日に起こったベルリンのクリスマスマーケットへのトラック突入テロで幕を閉じることになったドイツの2016年。トラックを運転していたとされるチュニジア国籍のアニス・アムリ容疑者(24)は23日、イタリアのミラノで警察との銃撃戦の結果、射殺された。同容疑者は、2015年夏にドイツに流入した多数の難民の中に紛れ込んでいたことが明らかになっている。警察が全国の難民施設に立ち入り捜査し、政府が急ビッチで難民政策の見直しを進める中、国内の治安に対する市民の不安が高まっていることは否めない。しかし一方で、難民たちの受け入れ最前線である自治体の職員やボランティアは、これまで通り黙々と彼らのサポートを続けている。
アンゲラ・メルケル首相は22日、「こんなにもたくさんの人が、それも極めて冷静に、この事態に反応していることを誇りに思う」と語った。イスラム過激派テロへの対応に追われた年ではあったが、「それを理由に難民全体を危険視するべきではない」という国民の認識はゆるいでいない。それは、ドイツが長年積み重ねてきた「歓迎する文化」があってこそだ。その理念と実際を、今こそあらためて紹介しておきたい。本稿は、今年6月時点で発表されたものであることを、先にお断りしておく。
“先進”のデュッセルドルフの難民滞在施設を訪ねて
今年2月、ドイツ西部にあるデュッセルドルフ市内の難民用仮設住宅を訪ねた。 広々とした敷地の中に、工事現場の仮設コンテナに似た建物が「コの字」に配置されている。中庭の一画には、遊具を備えた小さな公園。12月に完成したばかりで、すべてが真新しく清潔な印象だ。
人口約60万人のデュッセルドルフ市では3月末現在、約6200人の難民たちが56 カ所の施設に分かれて暮らしている。その中でもこの施設は最新式だ。組み立て型の簡易建築とはいえ、個室とセントラルヒーティング完備で居住性が高い。 家具付き100室のほか、共同キッチンやバスルーム、談話室などを含めて計181ユニットがあり、計200人が生活している。施設の計画と建設は市が行うが、実際の運営は福祉団体に任されることが多い。この施設には労働者福祉団(Arbeiterwohlfahrt)の職員が詰め、市の社会福祉課、児童課、雇用エージェンシーなどの職員と連携して業務を行っている。難民認定の申請手続き、保健衛生・心理面のケア、幼稚園や学校への入園入学手続き、就職指導など様々なサポートを提供する。
住居棟では、単身者の部屋と家族用のアパートを組み合わせるのが原則だ。これは「デュッセルドルフ・モデル」と称され、デュッセルドルフ市が全国に先駆けて導入したコンセプトである。急場しのぎの仮設テントなどでは大部屋に多人数が集まり、住む人の不満が高まりやすい。デュッセルドルフ・モデルはこれを解消するために考案された。「難民たちの心理に配慮すると同時に、家族的な雰囲気の中でお互いに助け合うことを奨励しています。構内でのケンカや揉めごとはありません」と、市職員のフランク・グリーゼさん。不動産会社と5年間で約600万ユーロの賃貸契約を結んでおり、昨年10月から半年間で同様の施設を10 カ所オープンさせた。市ではまた、狭い地域に多数の難民が集まって孤立するリスクを避けるため、施設を市内全域に分散させる方針をとっている。
難民たちへの直接取材は断られたが、談話室の見学を許された。言葉が異なるため、入居者同士がおしゃべりするわけではない。しかしみんなが集まって時間を共有し、子供たちは元気に遊び回っている。机の上にはボランティアが差し入れた手作りケーキ。全員が静かで、落ち着いた印象だ。筆者が昨年取材した他の自治体では、男性ばかり40人が古い官舎を転用した施設で暮らし、盗みやケンカが頻発していると入居者が訴えていた。デュッセルドルフの試みのように、住環境の改善だけで難民たちの抱える問題が解決できるわけではないが、少なくとも受け入れ側がケアの質向上を目指し、十分な予算を拠出して短期間で成果を出している点には見るべきものがある。
戦後一貫して標榜してきた「歓迎する文化」
2015年、ドイツには90万人弱の難民が入国した。アラブ諸国での内戦や迫害を逃れ、わずかな所持品だけを持って地中海とバルカン半島を経由し、念願のドイツにたどり着いた人たちだ。入国者の3分の2がシリア、イラク、アフガニスタン3国の出身者である。EU圏内のハンガリーなど一部加盟国が国境を閉鎖する一方で、メルケル首相が一貫して難民歓迎を表明していたことから、1日最高1万人がドイツに入国した日もあった。年末までには、前年実績の2倍にあたる44万人が難民申請を提出。今年に入ってバルカンルートの国境管理強化に伴い、ドイツまで到達する難民数は激減したものの、ドイツの「難民危機」はむしろこれからが正念場だ。 前述3国の出身者は難民認定が認められことがほぼ確実であるため、「難民」から「移民」に転じて長期滞在する者は、入国者の半数以上と見込まれている。
米国やカナダほどではないが、ドイツもまた移民国家である。人口約8000万人のうち、約1600万人が移民または移民の二世・三世だ。 国民の5人に1人の割合である。ドイツは戦後一貫して「歓迎する文化」を標榜し、紛争地や開発途上国からの難民を積極的に受け入れてきた。根底には、ナチス政権が外国人を迫害した過去への反省がある。50年代以降の高度経済成長期には、労働力としてトルコやイタリアからの移民を合法的に迎え入れ、 90年代にはボスニア紛争で発生した難民にも庇護を提供した。その他、パキスタンやモンゴル出身者など、人道上の見地から受け入れた難民も多い。移民に関してドイツはすでに半世紀以上の経験があるわけだ。21世紀のいま、日本と同様に少子高齢化という状況に直面し、再び労働力としての移民の重要性が増してきている。
とはいえ、90万人の難民流入という事態はドイツにとっても想定外の出来事だった。「歓迎する文化」を堅守しながら、従来の移民政策の見直しを迫られることになる。
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官民一体での難民支援策
政府は難民急増が明らかになった昨年秋、16州に対して長期的な支援拡大を約束した。難民たちは入国後、最初の一時受入れ施設で登録を済ませると、ドイツ全国の仮設住宅へと振り分けられていく。難民・移民政策を策定するのは連邦(国)の管轄だが、実際に生身の難民たちを受け入れるのは自治体の仕事なのだ。連邦は難民一人月額670ユーロの補助金で州と合意、今年度は16州に対して総額36億4000万ユーロの拠出を決定している。また、難民対策の調整機能を内務省から首相府に移管して指揮系統を強化し、庇護審査を管轄する連邦移民難民庁の担当官を2倍の1000人に増員して認定審査の迅速化を図った。
これと並行して、政府は難民庇護権に関する法律を10月に異例のスピードで改正、発効させた。コソボなどバルカン3国については「安全な出身国」として、これらの国籍者の認定審査を迅速化する、難民への現金支給を一部現物支給に切り替えるなどの措置を導入。今年2月には再び改正を行い、登録時に身元詐称をした者や指紋採取を拒んだ者への対処を厳格化する、難民認定者の家族呼び寄せを制限するなどの項目を盛り 込んだ。難民認定のハードルを高くすると同時に入国のメリットを低減して、難民の総数を抑制することが狙いだ。 政府はさらに「インテグレーション法」を準備中で、ドイツ社会への統合努力(ドイツ語習得など)を拒む者への給付金減額、難民認定者の居住地の一部限定などの点で、連立与党内が合意している。ドイツは認定が認められて「移民」となった者たちを支援しつつ、同時に彼らの側からも統合する姿勢を求めている。
「歓迎する文化」は国だけが標榜するものではない。経済界も難民支援をはっきりと表明している。それを端的に表すのが「みんなで一緒に」(Wir zusammen)という産業界の連帯イニシアティブだ。シーメンス、ルフトハンザ、アディダス、フォルクスワーゲンなどドイツを代表する37社が参加し、「社会統合は職場でこそ成功する」というメッセージをメディアで発信しつつ、自社内で難民たちに職業訓練の機会を提供する。 IFO 経済研究所の最新調査では、回答企業1000社のうち、68%の企業が過去に難民を雇用した実績があり、38%の企業が近々に採用を予定している。また、難民とIT企業間のプラットフォーム的役割を果たす「ReDIスクール」のように、双方がメリットを享受できるビジネスモデルも出現している。
教育の場でも、難民たちへの支援が進む。難民であってもドイツでは就学義務が生じるため、子供たちは仮設住宅から地元の学校に通っている。彼らは年齢に関係なく、まず「準備クラス」「ウェルカム・クラス」と呼ばれる学級に入り、ドイツ語を学んだあと、普通学級に移っていく。「子供たちは言葉を覚えるのが速い。数カ月で普通学級に移れる児童もいる」と、現場の教師たちは楽観的だ。両親のために通訳を務める子供たちも多い。ドイツ語の習得は、難民たちの社会統合のカギだ。成人の難民は地元の市民講座で学んだり、退職後の教師などが施設で行う授業に出たりしながら、少しずつ言葉を覚えていく。言語習得の助成は移民難民局の管轄だが、ドイツ語力が就業に直結することから、今年は労働省がドイツ語コースの特別補助予算を組んでおり、すでに22万件の申し込みがあったという。
ケルン事件後に噴出した市民の不安、排斥デモ、反難民の民族主義政党も
ドイツはこのように官民一体で「歓迎する文化」を推進してきた。しかし、実は国民の心中に不安や戸惑いがあったことも否めない事実だ。昨年大晦日にケルンで起きた集団暴行事件は、それを一気に表面化させることになった。
ケルンの事件では、外国人男性グループによる性的暴行や窃盗が大量に発生した。今年3月末の時点で1527件の被害届が提出されており、153人の容疑者のうち149人が外国人であることが判明している。そのほとんどがモロッコとアルジェリア出身の難民申請者または不法滞在者だった。また、昨年11月にパリで起きた同時多発テロの容疑者が犯行前にドイツに一時滞在していたこと、難民として入国した者の中に偽造パスポートを利用したイスラム過激派が潜入していたことなども明るみに出ている。「難民=犯罪者」という極端なイメージが、「歓迎する文化」の後ろから姿を現したのだ。アレンスバッハ人口動態研究所の最新調査では、「難民の急増によって犯罪率が上がる」と予想する市民は79%に達している。
こうした心理を利用して、3月の州議会選挙で飛躍的に票を伸ばしたのが、反移民を標榜する右派の「ドイツのための選択肢(AfD)」である。3州すべてで躍進し、特にザクセン=アンハルト州では得票率24%で第二党に躍り出た。また、反移民の立場でAfDに同調する「欧州のイスラム化に反対する愛国者たち」(略称 PEGIDA)という勢力のデモには、一般市民から極右まで毎回1万人近い参加者が集まる。 こうした動きに勢いを得て、ネオナチもまた水面下で活動を活発化させている。難民滞在施設への襲撃事件は2015 年、前年の200件から5倍の1005件に跳ね上がった。
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言葉も、外見も、宗教も、生活習慣も異なる難民たちは、ドイツ人にとって近くにいても不透明な存在だ。彼らの価値観は西側諸国のそれとは大きく異なり、両者の間には共通基盤がほとんどない。そこに異文化摩擦が生じる。ケルンの事件では、難民として単身入国した若い男性の行動規範が浮き彫りになった。イスラム教国では男性が家長として家族を支配し、女性には絶対服従を求める。こうした文化を背景とする者にとって、男性と同等に発言し行動するヨーロッパの女性たちは「不名誉な存在」となり得る。だから、彼らの中で彼女たちへの暴力が「正当化」されたのだ。イスラム教徒の男性が男女同権を受け入れるには、長い時間がかかるだろう。政府は難民受け入れに伴う異文化摩擦を過小評価していたかもしれない。
また、労働力としての難民への期待もしぼみつつある。ドイツでは確かに労働力が不足しているが、求められているのは 主にエンジニアやIT分野での専門職だ。ドイツ労働市場・職業研究所(IBA)の調べによると、就業年齢にある紛争国出身者のうち、大学卒以上の学歴をもつ者は28%、職業訓練を終了している者は30%弱にすぎない。それどころか、難民の中には非識字者や義務教育を受けなかった者もいる。ある教育関係者は「義務教育の9年間が欠けている成人に、ドイツでの職業訓練はとても無理」とこぼす。また、命をかけてやっとドイツに到着した難民たちの中には、時間のかかる語学学習や職業訓練よりも、手っ取り早く現金を稼げる道を選ぶ者が少なくない。不法労働や麻薬がらみの犯罪に関わるリスクが高まるだけでなく、単純労働に就けない者が多数、失業保険の受給者となることが危惧されている。
政策と民意 − 市民の理解と支援 –の一致で生まれるダイナミズムに期待
以上のような理想と現実を前に、今後ドイツはどのように「難民危機」に対処していくのだろうか。
制度上の枠組みが整いつつある今、最も求められているのは国民一人一人 の積極的な関与だろう。ドイツの平均的市民は、難民問題の理想と現実の両方を意識しながら、地道に難民支援を続けている。寄付や献品をするだけでなく、仕事の後に施設で難民の子供たちと遊ぶ人、希望者にピアノのレッスンを提供する人、スポーツクラブで難民の子供たちを世話する人など、自分なりのボランティア活動をしている人が非常に多い。デュッセルドルフ市では3000人のボランティアが分野別に登録されており、ドイツ全国では国民の10人に1人が難民対象のボランティア活動に従事している。デュッセルドルフの施設に勤める社会福祉士、マスード・ジャバリさんが「彼らなしには現場の業務進行は不可能でしょう 」と話す通り、市民の理解と支援は統合の大きな力となる。
同様に、難民側の関与も重要だ。ドイツで難民申請が認められたら、庇護されるだけでなく、自分たちが社会に貢献していくことをドイツは求めている。例えば前述のジャバリさん自身が30年前にイランから亡命し、現在は福祉団体職員として難民支援に身を投じている模範例だ。国内には、トルコを中心とするイスラム系移民が中心となって設立した団体も多い。「ドイツムスリム中央評議会」「ドイツムスリムフォーラム」といった組織が、ドイツ社会とイスラム系移民社会の橋渡しを務め、政治的にも大きな影響力をもつ。近年ではテレビに登場するニュースキャスターの中にも、移民家庭出身のバイリンガル人材が増え、多文化共生にさりげない貢献を果たしている。
メルケル首相は昨年秋、難民急増とパリの同時テロで窮地に立たされながらも、「ドイツは強い国です。私たちには対応できる」と繰り返した。首相の言う「強さ」は、 政策と民意が一致してこそ生まれる。ドイツはひとつの目標に向かって猪突猛進し、それをやり遂げるダイナミズムを備えている。2011年の脱原発が好例だ。当時、原発の稼働延長で政府と合意したばかりだった電力業界には大きな試練だったが、それでもあらゆる努力で事業戦略を転換し、政府とともに脱原発という大きな課題に取り組んだ。 現在、ドイツの消費電力における再生可能エネルギーの比率は32%に達し、政府は目標を順調に達成しつつある。こうした一連のプロセスにおいて、国民の8割以上が脱原発を支持したことが大きな推進力になったことは間違いない。
ヨアヒム・ガウク大統領は4月に行ったスピーチで、次のように述べた。
「 国家だけでは移民の社会統合は達成できない。全員が参加し、共感と関心を持って取り組んでほしい。 自分がどこから来たかではなく、何者であるか、何を目指しているか、それだけを尺度とする社会をドイツは創造できるはずだ」。
EUを政治でも経済でも牽引するヨーロッパの大国でありながら、奢らず、時代の要請に応じて変化し、成長してきたドイツ。「難民危機」は、戦後ドイツが貫いてきた人権尊重と民主主義の理念のもとに、異なる出自をもつ者が共生し、新しい社会を創造するための大きなチャンスとなるはずだ。
(『月刊公明』2016年6月号掲載の記事に、最新データなどを加筆・修正して転載)
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