米国は、再び新型コロナによる悪夢の日々に直面している。総人口約3億3000万人の米国で、6月末までは1日の新規感染件数が2万件以下、死者数も300人程度だったのに、デルタ変異株の蔓延とともにアッという間に状況が悪化。8月中旬には1日あたりの新規感染件数が15万件を超え、死者数も1000人に達してしまった。入院者数も1月のピーク時に匹敵する10万人を超えた。特にワクチン接種率が低い南部の州は、のきなみコロナ病床も集中治療室も満床で、州外や軍に医療スタッフの応援を求めている。これらの州の多くは、政府による規制や個人生活への関与を嫌う共和党知事の州だが、同じ共和党知事の州でもワクチン接種が進んでいる北東部の州ではデルタ株感染に見舞われながらも、おおむね重症化の抑え込みに成功している。なぜこれほど違うのか。
個人任せの感染対策
ワクチン接種が始まったばかりの今年1月。南部テキサス州(人口約2900万人)では1万4000人以上の州民がコロナのために入院し、毎日、400人前後の死者が出ていた。まさに医療崩壊といえる状況で、当時は感染抑制のために室内でのマスク着用義務やレストランやイベントの入場制限なども行っていた。しかし共和党の牙城ともいえる同州では「加速的にワクチン接種が進む」という前提で感染者数が高止まりする中でも、グレッグ・アボット州知事(共和)がいち早く3月中旬にすべてのコロナ規制を撤廃した。
ところが街中の薬局でワクチン接種が受けられるようにっても、接種希望者が頭打ちとなり、「加速的」には進まなかった。今のところテキサス州で2回のワクチン接種了率は州人口の46%と全米平均より低く、全米50州のうち35位。成人で少なくとも1回のワクチンを受けた人も69%にとどまっている。
トランプ前大統領を彷彿させる主張を繰り返すアボット州知事の「個人の選択と責任で行う感染対策」に委ねた結果、8月21日現在、テキサス州では1月のピークと同水準の1万4000人以上が重症化して入院している。コロナ入院患者の95%以上はワクチン未接種者だ。同州はすでに、遺体を収容するための冷凍トラックの手配を始めている。デルタ株のために子供の感染者数、ひいては重症化する子供の数も増えた。筆者の住むダラス郡では、8月上旬の段階で73人の子どもが集中治療室(ICU)で治療を受けており、子どもを受け入れるICUはほぼ満床になってしまった。
そんな状況下で8月末から始まる学校でのマスク着用義務をめぐり、大人たちは「マスク戦争」を再開。米疾病対策センター(CDC)は、デルタ株の感染力が強いため、校舎内でのマスク着用を推奨している。しかしテキサス州、フロリダ州、ジョージア州をはじめ共和党知事を擁する南部の州では、公立学校や地域の自治体がマスク着用義務を課すことを禁じている。
今月、アボット州知事自身がマスクなしの共和党資金集めのパーティーに出席したあと、新型コロナに感染したものの、マスク着用について再考する気配はない。このためテキサス州などでは、感染抑制のために室内のマスク着用義務を実施したい学校区や郡政府と、州政府が訴訟合戦を繰り広げている。米食品医薬品(FDA)がファイザー/ビオンテック社のワクチンを正式承認した3日後の8月26日、アボット州知事は州の公的機関がワクチン接種義務を課すことを禁ずる州知事命令を発出した。
科学とデータで感染制御
しかし共和党知事の州が、すべてテキサス州のような状況かといえば、そんなことはない。
例えば首都ワシントンに隣接するメリーランド州(米国北東部、人口約600万人)のラリー・ホーガン知事も共和党である。全米知事会の前会長で、以前から科学と専門家の助言、データにもとづくコロナ対策を進めてきた。同州ではすでに6割上の州民が2回のワクチン接種を完了しており、全米でも6番目に接種率が高い。少なくとも1回のワクチン接種を終えた成人は8割に達した。
もちろんデルタ株は同州にも広がっているが、新規感染件数や陽性率は全米でも最も低い州のひとつで、8月21日現在で入院しているのは650人にとどまる。今のところ入院している重症者、死亡の全員がワクチン未接種者で、ワクチン接種率が低い地区ではコロナ病床が満床に近い病院があるものの、州全体のコロナへの医療対応能力には十分に余裕がある。
ワクチン接種の義務付けやマスク着用への対応も、それらを禁ずるテキサス州とは大きく異なる。ホーガン知事は8月5日、州の保健医療施設や青少年の更生施設、刑務所など人が集まる職場で働く州職員へのワクチン義務付けを発表。8月18日の記者会見では、重症化しやすい高齢者、入院患者のコロナリスクを低減するため、州内の高齢者施設や医療機関で働く従業員に対し、ワクチン接種の義務付けを発表した。接種証明を提出しない従業員は、日常的にコロナについての検査を受ける必要がある。
メリーランド州でもマスク着用の義務付けは7月1日に廃止したが、学校でのマスク着用については、それぞれの学区の判断にまかせており、現在のところ3分の2の学校はマスク着用義務という判断を下しているという。学校の換気設備改善も済ませており、生徒への定期的な検査など様々なリスク低減対策をとりながら、対面授業を再開する考えだ。またホーガン知事は頻繁に未接種者にワクチン接種を呼びかけるとともに、連邦政府には高齢者に対する早期の3回目追加接種の承認と12歳以下への子供への接種実現を要望している。
同じく北東部で共和党知事を擁するマサチューセッツ州、ニューハンプシャー州もワクチン接種率の高さは全米でもトップグループ。感染者は増えているものの、医療がひっ迫する状況にはない。学校再開に向けたコロナ対策もCDCのガイドラインを基本に、地域の事情やデータをもとにフレキシブルかつ慎重に決めている。
得票か州民の命か
今やテキサス州とフロリダ州だけで、全米の新規入院患者の4割を占めている。どちらの州知事もマスク着用義務はもとより、ワクチン接種義務付けやいわゆるワクチンパスポートは禁じている。そしてどちらの州知事も来年に州知事選を控えているだけでなく、2024年の大統領選への立候補も視野に入れている。州民の命よりも、権威や政府の介入を嫌い、個人の自由を重視するトランプ前大統領の支持層をがっちりつかんでおくことが優先のようだ。南部では、ジョージア、サウスカロライナ、テネシー、アラバマの各共和党州知事らも来年の知事選を控え、マスクもワクチン接種も個人の選択というスタンスを崩さない。
一方、同じく南部でも、今期で任期満了となるアーカンソー州のエイサ・ハッチンソン知事(共和)は、「パンデミック下でも個人の自由優先」というスタンスを和らげている。同州も6月にマスク着用義務を禁ずる州法を制定したが、ワクチン接種率の低く、デルタ株の猛威で7月に医療崩壊状態となった。8月に入りハッチンソン知事は「マスク義務を禁ずる州法に署名したことを後悔している」と述べた。そして同知事は自ら州内各地を訪れ、地元の医師らを交えてワクチン接種に関するタウンホール集会を開催。安全性に対する不安や、陰謀論を展開する住民の疑問に答えながら、ワクチン接種を受けるように呼びかけて回った。得票のために支持者が聞きたいメッセージに固執するのではなく、州民の命に目を向けられるのは、選挙を控えていないからだろうか。
アメリカは数カ月も前から、対象者は容易にワクチン接種を受けられるという世界で最も幸運な環境にある。例えワクチンが十分にあっても、人が適切に行動しなければ効果があがらないことをアメリカは実証してしまった。政治野心や得票数だけに目を向ける政治家は、市民の命ではなく、支持者が聞きたいことだけを言う。一方「個人の自由に任せる」と言われた市民は、自分が感情的に受け入れられる意見だけに耳を傾け、「公衆衛生」について考えることをしない。ワクチンやマスク、ソーシャルディスタンスなど、あらゆる有効な手段を使い、みんなで自分と家族と地域を守っていかなければ、コロナ感染症はおさまらない。すでにコロナで63万人以上の市民を失った米国は、あと何人の命を失うことになるのだろうか。