2021年7月10日、梅雨の晴れ間のこの日、東京の都心は最高気温が33度を超え、朝までの雨もあって蒸し風呂のような暑さ。間近に迫った東京オリンピックの開会式場となる国立競技場のすぐ前、JR千駄ヶ谷駅の広場で、抗議のハンガーストライキを始めたフランス人がいた。39歳のヴィンセント・フィショ氏である。
日本人女性と結婚し、2人の子どもと家庭を育んでいたが、3年前に突然、妻に子どもを連れ去られたという。八方手をつくしたが、未だに居場所もわからず、子どもに会えていない。
ハンガーストライキの目的は、オリンピックで来日するフランスのマクロン大統領に「子どもに会いたい」との訴えを届け、日本政府に善処を申し入れてくれることだという。というのは、フィショ氏は2019年にマクロン大統領が来日した際に、事態を重く見たフランス大使のはからいで、大統領に直接会って窮状を訴え、当時の安倍首相に進言してもらった経緯があるからだ。
フランスという国は、たとえ国外であっても、フランス市民でもある子どもの基本的人権を擁護することは国の責務との判例もある。
フランス政府が、日本政府にこの件について申し入れをする根拠となるのは、国連の「児童の権利に関する条約」で、子どもは両方の親と親しい関係を築きながら育つ権利を持つという規定である。この条約は1994年に日本も批准している。フィショ氏は、連れ去った親に一方的に監護権を与え、連れ去られた親を完全に遮断するのは、この条約に違反すると主張している。
ハンスト初日、取材陣の多くは外国メディアだ©Okuda, Ryouin
ハンガーストライキ「私の子供たちは拉致されています」
「私の子供たちは拉致されています」--日本語で書かれた立て看板。JR千駄ヶ谷駅前の広場には、フィショ氏だけでなく、数人の支援者も集まっていた。フィショ氏と同じように実子をもう一方の親(子の母親)に連れ去られた人たちであった。
日本では、どちらかの親が子どもを連れて行った場合、「犯罪」にはならない。家庭内の問題として扱われるため、警察に居所捜査を依頼しても、よほどの事情がなければ協力してくれない。
監護権の問題は裁判所の判断に委ねるしかないが、欧米では片親の一方的な子どもの連れ去りは、「拉致・誘拐」(abduction)として大きな問題になる。日本では家族間の問題との認識が一般的で、裁判所の判断もこうした状況を反映せざるをえない。だが批准している国際条約との齟齬をどうすればよいのか。
「千駄ヶ谷駅を抗議の場所としたのは、マクロン大統領が国立競技場のオリンピック開会式に出席するからで、子どもに会えるまでここで頑張ります」とフィショ氏は話した。
ハンガーストライキの初日だったので、取材に来るメディアも少なかったが、今回のフィショ氏の抗議行動が、日本国内のメディアにも取り上げられ、国連の「児童の権利に関する条約」や、「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」(日本も批准している、いわゆるハーグ条約)について一般市民の認知を高め、考えるきっかけになるかもしれない。
一人のフランス人の命がけの戦いの結果として。