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国語教材にもなった原発事故小説(ドイツ児童文学賞受賞)の著者グドゥルン・パウゼヴァングさんに聞く
ドイツだけで2010年までに150万部以上売れた青少年向けの原発事故小説がある。「Die Wolke(ディヴォルケ、邦訳は「みえない雲」(小学館文庫))だ。原発事故に巻き込まれた14歳の少女が主人公で、チェルノブイリ原発事故の翌年に出版され、大きな反響を呼んだ。以後、日本も含む13カ国で出版、2006年には映画化もされた。
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2011年3月11日の東電福島原発事故の数日後、ドイツ の有力新聞や週刊誌は次々と、この本と著者に再びスポットを当てた。今また版を重ねているこの本の著者は、グドゥル ン・パウゼヴァング(Gudrun Pausewang)さん(2011年4月28日のインタヴュー当時83歳)だ。
定年まではドイツ語教師をしながら、絵本から成人向け小説まで90冊以上を出版し、定年後は朗読会を続けてきた。訪れた15カ国のうち、原発のないデンマークや、70年代に完成後の原発を稼働させなかったオーストリアといった脱原発先進国からは、特に 頻繁に招聘された。
パウゼヴァングさんは、「これが日本でいちばん読まれた私の本です」と、核戦争後の被曝者たちの生活を描いた「最後の子どもたち」(原題:Die letzten Kinder von Schewenborn)を見せながら、「フクシマの原発震災にとても心を痛めています」と前置きしてから語ってくれた。
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― 小説に書かれたような原発事故が、被爆国日本で現実に起こってしまいました。
日本の防災計画については知りませんが、ドイツでの原発事故に備えた訓練の経験からも、事故後の対応の遅れや混乱は容易に想像がつきます。
ある大都市近郊での訓練で、新聞記者が警察の責任者に「近くの病院に被曝患者のためのベッドは何床あるか」と質問したら、「2~3床」という答えでした。
また、ある自治体の計画では、車を持たない人たちは、市庁舎など公共の建物に集合し、まとまってバスで避難することになっています。ところが、リポーターがバスの運転手に 「原発事故直後の深刻な事態に、あなたは本当に街中に入っていくか」と尋ねたら、こんな答えが返ってきたのです。「我々も馬鹿じゃない。自分の家族のことを考えたらそ んな危険なことはできない。第一、バスで人々を迎えに行ったとしても、街じゅう大混乱で今度は出てこられなくなるだろう」。
そのほか、私の小説を読んだ生徒たちが、地元自治体の原発事故対策マニュアルを調べて、校長にヨウ素剤の場所を尋ねたら、常備が必要なことすら知らなかったという話もありました。
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― 青少年向けの原発事故小説を書いた動機は?
1970年代、ドイツにはかなりの原発が建っており、反対運動も盛んでした。私自身もチェルノブイリ原発事故以前から、IPPNW(核戦争防止国際医師会議) が発行した小冊子を読んだりしていました。低・中・高線量の放射能被曝による症状など、医学的内容が一般向けに平易に説明されており、後に「Die Wolke」の中での描写に、とても参考になりました。でも、その当時は反原発小説を書くことは夢にも考えていませんでした。
きっかけ はチェルノブイリでした。1986年ウクライナで原発事故が起きてから、毎日ニュースを聞くたびに、「もし、住民の少ない1500km離れた土地ではなく、 人口密度の高いドイツの真ん中で起きたら…」と考えるようになりました。「子どもたちは砂場で遊べなくなり、野菜、キノコ、野生の動物を食べられなくなり、 放射能を発する空気の中で生活しなければなくなる」と。
「そのような大惨事を想起してみてください」と、警告しなければならないと思ったのです。それに、原発や被曝の危険性は青少年も知る権利があります。当時は大人向けの本ばかりしかなかったので、若者に読みやすい小説という形で伝えようと考えました。出版社に電話したら、最後まで言い終わらないうちに「是非書いてください」という声が返ってきました。チェルノブイリ事故の1ヵ月後に書き始 め、10月に完成、翌年2月に出版したら、爆発的に売れました。
― 1988年に「Die Wolke」がドイツ最高の児童文学賞を受賞しました
受賞してからは、本書を国語教材に採用する学校が増えただけでなく、それまで関心を示さなかった推進派の政治家や原子力業界の経営者たちにも読まれるようになりました。
当初、児童文学賞担当の青少年・家族・健康省リタ・ズュースムート(博士号と大学教授の資格も持つ)大臣は本書を選出しようとして、原発推進政権の中で大反対に遭ったのです。そこで彼女は、通常は2週間ほどしかかからない賞の授与までの期間を、4~5カ月間かけて、時間稼ぎをしました。
反対派が賞のことを忘れたころを見計らって、こ う理由付けをして授与を発表したのです。「もし著者が受賞だけを目的にし、政権政党の意向に従う作品を書くなら、そこに民主主義はない。社会主義的な本だけが賞 をもらえたDDR(旧東ドイツ)と同じだ」と。受賞に反対する自分の党に対し「決めるのは私、あなたたちではない」と、断固として決定を変えなかった彼女の姿勢を、私は高く評価しています。
ところで、彼女の時間稼ぎの戦略は今、日本の原子力企業(東電のこと)も使っていますよ。待たせて待たせて忘れたころに、以前から分かっていたことをやっと発表したりね。
― 2011年4月に地元でチェルノブイリ25周年の反原発デモがあったとき、1万5000人の前で演説されたと新聞が大きく報じていました。こういうことは以前からよくあるのですか。
メッセージを送ってほしいという依頼はよくあります。数年前に、デモで話してくれと事前に頼まれたことはありましたが、今年のデモには個人的に参加しており、話すつも りで行ったのではありませんでした。ところが、現地で私が来ていることを知った活動家から、少し話してほしいと頼まれたので次のような話をしました。
ナチス時代が終わり、子ども世代が「ナチスに対抗して何をしたか」と尋ねた時、親世代は何も答えられなかった。私は自分が死んだ後、子孫からそのようなことを絶対に言われたくありません。「核エネルギーに反対して、自分でできる限りのことはやった」と答えられることが、私にとっていちばん重要であると。
― 約70冊の絵本や青少年向け小説で子どもたちに伝えたかったことは。
子どものときに読んだ本はハッピーエンドが多く、悪者は必ず懲らしめられる筋書きばかりでした。でも、現実の世界はそうではありません。
ドイツ領旧チェコスロバキアにいた17歳の時、第2次大戦が終わり、父はロシアから戻ってきませんでした。ヒトラーの所業から、ドイツ人がチェコに残ることは将来のために よくないと考えた母は、6人の子を連れてドイツ移住を決めたのです。いちばん下の弟は4歳半でした。私たちは、ドイツ国内を800km、7週間にわたり歩き続けました。戦争は決してあってはなりません。
南米で数年間ドイツ語を教えた時は、第3世界の抱える問題に直面しました。それに、広島・長崎での原爆投下とチェルノブイ リ原発事故に代表される核兵器と核エネルギーの問題、この3つが私の執筆活動の主題です。
読者には6歳であろうと60歳であろうと、真剣に受け止めてほしいのです。私の本は子どもを不安にさせると非難されることがありますが、不安がない、あるいは恐れを感じることができないならば、私たちの種族はとっくに存在していないでしょう。
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最後に、パウゼヴァングさんから「日本の人々に尋ねたいことがあります」と言われた。。
- 日本には常に地震の危険があるのに、なぜ54基もの原発建設を容認したのですか。
- 「Die Wolke」が知られるようになると、多くの自治体から朗読会に招致されましたが、原発を稼動させている企業から多額の金が流れる原発立地からだけは呼ばれませんでした。日本の事情も同様でしょうが、原発の近くに住んで、生まれた子どもが生き続けることができなかったらどうするつもりですか。
- 今回の福島原発事故による大惨事によって、批判的に考えることを学びましたか。
私たち日本人は、これらの質問に対してどう応えるのだろうか。
トップ画像:ベルギーの学校での朗読会にて、8年生の教材に使われる「Die Wolke(ディヴォルケ、邦訳「みえない雲」)」を手にするグドゥルン・パウゼヴァングさん。(2011年4月29日)©️KAWASAKI Yoko
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