今年は日本だけでなく、欧州も選挙イヤーだ。米トランプ大統領誕生と英国のEU離脱国民投票から数年――ビッグデータを巧みに用い、投票行動を操作する外部勢力がいることは、欧米ではもはや疑う者はいない。5月末の欧州議会選挙でも、こうした勢力のなすがままでポピュリスト政党の大躍進を許し、ますます分断が煽られ、不安定な社会となっていくのか。それとも、愚直なまでに正攻法の政策議論で勝負する政党が健闘し、民主主義の最後の砦とさえ言えそうな欧州を守るのか。2018年5月に一般データ保護規則(GDPR)が施行されてほぼ一年。その力が試される初めて選挙を前に、MR. GDPRと異名をとる欧州データ保護監督局(European Data Protection Supervisor=EDPS)のG. ブッタレリ所長に話を聞いた。
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操作される有権者
米大統領選で、当時英国にあったケンブリッジ・アナリティカというコンサルティング会社が、すさまじい情報戦をしかけたことは、今日では誰もが知ることとなった。彼らは、フェースブックから別名目で入手した8000万人以上の個人情報をもとに、プロファイリングと呼ばれる統計分析手法を用いて、そのデータを分析し、選挙結果の明暗を握る州を特定し、SNS上で、狙いを定めた人々の態度変容を起こさせた。英国のEU離脱国民投票でも、より最近のオーストリアやスペイン選挙でも、外部勢力の関与があったことも分かり始めている。
穏やかなに、しかし、きっぱりと話すブッタレリ氏 ©Taz
その後、ケンブリッジ・アナリティカは消滅したが、Mr. GDPRことブッタレリ氏はこう語る。「同社は、氷山の一角でしかなく、類似のことは誰にでもでき、今や世界の主要なビジネスモデルの一つとなっているとさえいえるでしょう。プロファイリングのような手法は、かつては、企業のマーケティングや広告戦略で使われ、人々に良いイメージを持たせたり、気づかないうちに購買行動を変えさせたりしていたのです。同じ手法を、ケンブリッジ・アナリティカは、ターゲットした人々に、特定政党を支持させ、投票行動を変えることに使っただけなのです。これが明るみに出たことで、われわれ全体にとって、非常に強い警告となりました。プロファイリングの手法を用いれば、立派な判断力を持った大人であっても、ディスインフォメーション(偽情報)やフェイクニュースを巧みに集中的に浴びれば、容易に感化され、過激化さえしてしまうことがわかったのですから。」
ブッタレリ氏は欧州のデジタル経済のための論壇紙Scope Europeのトップ記事を飾った人物だ ©Taz
筆者は、はっとした。かつて、大学で認知心理学を学んだ筆者は、外資系広告代理店のマーケティング・プランニング担当として、消費者調査データをベースに、多変量解析などの手法を用いて、もっと買ってもらうための戦略作りに励んでいたからだ。確かに、あの頃、認識されない程度の瞬間的な広告などの『サブリミナル刺激』を与えると、人の感性や購買行動を操作できることを知って、言うに言われぬ気味の悪さを感じたものだった。
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GDPR施行から1年
日本ではあまり知られていないが、欧州データ保護監督局(European Data Protection Supervisor=EDPS)は、『EUのプライバシーの番犬』と称される。欧州委員会や欧州議会を始め、欧州80の機関に対し、プライバシーやデータ保護に関して助言する独立した専門機関だ。
GDPRは、2016年4月に成立し、2018年5月から施行されている。『表現の自由』ばかりが野放しに重視され、あたかも騙されるのは自己責任という風潮は、アメリカやアジアでは特に強いようだ。だが、それに対局をなすものとしてEUが成立させた、プライバシーとデータ保護の世界でもっとも厳しい法律がGDPRだ。その法案作成から、欧州議会での審議、欧州理事会での議論の過程で、EDPS、中でもブッタレリ氏は、重要な役割を果たしてきた。
通称GDPRと呼ばれている一般データ保護規則。2016年4月27日に成立した ©Taz
「今年は、欧州議会選挙と同時に、14の加盟国で国政選挙が行われます。EUにとって、EUとしての高潔性が問われる戦略的にも歴史的にも非常に重要な正念場です。GDPRの施行からもちょうど1年。その効果が試されることにもなります。」穏やかながら、毅然とした言葉遣いが印象的だ。
「私達にとっては、どの党が勝った負けたということ以前に、ネット上での意図的な操作、ディスインフォメーション、フェイクニュースとどう戦うかの問題なのです。世界中のたったいくつかのSNS運営会社が、あまりにも過大な情報の力を持ってしまっているのが現状なのです。今時、ポスターや個別訪問や街頭演説で戦う時代ではないから、ハイテクや新しいプラットフォームを用いるのは必然。私としては、EU親派であろうが、反EU派であろうが、正々堂々と公正なやり方で戦ってほしい。(中略)私達は、GDPRを作り、欧州市民のプライバシーとデータを守るわけですが、違反をどれだけ摘発できるかではなく、それぞれの政党にネット時代の選挙を市民の『信頼』を得るやり方で戦うように監督せねばならないのです。いかにも抜け目なさそうな広告代理店や選挙コンサル会社から『勝たせてあげるよ』みたいな甘言を囁かれても、その手に乗るべきではないと知ってほしいのです。」
「三本の矢」だの、「女性が輝く時代」だのと、大手広告代理店のコピーライターが生み出す数々のキャッチコピーを連呼する、どこかの国の政治シーンを思わずにはいられなかった。
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気休めではない警戒体制が敷かれている
GDPR施行からちょうど1年。欧州市民の『忘れられる権利』を規定し、違反した企業には2000万ユーロまたは世界市場での年間売上高の4%のどちらか高い方という厳しい制裁金を課す。すでに、オーストリアでは地方のスポーツ賭博業者が5000ユーロ強の罰金を、ドイツではSNS運営会社が2万ユーロの罰金を、フランスではグーグルが5000万ユーロの罰金支払いを命じられる判決が出ている。
欧州議会選挙に向けて、EUは、昨年秋にはディスインフォメーションをなくすための実施細則が定められ、昨年暮れにはそのための行動計画を策定。これに沿って、グーグル、フェースブック、ツイッターなど主要SNS提供会社は、政党や選挙運動の広告や投稿などを随時チェックし、適正でないものは削除したり、訂正したりする努力や改善を鋭意行い、毎月EUに対して報告を行うことが実行されている。また、今年3月には、EUと加盟各国の当局によって、Rapid Alert System(RAS)が施行され、違反や注意情報が加盟国間で速やかに共有され、必要ならばそれぞれの市民に通達されるようになっている。
Rapid Alert Systemは、EUと加盟国当局が連携しあうディスインフォメーション対策緊急システム。
www.euvsdisinfo.euサイトで詳細を見ることができる ©European Union 2019
「今では、携帯のカメラやブルーテゥースなどを介して、携帯がついていない時でも、あなたが寝ている間でも情報が取られています。あなたのキーボードの使い方や、無料のネット電話でも、声や言い回し、写真や動画も流れてしまって、プロファイリングに使用されている。たとえ、政治的な投稿やコメントは何もしていなくても、あなたがどんな人で、どんな服装やタレントが好きで、気候変動や難民に対してどんな意見を持っているか、何もかも見抜かれてしまっているのです。」
これを聞きながら、暗澹たる気分に陥りそうな筆者に、ブッタレリ氏は、それでも希望あるコメントを続けた。
「GDPRが施行されてからすでに、25万5000件のクレームが寄せられ、600の違反が確定されました。ケンブリッジ・アナリティカのことが明るみに出たおかげもあって、欧州市民は、プライバシーやデータ保護の問題に関心を高め、もっとわかりたい、自分の権利を公使して自分のプライバシーを守りたいと積極的に思うように成長してきてもいます。」
確かに、欧州議会選挙が近づくにつれ、筆者のSNSにも、政党や市民グループから様々なメッセージや集まりへの誘いが多数届くようになった。だが、米大統領選挙や英国民投票の時のような、品位を疑うような表現や明らかにウソとわかるような出所不明の情報は影を潜めている。
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EUの深化とともに、欧州市民は成長
「スティーヴ・バノン? ああ、彼は、欧州でもポピュリストから人気があるよ。私は中立な監督者なので、彼やポピュリストの主張が正しいとか誤っているとかいう意見は述べないけれど、一つだけ言っておきたい。かつて、政治ゲームに勝ちたかったポピュリスト達は、データ分析力や投票行動を自分の思うように変えてくれるアルゴリズムに飢えていた。賢くターゲットし、訴求力のある宣伝に大金を投じさえすれば、初めは人々が何も警戒しなかったから、面白いように票がとれたのです。 欧州も基本条約から60年余りを経過し、EUに反感を持つ人や、自国により強い権限を求める人が出てくるのも必然でしょう。ただ、その判断は、出所のはっきりした信頼に足る情報に基づく成熟した結論でなければならないのです。自分でも意識しないうちに、狙い撃ちされて怒涛のように打ち込まれた不正なプロパガンダによるものであってはいけないのです。」
欧州の世論調査ユーロバロメータ2018によれば、欧州のインターネットユーザーの73%は選挙期間中のディスインフォメーションを警戒していると答え、欧州市民の85%がフェイクニュースは民主主義への脅威だと答えているのだ。
「リスクがないとは決して言わない。常に警戒し続けなければなりません。でも、欧州市民は啓蒙され、警戒意識は確実に改善されているのです。」
欧州市民の啓発は進み、ディスインフォメーションや誤情報への警戒は高まっている。
出典:ユーロバロメータ 2018 QB13
選挙後、EUの新政権を見据えて
加盟各国それぞれは、5月23日~26日までの間に欧州議会選挙を実施する。その結果を踏まえ、夏には新しい欧州委員会委員長(欧州連合としての首相に相当)を選出し、その委員長のもと、加盟国からの1名ずつのコミッショナー(各分野の大臣相当)が送られて、5年間の新政権が発足する。
欧州議会では、欧州委員会委員長に立候補する現在の議員による公開討論会も開催された。日本とは異なり、欧州の選挙では、厳しい政策議論が公開で行われる。
©European Union 2019 – Source: EP
「選挙後の6月初めに、EDPSとしての見解表明をする予定です。新しい委員長が選ばれ、次の5年間の政権が組まれても、プライバシーとデータ保護の課題は、間違いなく重要課題であり続けるはずです。私の23年の経験と、この分野の主要アドバイザーとしての立場から、今後何が起こるかを示します。変化にひるんではいけない、変化に備えるために今から動き出さねばならないと宣言するのです。AIも、5Gも、ずっと先の未来のことではないのです。ビッグデータが当たり前になる時代はもうすぐそこまで来ている。その時に動き出すのでは遅いのです。」
欧州議会選挙直前の5月9日、英国を除いた欧州連合27カ国の首脳による非公式会議が、輪番議長国ルーマニアの首都シビウでのひっそりと開かれれていた。G20のような打ち上げ花火的な派手な首脳会合や英国のメイ首相が乗り込むBREXITに関わる緊急会合に比べて、実に静かで実務的な会議だ。
そこでは、ユンカー委員長とその政権で約束された10の優先課題がどのように実行されてきたかがしっかりと検証され、やり残した課題、これから新たに取り組むべき課題を明確化されて、選挙後に作られる新体制へ橋渡しの準備が整えられた。
この検証の上でも、GDPR成立とその施行は、ユンカー政権で達成された20の功績の13番目に重要なものとして高く評価された。また、次期5年間の課題として、「欧州の民主主義を守るために、メディアの自由な報道と多様性を担保しながら、ディスインフォメーションと戦い続けること」もはっきりとうたわれている。
「G20大阪でも、プライバシーとデータ保護の課題は、重要テーマの一つとなることは間違えない。」とブッタレリ氏はにこやかに語った。
昨年から今年にかけて、安倍首相はEU首脳陣と何度も会談しているが、その席の一つで、ユンカー委員長にはっきり伝えたのだそうだ。「気候変動やテロ対策も重要だけれど、私は、プライバシーとデータ保護を中心テーマに含めたいと思っている」と。
欧州議会選挙の行方に思いを馳せながら、ブッタレリ氏は、最後にこう締めくくった。「私の役目は、一つ一つ細切れの情報を提供することではなく、過去を分析し、現在を適正に監督し、その上で、よりよい未来に向けたビッグ・ピクチャーを描くこと。何に警戒し、どういう方向に進んでいかねばならないのか、そして未来のプライバシーとデータ保護の在り方をデザインすることが私達の使命なのです。」
EUの未来はいかに… 反EU派が隆盛するように見えても、EUの不安定化はそこまで進んでいないようだ。
今国民投票が行われたら、EU残留を希望すると答える人がどの国でも多数派を占める。
出典:ユーロバロメータ 2019 QA3s
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*トップ図版:©European Union 2019