はじめに
2018年3月11日、福島の東京電力第一原子力発電所(略称:F1)で起きた大事故から7年が経過した。避難地域への立ち入り制限の解除など、機会があるたびに、私は現地に足を運んでいるが、F1には、解体作業がいつ終わるのか見通しすら立たないまま、汚染された水を入れたタンクが林立している。除染が終わったとして、立ち入り制限が解除された地域でも、行き場のない除染廃棄物は袋詰めにされて、耕作されなくなった田畑などに野晒しとなっている。戻る住民も少なく、町の生活機能が復活するには、まだまだ時間がかかりそうである。
私は、原発事故から7年を経過した様々な側面の現況を、海外に在住するIFJ・Japanフリーランスユニオンのメンバーが中心となるこの自主メディアSpeakUp上で報告することにした。すべてを網羅することはできないが、政府や官公庁などが強調する「復興すすむ」とは、異なる側面もあるので、参考にしていただければ幸いである。事故から7年、「あたりまえの日」はまだ遠い。
原発被災地の放射線量
まず原発事故から7年の被災地の放射線量を見ておこう。
ふくしま復興ステーションの調査によれば、福島県内各地の2018年4月1日午前0時計測の放射線量は以下の通りである。
福島市 | 0.15㍃シーベルト/毎時(F1の北西約63キロ) |
郡山市 | 0.09㍃シーベルト/毎時(F1の西約58キロ) |
南相馬市 | 0.08㍃シーベルト/毎時(F1の北約24キロ) |
いわき市(平地区) | 0.06㍃シーベルト/毎時(F1の南南西約43キロ) |
會津若松市 | 0.05㍃シーベルト/毎時(西98キロ) |
ちなみに、東京都新宿区の放射線量は、0.04㍃シーベルト/毎時である。
福島市で事故後の放射線量をチェックすると、F1事故直後の2011年4月は2.74㍃シーベルトを記録しているから、当時に比べて18分の1になってはいる。しかし、震災前の平常時が0.04㍃シーベルトなので、7年後のいまも約4倍の値となっている。
避難地域(解除された地域も含む)の放射線量は(4月9日午後3時計測)以下の通りである。
大熊町夫沢三区地区集会所(F1の西約3キロ) | 8.99㍃シーベルト/毎時 |
双葉町山田多目的集会所(F1の西4キロ) | 4.52㍃シーベルト/毎時 |
浪江町小丸多目的集会所(F1の西北西約10キロ) | 8.61㍃シーベルト/毎時 |
葛尾村柏原地区(F1の西北西22キロ) | 1.78㍃シーベルト/毎時 |
飯館村役場(F1の北西38キロ) | 0.26㍃シーベルト/毎時 |
ちなみに、東京電力の発表(2月28日)によれば、F1の3号機の原子炉建屋内の空間放射線量は毎時10~15ミリシーベルトで、構内での廃炉作業が可能なレベルだという。しかし、労働安全衛生法によれば、作業員の被曝線量の上限は5年間で100ミリシーベルト、1年間で50ミリシーベルトなので、防護服を二重に着込み、全面マスクを付けても、同一作業員の長時間作業は困難だ。
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避難解除進む、だが戻らぬ住民
F1周辺の町村では放射線量がいまだに高く、除染も進んでいないため、F1に近い大熊町と双葉町ではまだ住民は帰還できない。だが、浪江町、富岡町、飯館村、葛尾村は、帰還困難地域を残してはいるが、制限が解除され帰還が可能となった地域もある。
しかし、7年間の避難生活の間に、被災者にとっては、避難先が新しい生活の根拠地となりつつあり、「さあ、どうぞ!」と言われても、簡単には帰れないようだ。被災者のなかには、故郷への帰還をあきらめ、避難地に住宅を建てた人も少なくない。
葛尾村は一部を除いて2016年6月に居住制限が解除されたが、災害前の町民1567人うち、2018年3月までに帰還した人は214人に過ぎない。浪江町も一部避難地域が残っているが、災害時の町民2万1434人のうち、2月28日現在2万633人が避難生活を続けている。飯館村の居住者は2月28日現在で618人、帰還困難地域も含めた全町民5850人の10.5%にすぎない。
全地域で居住制限が解除された南相馬市では、3月1日現在の人口は5万4984人で、いまだに6600人が戻っていない。故郷に戻った人は高齢者が多く、若い人たちは避難先での生活を続ける意向が多いという。
避難地域の町村では、新たな町の拠点づくりや災害公営住宅の整備などが進んでいるが、病院など医療機関が少ないうえ、人々の生活の核となる中心街が元に戻りそうにない。また、残留放射線が子どもに及ぼす影響への心配などが、帰還を阻む大きな要因となっている。
6万人超える避難生活者
福島県によると、2018年2月28日現在、F1事故の被災地11市町村のうち、いまだに避難生活を続けている人は約6万7000人である。(被災市町村は12だが、楢葉町は避難者数を公表していない)
F1事故による避難生活中に亡くなった震災関連死者は、2018年2月20日現在12市町村で2003人にのぼる。福島県全体の震災関連死が2012件(該当市町村の認定数)であるから、12市町村に集中しているのは、帰還の展望がない長期の避難生活が大きな要因と思われる。
被災して避難している人たちがどのような状態にあるかとの情報を的確に把握する必要があるが、個人情報保護法とのからみで簡単ではない。個々人のニーズに合った支援をどう具体化するかが今後の課題である。
古里への帰還をあきらめ、被災地以外に定住を決めた人も、子どもがいる家庭は子どもを通じて地域コミュニティに参加する機会があり溶け込んでいくが、高齢者だけの家庭では、近所づきあいも難しく、次第に孤独感を深めていくだろうことは容易に想像できる。
原発事故賠償訴訟 国は100%の安全はないと主張
2018年3月8日、F1事故で福島県から群馬県などに避難した住民らが集団で起こした損害賠償訴訟の控訴審の第1回口頭弁論が東京高等裁判所で開かれた。
1審の前橋地裁は2017年3月、東京電力とともに安全規制を怠ったとして国の責任を認め、137人の原告のうち62人に対して、合計で3850万円の支払いを命じた。
国は1審では、東京電力に津波対策を講じさせる責任はなかったと主張していたが、8日の控訴審では「原発の絶対安全性を確保するのは不可能である」とその主張を変更した。つまり、原発には100%の安全はないと主張したのである。絶対安全でないものの再稼働を政府は認めていることになる。
原発事故賠償訴訟は、このほか2017年9月に千葉地裁で、東京電力に総額約3億7000万円の支払いを命じたが、国の責任は認めない判決が出て、原告、被告の双方が控訴している。また、2017年10月には福島地裁が、東京電力と国の責任を認め、総額約5億円の支払いを命じた。この訴訟でも双方が控訴している。
行き場のない除染廃棄物
F1構内には、F1から排出される汚染水の貯蔵タンクが林立している。
F1から排出される汚染水が、山側から流れてくる地下水と混ざって汚染水が増えるのを防ぐ対策として、1~4号機の周囲の地下1.5mに凍結管を埋め、冷却材を循環させて地盤を凍らせる「凍土遮水壁」が造られ、その運用が2017年8月から全区間で開始された。このほか、建屋周辺で地下水をくみ上げたり、地下水のバイパス流路を作ったりしている。この結果、汚染水の排出量は凍土壁ができる前は、1日当たり平均約550トンだったが、現在は150~200トンに減少した。
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できる限りの核種を取り除かれた後のトリチウム汚染水は、貯蔵タンクに入れて構内に保管されているが、東京電力によると、2020年までに合計で137万トンに達するという。F1構内の貯蔵量はすでに100万トンを超えており、現在のペースで増え続けた場合、5年後には置き場がなくなるおそれがある。
しかし、現在貯蔵されている汚染水の処理方法はまだ決まっていない。原子力規制委員会は、東京電力に早く処理方法を決めるよう求めている。汚染水を希釈して海に流す方法が現実的だといわれているが、この方法に対しては、福島県が水産物への風評被害を心配して反対している。
一方、被災地の使われなくなった田畑に、土嚢袋に入れたまま野晒しになっている除染廃棄物については、ようやく大熊町と双葉町にまたがる地域に国の中間貯蔵施設が出来て、2017年から除染廃棄物の運び込みが始まった。
2020年度までに全体の80%を搬入する計画で、放射性セシウム濃度が1㌔あたり8000ベクレル超と8000ベクレル以下に分別される。草木などの可燃物は減容化施設で焼却される。
中間貯蔵施設で保管された除染廃棄物は、2045年までに福島県外に運び出して最終処分することで、環境省は地元の承諾をえているが、最終処分先のメドはたっていない。
甲状腺ガン160人、疑い36人
事故により拡散する多くの核種の中でも、事故直後に飛散する放射性ヨウ素を浴びた子どもは甲状腺ガンを発症するおそれがある。このため福島県は2011年度から、F1事故発生時に概ね18歳以下だった38万人を対象に甲状腺検査を実施してきた。
検査は子どもが20歳になるまでは2年に1回、その後は5年に1回実施される計画で、2016年度と2017年度に3巡目の検査がおこなわれた。
福島医大が「県民健康調査検討委員会」で明らかにしたところによると、2017年12月末までに、甲状腺ガンと診断されたのは160人、ガンの疑いがあるとされた人は36人となっている。
日本学術会議は2017年11月、F1事故による放射線の影響に関する評価を発表した。それによると、F1からの放射性物質の放出量はチェルノブイリ原発の7分の1にとどまり、検査でガンが見つかったことについては、高精度の調査が大規模におこなわれたことによる「スクリーニング効果」だと指摘している。
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5町村で学校再開、14校で児童・生徒135人
F1事故から7年、除染も進み、社会基盤の整備など復興が目に見えている側面もある。いくつか具体例で見てみよう。
原発事故被災地で避難指示が解除された川俣町、富岡町、浪江町、葛尾村、飯館村の5町村では、2018年春に小中学校14校が7年ぶりに再開された。これまで、児童・生徒は、避難先の仮設校舎で学んでいた。
しかし、帰還したのは14校合わせて135人で、F1事故の前の21校約4000人の3%に過ぎなかった。
1年前、2017年度に地元で6年ぶりに学校を再開した南相馬市小高区と楢葉町の小中学校では、再開時の児童・生徒は小高区が129人、楢葉町が105人で、帰還率は、震災前の約10%であった。
全町で避難指示が継続している大熊町は、同町の第一次復興拠点の大川原地区に2022年度を目途に新校舎を建てる計画である。同じく全町避難の双葉町では学校再開の時期は、まだ決まっていない。
福島県の調査によると、福島県内と県外の避難先で授業を受けている児童・生徒は2017年5月1日現在で10,683人となっている。
「あたりまえをありがたいと思う日」
飯館村は2018年3月11日、「あたりまえをありがたいと思う日」を制定し、F1事故での避難生活を忘れない日とした。村の人たちは、避難生活の中で、日常のなにげない生活がいかに貴重だったかを経験したという。
飯館村の「あたりまえ宣言」は、次のように言う。
『気づいたのです 原発事故の避難で
あたりまえが 実はちっとも あたりまえじゃなかったこと
あたたかなご飯が 食べられること
畑の採れたて野菜が 味わえること
家のお風呂に ゆっくり浸かれること
家族が 一緒に笑っていられること
あの日 なくした あたりまえが
恋しくて 恋しくて 泣いて
そして 気づいたのです
あたりまえと 思っていた 毎日は
たくさんの 尊い営みや思いやりや 愛情で
大切に つむがれていたのだと
飯館村は 3月11日を
「あたりまえをありがたいと思う日」に制定します
あたりまえの日々への 感謝を忘れないために
あたりまえの本当の意味を 未来に伝えたいから』
終わりに
F1の事故は、周辺の市町村の住民から「あたりまえ」の生活を奪ってしまった。事故から7年が経つが、簡単にはもとに戻りそうにないのが現実である。
避難生活を続けている人の多くは、古里に帰りたいと異口同音に言う。しかし、本音では、古里のコミュニティが元に戻ることはないだろうと、思っている。
ハード面の復興はある程度進んでいるが、ハード面の復興が、住民の「心の復興」をどこまで進めることができるのか。
30~40年かかると言われているF1の廃炉作業はまだ確かな道筋も見えず、炉心溶融にともなう燃料デブリなど高濃度汚染廃棄物の最終処理の見通しもたっていない。
被災地は、過疎ゆえに原子力発電所を誘致した。補助金等で財政的に恵まれた状況になり、近隣の市町村からはやっかみも出るほどだったが、F1事故によって、被災地は再び過疎に悩むことになりそうである。
追記:「F1の現状」「8億円の廃炉費用は利用者負担」などの項目を参考資料として付加する。
https://speakupoverseas.com/wp-content/uploads/2018/05/7years-speakupoverseas.pdf
トップ写真:Google Mapより。Images @2018 Google, Data SIO, NOAA, U.S. Navy, NGA, GEBCO, Terra Matrics, Cartographics @ 2018 Zenrin
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